ZZR1400GTR's Tagebuch(日記)

主に独逸・墺太利・瑞西・南チロルの欧州事情を発信。

いつか

2011-12-11 18:33:47 | ZZR1400
ZZR1400の事故車、バラバラでした。2006年に目の前で見た車両でしたが、自分の車両の納車直後に見せられたものでした。ショップのオヤジさんは私の事を心配して見せてくれたのでした。共感するような気持ちは湧いたのですが、内心は 「他人事」 として受け止めようと必死でした。このバイクは自分にとって 「特別」 でした。初めての時速300キロがかかっていたからです。それも公道で、堂々と違反にならない環境がここドイツにはあります。「捕まるかも?」「捕まったら?」の類の悲壮感は皆無ですので、それよりも、その時の 「達成感」 だけを夢見ていました。

最初は、フル加速すると 「腕が持っていかれる」 様な感じで、昔のアメリカのアニメでチープな自動車に大型エンジンを積んでフル加速したらエンジンが飛び出て行ったのシーンを思い出したりしました。しかし、それもいつか 「慣れてしまった」 のです。そして、「もっと」 の加速感を求めて、全段でリミッターを外し、最高速リミッターを切り、谷間のある 「おためぼかしの加速感」 なんかとは 「おさばら」 すべく、 「一次関数での傾きの大きい右上がりな直線」 を目指しました。そしてそれは実現できました。

その内に、アウトバーン上で見かけたパトカーを思いっきりぶち抜くとか、時速200キロ超の速度域で大排気量車を散々にブロックしまくった後で引き離すとか、後ろからあおりまくった後で車線を譲られたのに、左カーブで時速250キロ超(ポルシェ以外のドイツメーカーの製造上の紳士速度協定は時速250キロだから)も出ているのに、顔を右側に向けてクルマの左席のドライバーにガンを飛ばす、なんてことに夢中になった時期がありました。尋常でない中間加速、張りぼてで無い時速300キロ、でもそれでもいつか 「退屈」 に感じるようになるんです。どんなにマシンを速くしても ...そしてつい 「余計な事」 に手を出す。大変な危険と隣り合わせになっている事に気が付かないで無感覚になっていったのです。

いつか、日本のあるバイカーたちの 「お泊り会」 があって、伊豆の田舎の漁港の旅館で一泊したことがありましたが、夕飯の後での酒盛り中の話が、「如何に(XX)XXXーをブチッ切ったか」が半分以上で、その臨場感は本物でした。その速度域でのバトルでしか分からないマシンの挙動なんかの表現がドンピシャなんですね。そこに居たライダーたちは皆それなりの仕事に就いていて、家族も子供の居るオヤジたちなんですが、現代の 「ジキルとハイド」 ですね。皆、隠し持った音叉を共鳴させながら夜が更けていきました。

アリバイ的な発言を繰り返したところで、「こんなバイク」 を欲して、それを買ってしまうようなライダーが 「普通」 である訳がないと 「自白」 します。でも、それは 「狂っている」 という様な一方的に 「ネガなもの」 ではなく、誰も持っている 「ある種の狂気」 、その巨大なエネルギーを比較的安全に 「昇華」 してくれるもの、が ZZR1400 ではないでしょうか。ドイツではアウトバーンの速度無制限区間を疾走することが「社会的に認められているそれ」 であったりします、これは公然としたドイツの為政者の狙いです。速度無制限のアウトバーンは 「社会の安全弁」 なんです。

いずれにしても、こんなマシンを、ネクタイ締めたエンジニアの皆さんが大真面目で図面を引いたりして造ってくれているメーカーさんに感謝、感謝です。でも、いつか、もし、万が一、その 「いつか」 が来たとしたら、誰を恨むことも無い、すがすがしい気持ちで逝きたいものだと思います。でも、生き延びましょう、どんな状況下でも、決して最後まで諦めずに ...どうにもならない場合もあるでしょうが。しかし、そのエンジニアの皆さんも 「同じ穴のムジナ」 と言ったら、「ニヤッ」 とされるだろうという 「確信めいたもの」 があります(笑)。

フランクフルトの路上で

2011-12-09 21:03:03 | ZZR1400
出張先のフランクフルト、そこの夜道で見かけたこのバイク、「大事にされたバイクだな」 と思いました。年式の割りにしゃきとしていて、あいにく iPhone しか手元になく、しかし一生懸命に撮ってみました。後で考えてみると「何を興奮していたんだろう?」って思います。色々と理屈をくっ付けてみるのは簡単ですが、なるべく自分の心を見透かしたような「辛口批評」をしてみたくなり、ふとしたきっかけで考え直しています。その瞬間の記憶が枯れてしまう前に、なんとかしたくて仕方がありません。

「自分とバイクを重ねたのではないか」 と、今では信じるに至りました。どういう意味で重ねたのかと言うと、「年式の割りにしゃっき」 でしょう。「似た者同士」 に遭遇した際の「小感動」 のようなものです。欧州に来て「歳の割りに若く見える」と言われ続けて来たのですが、モンゴロイド系は白人に比べて若く見えるのです。しかし、30歳代で「若く見える」は肉体的にもまだ若いので気にもならず、40歳代で「若く見える」は気持ち的には「相応」かなと、しかし50歳を過ぎての「若く見える」はギャップを感じます。

「もう若くない」と分かっているのに、相手は本気で「若く見える」と言うので、その狭間に落ち込んで「落ち込む」のです。本当は、もっともっと「元気なオヤジ」で居たいのですが、「人生の折り返し」なんて言葉の薄っぺらさはとうに見抜いていて、残りの時間が短い予感があります。どの位かと言うと、半分の25年も怪しく、元気で居られるのはせいぜい15年か。それでも「希望的観測」のカサ上げ感があります。バイクに限ってみると、「速く走れなくなった」 ら、「面白さ半減」でしょう。

このブログ、2006年からお読みの方は重々ご承知ですが、「時速300キロの夢」実現の為に、またそれを記録する為に立ち上げたのでした。そして、それを達成してしまったらどんどん弛緩していき、目標を失った気がしています。20代に突破した時速200キロ、40代で時速300キロ、20年に一度のステップアップがインターバルなら、時速400キロは20年後、とても現実味はありません。「夢が無くなったオヤジ」になってしまうのが怖いのです。だから、どうしても次の目標を設けてみたくなったのですが、今はそれがまだハッキリしていません。