ZZR1400GTR's Tagebuch(日記)

主に独逸・墺太利・瑞西・南チロルの欧州事情を発信。

1400GTR に 2CT

2009-06-30 03:32:58 | ZZR1400

1400GTR に 2CT を履かせてみました。慣らしでそろそろと家まで帰って来ましたが、オリジナルのBT021 が高速巡航用とすると、このタイヤはワインディング向き、だと思います。

本当は純正タイヤにするつもりでしたが、カワサキショップのオヤジさんに、「バイクは日本製、タイヤはフランス製と決まってるだろう」と押し切られ、「でも...」ともぐもぐしている内にオヤジさんに電話がかかってきて、私もタクシーで駅へ。で、夕方に引き取りに行ったら、2CT付きの1400GTRになっていました。

2CTはBT021並みに持つ、持つだろう、かもね...と、オヤジさん言っておりました。でも、「誰も文句言ってこない、満足している」とも申しておりました。ハンドリングにタイヤの交換は目茶に影響を与えることありますが、オヤジさんのお勧めにはいつも合理的な理由があるのも確かです。信じる者は救われる?

ただ、車検証に無いタイヤですので、車検証のコピーを渡してオヤジさんに「追加登録」の手続きを頼んでおきました。タイヤは工賃込みで277ユーロ、登録変更費用が25ユーロ、消費税が更に19% でした。邦貨で約5万円程の出費でした。

彼のショップで数十台の1400GTRを売ったそうですが、もうほとんどが2CT化している(させた?)らしいです。ちなみに、このタイヤは 「スペイン製」 です。

 

 


ZZR1400と時速三百キロ

2009-06-28 19:00:53 | ZZR1400

最近ZZR1400に乗っていません。充電ばかりを繰り返しています。まるで、憑き物でも落ちたかのようです。

今まで所有したバイク、実際に乗ったバイクの中で、ZZR1400は特別です。「天までとどけ」の様なそのフィール、特にカワサキを乗り続けて来た者には感慨深いものがあります。

来月でこのブログも丸3年目、ブログ開始のきかっけは、ZZR1400購入でした。「遂にサンビャク」、が動機でZZR1400を手に入れたのです。そして、リミッターカットとマップチューンで本来の性能を開放して数十回サンビャクにトライしました。

シャーシ台上で実測323キロを実証したマシンを駆り、アウトバーンの速度無制限区間で乗ったのに、実速にシンクロしたメータのサンビャクの印に針が届く事はなかったのです。

しかし、自己満足感はあります。「やるだけの事はやった」後の充実感です。死ななかったし、マシンも壊れなかった。サンビャクの壁が透けて見えたような気もします。でも、もう、あんなに気張る事は二度と無いでしょう。

今は、「ZZR1400って、時速200キロ迄と200キロ台をこんなに楽しく安全に走らせてくれるマシンなんだ」、という感想を持つに至っています。開発に関わった方々の狙いもそこかも知れません。しばらくすれば、今度は普通にZZR1400との付き合いを始めるようになるでしょう。

 


1400GTRのタイヤの寿命

2009-06-28 18:10:36 | ZZR1400

昨日、久しぶりに1400GTRに乗り換えて、個人的な用事に使いました。帰宅途中で雨が降り始め、あと数キロなので雨合羽を着込まずに先を急いでいました。ある所で小さなロータリーがあって、直角ぽっく入って途中の右からの進入車に眼くれた直後に後輪がズルッと滑り、思わず左足を地面にベタつきで体勢を立て直し、次の右出口へ抜けて行きました。

それから安全運転しましたが、今日、ガレージで確かめてみると既にスリップサインが後輪に出ていて、前輪も左右段べりしていました。新車購入時のままのタイヤで走行距離9611キロ、2年で1万キロ走った勘定です。BT021はZZR1100の時のBT020に比べると宣伝通りの性能で、長持ちでカーブでの限界も高いと思います。

雨の前にも、「いやに前輪が切れ込むな?」っと思っていましたが関係があるのかも知れません。

前にも記事にした事がありますが、「1000GTRの後で1400GTRに乗るとその差に驚く」は今回も感じました。交わる箇所は、同じメーカー製で後継機だということだけ、のような気がします。でも、1000GTRがあったから、1400GTRもあるのでしょう。何事も歴史の上に未来は築かれるのですから。

