前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

60.(前頭側頭型の夫)57歳から62歳までうつ状態だった

2013-05-03 02:11:36 | 前頭側頭型認知症

明日5月3日から5日まで、夫久しぶりに外泊してきます。

長女が帰って来てくれるので、心強いです。ありがとね

ここの所冬型の気圧配置で、最高気温が7度か8度くらいしかありません。
夫に風邪をひかせないよう気をつけないと。


他の方のブログをみたり、コメントを書いたりしていて、夫の事を改めて振り返り、書き残しておく。

夫、57歳(2006年)でうつ状態を発症し休職して
その後60歳(2009年)で退職。
63歳で前頭側頭型認知症と診断された。

このうつの期間ももしかしたら、前頭側頭型認知症の発症時期だったのか?

60歳ころまでは、とても几帳面な人だった。
もともとレコード収集(ロック、カントリー、ジャズ等)をしていたが、デパートやuniqloに連れて行くと、必ず何か買う人だった。私は普通自分の気に入ったものがなかったら買わないと思っていたので、何故行くたびに買うのか聞いたところ
、「年を取ったら買えなくなるから今から買っておく」といっていた。「その時々で流行があるから、今から買っといても、その時合わなくなるよ」と言っても聞きませんでした。
      このことを、考えると、前頭側頭型の強迫観念にかられての
      収集癖にあたるのかな ・・・・・ ?です

同じころ、会社で、
計算ができないと言っていた。私は鬱の症状だと思っていた。もちろん夫も、心療内科の医師もそう判断していたと思う。

その時は脳の検査はしていない。その時脳のMRI・CT・脳の血流検査をしていたら、どんな診断がくだされていただろうか?

もともとレコードを収集するために、市内のあちこちの中古レコード屋に自転車で出かけていたが、57歳ころから、あまり出かけなくなっていた。
お金の心配をしていた事もあると思う。

休職中は、給料が支払われていたが、それから天引きされるものを、私が夫の会社に振り込む、会社に出向いて、夫の病状を報告がてら、その他の事務手続きをしていた。

そのうつになった原因:
    
転職(異動希望を出し、同じ会社の全く違う系列会社に)
    と、糖尿病治療の几帳面な対応をしてきたことのストレス?


頭を抱え込むほどの頭痛で、仕事先(24年勤続)から日赤に同僚が連れて行ってくれた(ストレスと高血圧から来た肩こりと頭痛と診断)ころから、仕事のストレスを解消したいと考えて、姑と策略(コネ)を巡らせ、誰かに異動を叶えてもらったらしい。

ところが、異動した先は、
夫が不得意とするコンピューダーにcadで図面を入力する業務だった。毎日、「できない、できない(マウスで円等の図面を描き、数値や単位の入力をする、他の部署にメールでできた図面を送信する)」、「自分より年下の若いもんに怒鳴られて馬鹿にされて」と、愚痴を言うようになった。

私は「自分で選んだことだもの頑張れ」と激励し、パソコンの事を少し教え、cadの本も立ち読みしてみた。どうも実際具体的に現場で必要に迫られてやらないとできないような工業系の、そして、その会社独自のソフトの入力の仕事だったので、私が協力しようにもできない事だった。なので、大変だなと思うもののどうしようもない。

それ以前から
夫は不器用で、私のパソコンのマウス操作もギコチなかった。
パソコンと言葉を聞いただけで苦手を意識するようだった。
自分で機械音痴を自認していた

私とよく喧嘩をしたのも、そこで、ビデオやテレビが新しくなっても、自分で操作を覚えようとしない、取扱説明書を読もうとしない人だった。
「読めばわかるじゃない!」と言うと、「どこを読めばいいかわからない」と言う返事が帰って来るので、「はあ?」と頭にきていた。

    今思えば、これも認知症の始まりだったのかもしれないと思うが、 
    
その頃は、こんなに機械に苦手意識のある人もいるんだ呆れる
    だけだった。


そんな夫だったので、
どんどん追い込まれ、
眠れない、食欲が落ちてきた。会社の同僚とは、同僚として上手く会話ができない孤立感にさいなまれていたようだ。

そして
、「死にたい」「会社を辞めたい」と口にするようになった。でも、その頃、子どもたちは大学に二人通っており、私がパートをして仕送りと生活とどうにかバランスを保っていられる状態で、夫に仕事を辞められたら困ることになると思い、「辞めないで、頑張って、大丈夫慣れてくれば出来るようになるから」と、励ましていた。

