街で見かけたこの両車、誰かに 「どっち?」 と聞かれたら、「どっちも」 と、欲張りなこたえを返しそうな2台です。会社のカラーも、目指したものも全然違うのに、両車共に光っています。
CB も含めて、「ナナハン」 に特別な感情を持っているのは日本人だけ。それは大昔に、「警察からのお願い」 なんていう、法的拘束力もなく、その通達の中身も意味不明な 「バイクに乗ったこともない御仁のご意見」が、始まりでした 。
天辺を塞がれた閉塞感のあるバイク環境、そのナナハンさえも試験は警察での一発試験のみだった時代。試験回数は地方では極端に少なく、試験官は、「合格させない」 意気込みで受験生に臨んでいました。
欧州でナナハンを見ると中途半端な感じがします。大昔の倫理の教科書にあった「中間人」 的な、子供でも大人でもない、大人子供?、子供大人?、いずれにしても、悶々とした印象を受けます、特に私は。
世界中に大型バイクをばら撒きながら、「危険だろう」、「ええ、そうかも」、なんてノリ(?)で、国内販売でナナハン以上を自主規制してきた日本の4大バイクメーカー。あの時代に世界的なレーサーが誕生しなかったのは無理がない事だった、と信じます。
「えっ、論理の飛躍?」、でも考えてみてください。世界的なピアニストが、家には居間に立てピアノがあるだけで、グランドピアノの響きも知らずに、どうやって世界のヒノキ舞台で弾ける技量を身につける事が出来るというのでしょう。
外圧の無い、何も制限されない、自由な環境の中で何をチョイスするのかはその人の勝手です。しかし、歳がある程度までいくと、昔は見えなかった呪縛のようなものを可視できるようになる事があります。