 


整備工場

2009-06-25 19:18:30 | ZZR1400

振動でメンバーの一人のバイクのナンバープレートを留めてたビスが吹っ飛んだ際、街中で見つけた整備工場がこれでした。ルーマニアの中でもディーラー系の整備工場とは天と地の差がある、「数万円で買った車を整備してくれる庶民の味方」 です。エンジン整備から、タイヤの交換(写真2番目参照)、2輪の面倒まで見てくれるそうです。

径は合っているのだけれども、ネジが長すぎた奴を短くカットしてくれたものでナンバープレートを固定してくれて、数レイでしたが、実勢レートで数十円位です。体育館ほどの広さの敷地に、我々の眼には 「ガラクタ」 のような車やパーツがグループ別に集めてあって、「整備工場」の大きな看板が出ていました。

工場の人たちが総出(7~8人)で世話してくれました。バイクを眺めたり、ドイツ語や英語で質問してきたり、写真を撮ったりしていました。ネジ1本に大の男たちがガヤガヤやっているのを見ながら、日本に居る時に見た、予算消化の道路の穴埋め作業員一人に関係者数人が取り囲んでいる光景を思い出したりしていました。

 


さあ、飲みねえ、自慢の酒よ

2009-06-25 16:29:49 | ZZR1400

ルーマニアでは、連日違う民宿に行き当たりばったりで泊まっていましたが、どこの「民宿のオヤジさん」たちも、日本で言えば離島の民宿のオヤジさんなんかと雰囲気が一緒。酒税の事なんか知ったこっちゃ無い自家製の酒を、「よく来たねー」と、たまの来訪者にガンガン勧めます。

この晩(でもまだ明るい)も、赤ワインを途中で仕入れていたのですが、「そんな物はどこででも飲めるだろう」と、彼の洋梨を漬けた自慢の蒸留酒を振舞ってくれたのです。この洋梨は、まだ梨が小さい時に酒瓶の口を通しておいて大きくした物だそうです。なるほど、瓶底にも安物の帆船模型の様な合わせ目もありません。オヤジさんのこだわりの酒に一同抗しきれず、ご飯も食べ始めない内に5人で空にしてしまいました。その後に上機嫌になったオヤジさんは奥に引っ込んだので、食事のために赤ワインを開けました。誰かが、「誰も余計な荷物を積んでいきたくないよねー」、なんて言って、「ふん、ふん」、「そうさ」、「だろう」で酒盛りが続きました。

翌朝は二日酔い気味で、少し頭痛したのを覚えています。

 


フルボトムの末

2009-06-25 11:56:03 | ZZR1400

悪路が続いたルーマニアの地道、メンバーの一人からこんな写真を貰いました。彼は昨日に整骨院で背骨の治療を受けたそうです。スケジュールが押してたとは言え、連日10時間前後の走行時間で、私の場合はその半分以上、速度に関係なくバイクの上で立って運転していました。新品同様だったノランのメットはキズだらけになってしまいました。

私は彼に、「もっと立ったまま走った方が体に負担がかからないよ」 と頻繁に忠告してたのですが、確かに立ちぱなしだと、ふくらはぎや足首の負担が大きくて、彼は座ってしまったようです。私も軟骨と軟骨の間が縮んで骨と骨が擦りあう様な膝痛を感じたことが何度かありました。

普段はフロントフォークがフルボトムする機会はまずありません。したらしたで、余程な瞬間な訳ですが、大げさに言えば何十メートルおきにフルボトムしていたような気がします。各車とも人と荷物で450キロ近い重量だったので、フロントとリヤのサスのストレスは甚大だったでしょう。

ただ、4車とも鉄パイプフレームで、アルミのガチガチのバイクと比べたら、「ショックを全体で逃がしている感じ」 がしました。最新のバイクだったら、エネルギーの「逃げ」 がどこかに集中して、フレームのクラックやフロントやリヤサスのシール破損などを引き起こしたかも知れません。足首や膝、背中に首あたりにも、もっと負担がかかったような気がします。

 


日本の状況はチェコ並み?

