信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

八ヶ岳薪能

2013年08月05日 12時17分43秒 | Weblog
8月3日は毎年恒例の薪能の日であり小淵沢の身曾岐神社へわくわくしながら出かけた。
幼い頃にいつも行事にわくわくし待ちに待った日を迎えていた時代が確かにあったのだが、
年々歳を増すと共に心が躍るということが遠ざかるのが歳を取った証拠か。

 

毎年、この季節、夕立の時期でもあり、予報を気にしながら神社の深い森に身を置くが、今回は
その恐れも無いような日中から暑い日であった。
3時半開場、4時半開演であるが毎年駐車場に苦労し、遠くの場所に置かねばならない日があり
家に帰るのに大分時間を要した思いがあったので今回、少し早めに到着した。
ところが何と、こういうときに限って、何だか駐車場はすんなりと近くに停める事が出来肩透かしを食った。



年々観客が増え、水辺に面した能舞台は涼しげだが、周りにびっしりと用意された全席指定の椅子の数に
圧倒される。

 


今回の出し物は    能、井筒 金剛永謹
           狂言 蝸牛 善竹十郎
           能  土蜘蛛 広田幸稔 金剛龍謹

 

で始まりは神事の清祓の儀が行われ、神に能楽の奉納を告げ能楽が始まるがいつもながら
蝉時雨の中、身が引き締まる思いである。
今年は地鎮祭、安産祈願、に続き神様に手を合わせる機会がいつもより多く、神頼みばかりしているように思える。

舞台が進み日が落ちてこのあたりで神事のかがり火点火が行われ、更にあたりは幽玄の世界の
中に引き込まれて日常の生活から引き離された。

 


狂言は言葉がわかりやすく、内容も笑いを誘うもので観客は大喜び。
なぜか中高年のお客ばかりで、今年は浴衣姿や絽の着物姿の女性客が目立ち、お洒落な姿に目を楽しませてくれる。
土蜘蛛の舞台は数年前に1度見ているが、今回は蜘蛛の妖怪が投げる蜘蛛の糸は金剛流の発明とか
で見事に舞台を細かい白い糸で埋め、すっかり引き込まれてしまった。
帰りに周りの女性たちが狂言は言葉がわかりやすいけれど、能はさっぱりわからないわねぇと言いながら歩いているのを聞き、皆同じか…と思う。
古典芸能は理解に苦しむがそれでもその雰囲気に浸り日本人に生まれたのを喜ぶ一つの場面でもある。
岐阜や関西の観光バスが今回は目立ち、遠くからの訪れに雨も降らず、鳥肌が立つほど夕闇と共に
気温が下がり、浮世から離れたひと時を過ごした。
来年からは遠く離れるので今年で終わりかなと思いつつ他県ナンバーから離れて帰宅した。