ZZR1400GTR's Tagebuch(日記)

主に独逸・墺太利・瑞西・南チロルの欧州事情を発信。

冷戦時代の想い出 (5)

2013-04-17 12:16:27 | ZZR1400
「何処へ行くのか?」 は大きな自問です。それに 「自答」 するのか 「他答」 を参考にするのか、今回のバイク行は 「仕事絡み」 とは違いました。日曜の昼から明日の深夜までの5日間で何かを掴めそうな予感がしています。

冷戦時代の想い出 (4)

2013-04-17 12:02:05 | ZZR1400
国道9号線で印象に残っていたモノの一つ、今回も是非にも見たかった 「糸杉の様なもの」 です。ゴッホの絵の中で観た印象的な木、大昔にケンメリ(スカイライン)の宣伝で使われた北海道の風景の中にあった様な木、少し 「翳り」 が感じられて、しかし 「すっく」 と立っている姿にどこか 「凛々しさ」 があります。そんな木々を 「もう一度見てみたかった」 のです。 その木々はやはり24年も昔と同じくそこに立っていました。それが視界に飛び込んで来た時、胸が 「ドキッ」 としました。人は今の自分に 「迷い」 が生じた時、「変らないもの」 を訪ねたくなるのかも知れません。

冷戦時代の想い出 (3)

2013-04-17 11:42:48 | ZZR1400
国境前の最後の 「まともぽかった町」、改めて訪ねてみた感想は 「こんなに活気があったっけ?」 でした。国境を見に行った後で、この町のどこか 「場末な雰囲気の食堂」 でカツレツを食べてました。そのカツレツも、ウィーンで食す様な洗練された物ではなく、使い回した油で揚げたかのギトギトした一品で、今回は小半時も探したのですが、見つかりませんでした。その食堂を見つけられてもそこで食べるつもりは無かったのですが、記憶を確かめたかったのです。

冷戦時代の想い出 (2)

2013-04-17 11:24:23 | ZZR1400
この写真は旧チェコスロバキアのスロバキア側国境、現在は単にスロバキアの国境です。国境の建物だけが残っていますが、今は軍隊も警察も税官吏も居ません。ナンバー・顔認識のビデオ監視は有るようですが、基本的に双方向にフリーパスです。
当時はこの国境の遥か手前まで来て引き返していました。大勢の国境警備隊員たちが大真面目に監視していてあまり近寄りたくなかったからです。遠目でもピリピリとした緊張感が伝わってきて、弛緩した精神に渇を入れるような効能がありました。
同じ旧東側でも、旧東ドイツはバイクでの出入国が認められておらず、しかも観光ビザはチェコスロバキアの様に現地の大使館では取れず、国営旅行社を通してのみで2週間前後の時間がかかりました。しかし西ベルリンまで行けば、東ベルリン地区への一日観光ビザはすぐに取れました。
今回は短時間の内にバイクでオーストリア・スロバキア間を2回も行ったり来たりして隔世の感がありました。この世の中には、「絶対」 というものは 「絶対に無い」 と言える事例です。しかし人はその 「徒労」 に違いないプロセス(冷戦時代など)を経ない限り、次のステップには行けない者たちなのかもです。

冷戦時代の想い出 (1)

2013-04-17 10:39:11 | ZZR1400
冷戦時代の想い出、東西の隔たりが真近だった場所(地図中の旗地点)です。オーストリアのウィーンから空港を通り越しての国道9号線は右左に家屋やお店が点在する寂れた道でした。この先にはチェコスロバキアのスロバキア側の首都ブラチスラヴァがあって、事前に大使館に行ってビザを取らなければ国境を越えられないラインがありました。
先日、その国道9号線を再び走ってみました。最後に走ったのは89年だったと思います。あの頃のバイクはスズキのナナハンでウィーンナンバーが付いていて、今回はカワサキの1400GTRでドイツナンバーです。24年後に再びバイクでこの街道を走る事になろうとは、特に考えもしませんでした。感想を訊かれれば 「感無量」です。
あの頃のチェコスロバキア国境へのオーストリア人の常識は 「この先少なくとも50年間は閉じたままだろう」 が普通で、90年前後に行き来が自由化するなんて夢想だにしない人がほとんどでした。ウィーンには今も昔も大挙して日本人観光客が来ていますが、当時この街道を通る観光客はまず居ませんでした。
写真奥に高速道路の併記が見られますが、時代は移り変わり、西側に開国後に分国したチェコもスロバキアも今や欧州共同体の一員で、スロバキアでは既にユーロ通貨が使われ、互いの行き来も移住も就労も完全自由化されています。今回は空港迄だった筈の高速道路が隣国まで延びていて国道9号線を探しました。

遂に欧州でもバイクシーズン到来

2013-04-15 06:00:54 | ZZR1400
今回の欧州の冬は一ヶ月は長引いた冬でした。しかし、先週から雪が止み、雨が数日間降って、冬の間に道に撒かれた大量の塩が流され、一昨日から日中の温度は20℃前後で、しかも連日晴れの予報です。
ちょうど、先週末に女房の大親友の50歳の誕生日会があって、家族全員で招かれていました。ドイツ人にとって50歳は人生最大の節目、大抵の人は友人知人親戚筋を集めての大誕生日会(40人前後な規模)を、馴染みのレストラン等を借り切って開きます。プロの司会で催し物目白押し、料理も抜群な誕生会でした。
女房と娘はクルマで、私はバイクで向かって、日曜の昼に私はそのまま南下しています。女房たちは夕方まで大親友の家でノソノソしていたようです。一昨日は我々全員その大親友の家に泊っていました。
私が昨日に泊ったのはチェコの国境沿い(ドイツ領)にある古城ホテルで、牽引用のガレージを空けてくれてバイクを収めてくれました。田舎の人は本当に親切です。そこで今シーズン(アスパラのシーズン)3度目の茹でアスパラ(400g)を食べました。お酒は呑まずに、デザートを頬張り、仕事してました。
今日の午前中は「森鴎外」縁の地(ドイツで軍医研修を受けた周辺)を回ります。彼の文学に大きな影響や数々の題材を与えたドイツのこの地は、デーべン城周辺です。これも仕事なんですが、バイクで回っていると遊んでいるように見えるようです(笑)。