2009-06-24 15:51:14 | ZZR1400

この写真は、黒海行きの前にオーストリアの関係者が我々を投宿先に訪ねてきた時のものです。ウイーン登録のZ1で市の紋章がナンバーに付いています。

彼と長々と立ち話をしたのですが、①大型バイクが国内で販売禁止だった件、②大型免許も事実上制限されていた件、③高速道路2人乗りが禁止されていた件、④改造が許されなかった件、しかし、ここ10年位でそれらの呪縛が無くなった等をインフォームしました。「へー、それって意外だ。まるで隣国のチェコ(旧共産国)並みだね。」が彼の素朴な感想でした。

③以外は、すべて 「例え、お金があっても輸入できなかった」 がチェコで日本と同じ状況だった理由です。そう言われてみると、背景はどうあれ、昔の日本のバイク乗りの置かれた状況は確かにチェコ並みと言えなくはありません。

彼の新車同様なZ1、これは当時の日本では 「輸出専用車」 で、旧共産圏の外貨獲得のための 「西側向け輸出専用品」 の白物電化製品と全く同じ発想です。チェコ人も日本人も、自国産の 「より良い物」 を国内では手に入れられなかった状況でした。無理に手に入れられても、メーカ保証も修理も正式には受けられなかったのも一緒だったようです。

Z1は、ライダーとしては、外人さんたちが 「先輩」 です。日本人は最近開国したばかりの旧共産圏の国々の人たち並みのレベルで、経験もタマ数も、欧(西欧)米が圧倒していて、「日本製」 で無いような不思議さがあります。

今では日本でもリッターバイク当たる前な状況と聞いています。日本人は一旦目覚めると覚醒するのが早いのは明治維新で証明済み。二度と、くだらない制約事で本来のバイクの自由さが損なわれる事が無いよう祈っております。

 


外れたパニアケース

2009-06-24 14:58:36 | ZZR1400

黒海行き(ドイツ ⇔ オーストリア ⇔ ハンガリー ⇔ ルーマニア ⇔ ブルガリア)は、全行程約5500キロに及び、その約6割が地道。また地道の約7割はルーマニア部分が占めました。ルーマニアの地道の多くは我々の想像を越えたひどい状態でした。

この写真は同僚のパニアの枠をキャリアに固定していた金属製のバンドがちぎれてケースが脱落しかけた時の物です。この後に予備の金属バンドと、補強のために幅太のケーブルタイ2本で固定し直しました。

他の時に私の1000GTRの純正パニアもキャリアに固定する鍵がかかる爪の部分のビスの1本がケース内側へ抜け落ちました。10キロ制限の所を15キロは積んでいた荷物の脱落を防ぐために、ナイロンバンドをパッセンジャーの手すり部分を通すようにして回し、パニア全体をバンドで浮き気味にして先を急ぎました。幸い、その日の投宿先が本来は自動車修理工場で、ご主人にネジを切り直して貰って無事に修復できたのです。

穴だらけ、裂け目だらけ、度重なるいい加減な修復で瘡蓋だらけ、また道そのものが延々と波打ちまくっている。そこをクルマにあおられない位の速度で4台の荷物満載のバイクが縦走して行くには、「立ちっぱなし」 でないと不可能な事が多く、毎日10時間は走っていましたので、本当にスポーツでした。さっと写真を撮ろうと停まっても、指が震えてしまっていて、結局は休憩しなければならないこともありました。

連日30度を越える気温、プロテクターびっしりに着込んだ面々は、給油の度に半リットルから1リットルも給水しないとどうにもこうにもバテバテになってしまうような感じで、脂っぽい食事が多かったにも関わらず、2週間で7キロ痩せました。

 


田舎 ~

2009-06-23 22:15:27 | ZZR1400

この写真の場所で、バイクに跨ったまま休憩しましたが、「田舎 ~ 」と思いました。ルーマニアなのに、まるで日本の田舎に居るような錯覚に陥ったのです。

電気か電話か判りませんが、木製の細い柱が斜めになっていて、電線の張りでかろうじて立っている、牧草も刈って盛り上げただけ、家か小屋らしきものがポツンポツンと見えて、空も穏やかさに満ちて、緑基調で青に白、土色もまじり、「これ以上に目に優しい光景があるのかな」、と考えていました。

