「噓をつくな! 正直であれ」この言葉は、日本人として小さいころから、両親や学校であれば先生から教えてこられて、当然のこととして受け入れている。 社会に出て、人間関係でも、恋人、友達、職場、取引先、お客様において様々な人との接触がある。そこで、普通であれば、長い間に信頼関係が生まれて、肩をたたき合う、抱き合うような関係が生まれる。 しかし、その関係の中に、「嘘」が入り込んでくると、どうなるか? 許せない、信用できない、口もききたくない、顔も見たくない等々。 良い関係が崩れていくのが普通であろうと思う。 ところで、お隣の國はどうであろうか。韓国、北朝鮮は朝鮮民族という。 慰安婦問題で一昨年の12月に日韓合意の不可逆的合意にもなっているにもかかわらず、大統領選挙で野党の文在寅大統領が誕生したとたんに、合意見直しの声が出てきた。 やっぱりなーー。 韓国人は、平気で噓をつくという。でも、韓国人にとっては別に大したことではないのだろう。 韓国人は、相手がどうなろうとも、自分さえ良ければそれで良い。ということであろうか。『騙される方が悪い』。 という考えであるのか。 慰安婦問題でも、どれだけ日本は韓国に騙されてきたことか。慰安婦問題は、朝日新聞が「嘘」と認め、取り消しているにもかかわらず、政治利用し、 今でも、全世界に拡散させている。 この問題については、日本政府も覚悟を持って韓国の言いなりにならないようにしてほしい!! 元に戻ってみよう。そもそも、日本人と朝鮮人との違いは何なのだろう? それは、根本的に違う? 霊性ーーー。 霊質ーーー。 が、違っているのではないのかと思う。
ゼフィランサスの花ほが咲いた。 我が家のマンションの前にある学校の斜面に、去年と一昨年に種を撒いた。 学校の斜面には当然ですが、雑草がいっぱい。 その斜面は、3メートルほどコンクリートの斜面になっておりおいそれと種を撒けない。 どうしたら我が家から、まいた種が美しく咲いてくれるのが見えるように、種を撒けるか? 種を手に一杯握って放り上げても届かないのである。軽くてコンクリートの上以上の土に届かない。水を付けて放り上げても駄目である。 考えた末に実行した方法はーーー水を入れたバケツに種を1000粒ほど入れて、思い切り放り投げた。 その方法を2年繰り返した。 そうしたら、今年になってやっと咲いてくれた。16本もの花が咲いてくれたのである。ただ少々自宅から離れているため大きくは見えない。 ちょっ残念。 花の咲いている場所は、斜面とコンクリートが接する、すなわち水が溜まり芽が出やすい場所だけに固まって咲いていてくれた。それでもいい。 嬉しいですね。また来年からは見られるものね。そして、球根がどんどん増えて行ってくれれば、花が咲いているのが他人にも気が付いてもらえるようになると思う。 そうなるには、10年くらいはかかるであろう。その頃には、もう自分はこの世にいないであろうと思うが、それでも良い。人々が喜んでくれれば。