最初のバイクは、スズキ・ハスラー50(空冷)だったのですが、「もう一度乗ってみたい」 とは思いません。でも、「もう一度跨って、そこらをグルッと回ってみたい」 とは思います。
ただ、あんなに拘ったバイク、あんなに感激したバイク、あんなに楽しめたバイクなのに、細かいディテールをはっきり思い出す事が出来ません。「歳をとった」 ということでしょうか?
例えば、「初恋の女性に会ってみたいか」 と聞かれたら、「面と向っては会いたくないけれども、遠くからそっと今の様子を見てみたい」 とは思います。ちょっと、「似た感じがあるな」 です、この両者には。
「遠くの記憶」 って、あればあるで、ある種の 「精神安定」 の根拠になっているような気がしますが、目の前の新しい現実の数々と向き合うのが忙しくて、なかなかかまってあげられません。
「記憶」 は、どんどん稀釈されていくもの、いつかは昔のテレビ番組のエンドに流れた 「本日の放送は終了いたしました」 の後の 「電波の切れた状態」 の 「ジャー」 という雑音の画面の様に人の世の幕も下りるのでしょう。