こんな場所でバイクを飛ばすのはナンセンスです。バイクの傍に座って、毛布でも持っていれば敷いて寝転ぶのが作法でしょう。でも他の人と一緒だと思い通りに行かない事が多く、この休憩の前後では4台のバイクが120キロ前後で縦走していました。

こんな時、「あまりに気持ちいいから俺はここに残る、後でどこかで追いつくよ」、と言い放ったらどうなるのでしょう?残れたと思いますが、後々いろいろなストレスが生じそうです。

 


ウイリーあんちゃん

2009-06-23 20:43:46 | ZZR1400

少年?青年?、多分歳は20歳前後だと思いますが、このルーマニアの街中で見かけたバイクのあんちゃんに声をかけたら、ガンガンとウイリーしてくれ、あっけにとられて写真を撮り損ねてしまいました。

こういうあどけない愛すべき 「馬鹿加減さ」 が、昔の日本の若者にもあったように思い返します。ルーマニアはまだまだ若い国、バイクに乗っていると通り過ぎる村々で少年たちが手をふってくれるので、その度に手をふって応えましたが、バイクを見る青少年の目が、昔の日本の青少年のそれの様にギラギラしていたのが印象的です。

若かった頃、バイク・女の子・勉強(?)の3つしか頭の中に無かった日々。このあんちゃんを見ていて、ワクワクした自分が居ました。ただバイクに乗りたかった、どうしての理由なんて百も言えただろうけど、走り出してしまえばゴタクは要らなかった。そんなシンプルさは二度と味わえないかも知れないですが、そんな真っ只中にいるバイク乗りを目の当たりにすることは可能です。

 


フェリーの甲板

2009-06-23 20:03:29 | ZZR1400

「雨が降って濡れていたら、バイクは乗船も、降船も無理かも」、と思えた甲板のフェリーが上です。ルーマニアの渡河用フェリーですが、大型甲板の上は寿司詰めでギュウギュウ。甲板は鉄板地で4輪のための滑り止め用なのか、工事用の太い鉄筋棒をくの字に曲げた物を溶接しまくっていて、乾いていれば何とかなるものの、濡れていたらどこもかしこもツルツルで、爪先立ちの足先も滑って、エンストや転倒の危険が高まります。

下の渡河船の甲板は板張り、しかも1直線に乗船・降船が可能でした。ハンガリーの河で乗った船です。これなら雨の日でも楽勝です。

バイクは常に転倒する危険があります。田舎の片側1車線道路などは、排水のために中央が盛り上がり気味で、左右のアスファルトの切れ目以降の土の部分には大抵の場合、段差があってしかも下がり気味、左上がりの地面に引っかかるのでサイドスタンドも出し切れず、左足を出すだけで、イザという時に右足でバイクを支えることが右下がりの土部分では出来ません。Uターンなんかも格好つけていると、狭い道路で旋回しきれず、反対車線のアスファルトが切れた土部分の縁まで使っても危うく、側溝に前輪が落ちるかもしれないので、さっさと降りて反対車線でバックさせてから方向を変えることもあります。

要は、静止状態だろが走行中だろうが、バイクを転ばせなければ、旅は気持ちよく続けられるのです。

 


GS ( BMW ) の意味

2009-06-22 17:55:04 | ZZR1400

ルーマニアに同行した Walter (バルター) さんの GS です。彼は今年54歳、10年前までは趣味でモトクロス競技に明け暮れたそうで、今では大手クルマメーカーの重役さんですが、人の縁は不思議です。

彼によると、1980年代にBMWは 「 GS 」 の意味を、"Gelände/Sport (荒野とスポーツ)" と定義し、後に、"Gelände/Straße (荒野とストリート)" と再定義したそうです。GS の30年の歴史の中での開発姿勢の振り子の触れ方が分かります。

1000GTRは明確に "オンロードバイク"、荒野向けではありません。でも最近の GS はその両方で高い性能を発揮できます。ルーマニアの悪路に壁璧した私を尻目に、彼には 「まだまだ序の口」 だったようです。

