信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

春の嵐と嬉しいお便り

2015年04月03日 11時50分49秒 | Weblog


朝夕の冷えは未だ続くが薪ストーブを毎日焚かなくて済むようになった。
庭の草花の芽が出始めそこここに緑の色が鮮やかになり、やっと春かと胸をなでおろす。

しかし、気候は不安定で天気予報は晴れと出ていてもこの伊那の地域は春になると風が強く
雨が上がり、晴れだと安心して屋外の作業を予定しても外に出たら吹っ飛ばされそうな
勢いで風が終日吹いている。

風が強いと気温も下がりマゴの外での遊びは中止となる。
今日も昨日も強風で風速30メートルの風のお陰でまるで台風が来たようで、花粉症の者には
桜がぼちぼち咲き始めるというのに外へ出られず室内で時間を過ごさねばならない。

そのような不満が溜まった夕方に、郵便が届いた。
今から15年も前にあきる野市に出かけた時に水彩画の作品展に出会った。
女性らしい柔らかな色づかいと、草花や海外の景色を描いているのにたちまち魅かれた。
ドイツ北部の小さな都市のクェドリンブルグの建物の絵を買い求めた。
以来毎年、作品展に伺い、欲しい絵にめぐり合い、作家さんとお友達になって行った。

小さな作品、ちょっと大きな作品と自分の買える範囲で、生きている苦労のごほうびにと
手持ちの気持ちの支えとして増やしていった。

東京から神奈川、信州の原村、そして伊那市とその間住居が変わったが、懐かしい里山風景の
あきる野市には出来るだけ出かけて行った。

3年前に便りが途絶え、翌年形質細胞性白血病で入院している旨のお知らせがあり愕然とした。
明るく小柄な体には生き生きとしたエネルギーがみなぎり、西多摩から静岡の夫の実家へ出かけ介護をしながら
絵を描いていると話す内容はスケッチ旅行を年に1回楽しみにして
いるのが唯一のストレス解消よと言っていることがその当時の自分にはまぶしい存在だった。
仕事と家庭と子供の進学とがんじがらめの酸欠状態の中にいる自分と比較して
憧れであった。
稀な病名と非常に苦しい長い入院生活の治療は想像もできず、回復を願うしか出来なかった。

そして昨年の秋、治ったかと思ったのに難しい病気ね、私又、再発して入院しちゃったのと
便りが来た。
長い手紙を書き、こんな事しか出来ずに・・・と投函した。

その後の消息が気になるが、年賀状も届かず多分自宅は不在のままであろうと、
連絡も出来ずうろうろしていたら昨日思わぬ、彼女からの歌集が宅急便で届いた。

あとがきにもう13年も短歌を学びながら絵を中心の生活をしてこの度の白血病の発症を機に
ためていた短歌をまとめたと言う。
カットは自分でこれまで書いたものを使い、美しくすぐ手に取りやすい、作品だ。
胸騒ぎがして、迷いながら自宅へ電話をした。
ご主人が出て、思いがけずご本人が電話に出て、未だ入院中だが、
一時帰宅が出来るようになり、明日又病院へ帰るの、桜の花を見に、
主治医が許してくれたのと話す声は大分しゃがれていて、治療がきついのだろうと思われたが、話が出来て運が良かった。

この10数年の思い出を語り、又戻ってきてねと電話を終わった。

そしてもう1通の郵便も東京で勤務していた頃から続いている元社員の女性からのもので
いよいよ故郷の母親が80歳を過ぎ、一人暮らしが心配になり一緒にくらすために
実家へ引っ越したというものだ。32年間東京暮らしをして、今更栃木へ帰るのも
不安が伴うというが、私も32年間の都会暮らしをして、よく考えもせず縁の無い場所へ田舎暮らしを始めたクチだ。

久し振りのお便りは、春の嵐にまごまごしている自分に咲きそろった桜の花を見たような
ほのぼのとして嬉しい気持ちを届けてくれた。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。