ZZR1400GTR's Tagebuch(日記)

主に独逸・墺太利・瑞西・南チロルの欧州事情を発信。

10万キロ走行後のギヤ ( 1400GTR )

2009-08-25 03:56:28 | ZZR1400

これは10万キロ走行後の 1400GTR のギヤの写真です。テスターは83日間で10万キロを走り、完全に分解した後の物です。「再びそのまま組み立てて、更に10万キロ走れる」 ような状態だったそうです。公道テストは主にドイツで行われ、期間中に走行不能になるような不具合はゼロ、分解・検証・再組み立てもドイツで行われました。

エンジンって、バラしてみると作った人(設計した人、部品を作った人、組み立てた人)の 「様々な想い」 が伝わってきます。このレベルのバイクになると、「この位でいいや」 のような箇所が見つからない、力瘤の込められた水準で、「工業製品」 というより 「作品」 と言う方がしっくりします。

例えば、同メーカーの20年前の GPZ900R でバルブクリアランス調整は約12000キロ毎、20年後の 1400GTR の調整インターバルは約4倍の長さです。材質も、工作精度も、組み付け精度も、それぞれが格段に上がった結果でしょう。

1400GTR は 50万キロだって OK なマシンかも知れません、タイムリーなメンテを怠らなければ。いずれにしても、30万キロはいけそうです。人生と引き換えにするようなお金を払わずともこのようなバイクを手に入れられる時代に生きていることはラッキーだと思います。

 


老眼

2009-08-24 08:06:30 | ZZR1400

40才過ぎたた頃から老眼の気はありましたし、既に老眼になっているのでしょう。遠くはハッキリ見えますが、近くはメガネをずらす動作が多くなっています。

今晩、久しぶりに 1400GTR でアウトバーンを流しに行ったら、写真の様にぼけて見えたのには驚きました。遠くは相変わらずハッキリ見えますが、このオレンジ色っぽい計器類に焦点が定まらなかったのです。クルマを夜に運転しても同じような症状が出ないのは何かの条件が違うからでしょう。

いずれにしても健眼に努めようと思いました、焼け石に水かも知れませんが...

 


受け継ぐもの !?

2009-08-24 07:24:19 | ZZR1400

先々日は、女房の実家に寄って、その後で皆で女房のおじさん(父親の弟)のとこに行きました。お昼をご馳走になって、バイクの話しになったら、おじさんが私に、「大昔に乗っていたバイクのキーをお前に譲る」と言い出し、私にくれました。このバイクについては、以前に以下の様な記事を書いています。

http://blog.goo.ne.jp/zzr1400_2006/e/7f956d71b044417e3944ec9fc672e4d3

彼は、1956年から1968年までこのバイクに乗っていたそうです。この当時のバイクのキーは皆同じ。長く駐車する時には出先でもカバーして、それでも心配だからプラグコードを引き抜いて持って歩いていたとかの話で盛り上がりました。

当時のガソリンの値段は1.6マルク前後、ユースに泊まると2マルクだった時代。彼もユースを多用したようですが、バイクがまだ大変に高価だった時で、貧乏な若者支援目的のユースでは 「バイカーお断り」 だったそうです。そこで、彼は近くのガソリンスタンドにバイクを置かせてもらって、徒歩でユースに行ってチェックインする業を編み出しました。

当時の2サイクルエンジンは分離給油なんて仕組みは無く、最初からオイルを混ぜたガソリンを手に入れるか、混ぜる機械のあるガソリンスタンドで給油するか、最初にオイルをタンクに入れてからガソリンを攪拌するように勢い良く給油する工夫が必要だったようです。彼のバイクのガソリンとオイルの割合は、25 対 1 です。

このキーは、綺麗に磨いてから 「お守り」 にでもしようかと思います。