         とうとう、夫の様子がおかしくなった。もうどうしようもなく
         辛くてやり場のない気持ちで、私に灰皿(夫はたばこを
         吸わないが何故かその時はテーブルにあった)を投げ
         つけてきた。私は夫が壊れそうだと思った。


  夫を説得して、糖尿病に通っている日赤の主治医の所に夫と一緒
  に行き、夫の状況を話して、心療内科に即診察に行くように進めて
  戴いた。

  そして、そこでの診断で、うつ状態で治療のため静養を要するという
  事になり、休職することになった。


そして、うつ状態の治療が始まった。
  
治療は、カウンセリングを受け、話を聞いてもらい、脳を休める薬、
  不眠の改善のために薬を飲むといくことだった。
  後は、家でゆっくり自分のしたい事をしてすごす。家族はしたくない
  ことは無理強いしない。(もちろん、無理強いしません)
  静養が目的なので、無駄な外出は避ける。
  (糖尿病治療のための散歩はOK)


この治療期間、夫は
職場に関係したTV番組を一切見ませんでした。ニュースに関係した映像が出ると、チャンネルを変えていました。

    その頃から、
クラッシク音楽を聞くようになり、CD・レコードを集めるようになり、BSのコンサートを録画しては、好きな音楽家の演奏を繰り返し観たり聴いたりするようになりました。

前頭側頭型認知症になってからは音楽を一切聞きません。音がうるさいと感じるのでしょうか?今回の外泊で音楽を聴くか試してみたいと思います。

    また、もともと怖い映画、ホラー(私は大嫌い苦手)やサスペンスが好きな人で、それが、
映画の趣味がホラーは無くなり、サスペンス一本になりました。そして、あまり本を読む人ではなかったのですが、推理小説ばかりを古本屋からどっさり買ってきて読むようになりました。ここでも、収集癖が見られ、同じタイトルだけど、カバーの挿絵の気に入ったものにこだわって買ってきました。

今思えば、この収集癖のころ、すでに前頭側頭型認知症だったと思います。
夫の部屋を片付けていると、同じtitleで同じ演奏家同じ曲のCDがでてきます。
今も封を切らないままのCDがそのままです。そのころの言い分が、洋服を買う時と同じで
、「歳を取ったら買えなくなるから」でした。

この「年を取ったら買えなくなるから」と言うのは、強迫観念に囚われていたという事なのでしょうか?
そのころから、私が夫の変な所と思うところでした。


不眠の治療とうつの治療で
   トレドミン、デパス、トリプタノール、マイスリー が 処方されていた。

その他内科の薬(高血圧・糖尿)
   ザイロリック、チラージン、プロミネント という薬を飲んでいた。


この頃(2006年~2011年)は、薬もインスリンも自分で管理できていた。

2012年春頃から、薬の飲み間違い、飲み残し、二重飲み、
インシュリンの量や種類の間違いが、起こるようになり、
夫はパニックを起こすようになりました。それでも、何とか
自分で主治医に電話し相談できていました。

いつから、正常な判断ができなくなったのか?
やはり、あの低血糖で救急搬送された時が境目だったのだろうか?
でも、あの後もの凄く水を飲むようになってきて、失禁(夜間)が始まって・・・。
だとしたら、あの低血糖が原因だったら、その低血糖の原因も私のせい?
それとも、糖尿病が悪化して、合併症として起こったこと?
わからない・・・・・・・・・・

過去の事を考えて悔やんでも、今の夫の症状が良くなるわけではない。
前向きに考えよう!

今日3時30分までに病院に着くようにしないと、そういう約束だけど、おそらくまた15分くらいまでに付いていないと、電話がかかって来るだろう。そして機嫌が悪いスタートになってしまったら、私のイライラを止めるのも難しくなる。
心を広くゆったりと構えて、夫に合わせて過ごすことに集中しよう!

と言っても、明日私の好きなhand made の 多数出展している所に行ってくるのだけど、私のストレル解消と、娘の迎えと、姑娘の朝食昼食づくり、夫の迎えと、上手くこなせるかな。
やるしかない! 自分の楽しみも大事にしよう! 
がんばるぞ~! お~