バルターさんは10年前まで公道をバイクで走らなかった人ですが、競技生活引退後に選んだバイクは GS でした。「モトクロッサー的な使い方は無理だけれも、公道ならどんな国のどんな道もこいつで走破できる」と、申しておりました。競技生活ではヤマハとカワサキのモトクロッサーを使用していたそうです。それを言いながら、「舌をペッロと出した仕草」が可愛いおじさんでした。彼の会社には知られたくない話だったのでしょう、日本製バイクの事は。

彼の GS の金属部分も、1400GTR のホイールの様に、汚れが付き難い表面処理がしてあるようで、全行程終了まで結構きれいなままでした。

私はルーマニアには 1000GTR で行きましたが、リヤサスが悪路に良く追従してくれました。ドイツ製のウイルバース社製です。以前に記事を2本アップしています。

http://blog.goo.ne.jp/zzr1400_2006/e/59d537472424d586178ec3481183b480

http://blog.goo.ne.jp/zzr1400_2006/e/95949000301eb65dea9103f31122ea40

 

 


バレア峠

2009-06-20 06:25:07 | ZZR1400

このバレア峠は、ルーマニアの中で一番高所にある峠で 2014m が頂点です。1974年9月20日に開通した新しい峠で、4年半の突貫工事だったようです。この峠に至る道はカルパチア山脈越えのアルペン街道で、トランス・ファガラシャンと呼ばれています。

この地トランシルバニア地方は例のドラキュラ伝説で有名な所ですが、現地には別人別名の英雄(ヴラド公爵)が居ただけです。でも、この日の天気は晴天だと思ったら曇天で陽が翳り、再び晴天になるを何度も繰り返し、ドラキュラの映画のワンシーンのようでした。

ヨーロッパの峠は何千もあるのでしょうが、ルーマニアは既に西欧の人たちにとっては事実上の最東端な国。これ以上東に行こうとすれば、黒海を横目にして旧ソ連邦の領域に入らねばならず、まさに 「冒険」 です。普通は、せいぜい「チェコ」か「ハンガリー」止まりでしょう。

それでもルーマニアまで行ったら、ブルガリア、ギリシャ、トルコはもう目の前にありますが、心理的な距離感を払拭するには、結構な思い切りが必要になる位の場所でもあります。

 


色あせたバイク、でも ...

2009-06-04 16:59:51 | ZZR1400

このバイクは大変に色あせています。シートも切れたままで、直す気配もありません。たまに行く酒場の人のらしいです。いつもここに停めています。

前は、この手のバイクを見ると、愉快な気持ちはしませんでしたが、これはこれで持ち主が愛着を感じているマシンで、自然体に接しているだけかもしれません。

このバイクは 「壊れ難い」 です。欧州では一旦手に入れた人が手放す事も少ないし、「一生もの」 のバイクです。このバイクの持ち主もそんなことを十分に分かっている、「雰囲気のある」 バイクです。

私は長い間このバイクに興味がありました。とてもヨーロッパ的な感じがしますし、ABSも日本のバイクとしては早くからチョイスできたからです。でも、買うことはなかった、それは何故かと聞かれれば、「まとまり過ぎていて、自分にとってバイクらしく無いから」 とでも言えばいいのでしょうか。

 


すごすぎる野郎たち

2009-06-04 10:40:19 | ZZR1400

HONDA の4発、それもナナハンを中心としたグループの一つに顔を出した時の写真です。「40年も経ったバイクが何でこんなに綺麗なんだ」 「お前らは一体何歳なんだ」 、と感動しておりました。

アップ写真の御仁は今年60歳、青年の頃にHONDA のナナハンに 「頭をガーン」 とヤラレテ40年、左足を大腿部から切断しかけた大事故では泣く泣くバイクを一時手放したそうですが、リハビリ後に 「夢よもう一度」 で再起して 「これ一筋」 な方です。

バイクはまるで先週に新車で手に入れたような状態、このトッチャンの笑顔は青年のそれでもない、まさに少年の笑顔でした。人の想いって、こんなにも長続きするもの、ピュアであり続けられるものかって、思います。