カモさんありがとう

我が家の近くに池がある。小さくて、また、水が濁って汚い池。そんな池にも生き物はいる。鯉と亀です。秋には鴨が飛来してくれる

老いを見つめて(2)--「葬送」

2016-10-31 17:23:48 | つぶやき
平成28年10月27日 に薨去された三笠宮さまは昭和天皇の弟にあたり、100才で皇族最高齢でいらっした。新聞の報道では飾らぬお人柄であったそうな。                                                                                                                                        三笠宮さまには三人のお子さんがおられたが宮さまより先に亡くなられてしまった。親として子供が先に先立たれることはどれ程悲しいか。大変な親不                                                                      幸と言われている。皇族の方であろうと、市井の人であろうと胸中は同じのはずであろう。 親からすれば、また、年上の者からすれば、順番が違うと言                                                                     いたいはずだ。 特に我が子が、幼い子供であればあるだけ悲しみも大きいはずである。                                                                                                  私は、先週の19日に姫路の義弟の葬儀に参列した。そしてまた、昨日30日にも、娘婿の父が亡くなり金沢まで行ってきた。二週続けて喪服に身を包んだ                                                                     ところが、この二人ともが自分よりも年下なのである。やはり順番が違うと言いたい。私は再婚であるが、先妻のは56才で亡くなっているのである。                                                                      また、実の弟は52才で亡くなっている。葬送した四人とも私よりも年が下なのである。 家内と弟の死にめには 立ち会うことができた。 だが、残され                                                                      た家族の悲しみは計り知れない。 この世の修行を終えた人達はまたあの世の神様の御用や修行が待っている。決して跡形もなく消えてしまうものでは                                                                      ない。 私の妹のように、死んでしまえば「無」になると思っている人間もいるが、人はまた、生まれ変わりこの世に生まれてくるのである。                                                                          この世に、未練は持たない方がよい。修行の妨げになるだけだ。人が亡くなり悲しいのは分かる。でも、いつまでもいつまでも、悲しんでいては、                                                                        亡くなった人の修行の妨げにもなるのだ。前を向いて歩こうではないか、その方が、故人も喜ぶはずである。                                                                       

「老い」を見つめて(1)ーー「老い」

2016-10-28 15:23:59 | つぶやき
「老い」とは。--国語辞典には、「老いること」「老人」とある。                                                                                                            それでは「おじいさん」「おばあさん」は、男の老人の敬称,老女の敬称。とある。 じいさん、ばあさんはいずれにせよ老人と解釈すべきか。                                                                         それでは、何を持って、「老人」なのか? 一番わかりやすいのは、なんといっても、肉体の老化現象であろう。年とともに、運動能力の低下、そして                                                                      肉体のあちこちが痛み始めることでしょう。 医者に行っても、「年ですわ」この一言で病人なってしまう。実に腹立たしい。 そんな一言を聞き                                                                        に来たのではないのだ。原因が何であるのかを知りたいのに。実に、馬鹿にした医者の言葉である。                                                                                             
もう一方は、精神的なダメージを受け、心の病が肉体を支配し肉体の劣化が始まってしまうのである。 本人は気が付かずとも、姿勢のゆがみ、皮膚の衰                                                                      え。顔の生気が消える。体全体の元気のなさ。いろいろあるはずである。                                                                                                         人間誰でも、20才を過ぎると老化が始まるといわれる。生まれて乳児期、幼児期、少年期、青年期、中年期、壮年期、等をへて高齢者の域へとつき進                                                                      すむのである。高齢者も今は、後期高齢者にも分かれている。                                                                                                              いずれにせよ、遅かれ早かれ、老人化へと進む。                                                                                                                    人は長生きしようともがく。そのために、運動したり、薬を飲んだり、いろいろ苦労し生きていく。                                                                                             それはそれでよい。 ところが、人の命は、一瞬にしてこの世から消えてしまう時もあるのだ。 自分がいくら一生懸命努力して、長生きしようと努め                                                                      ていてもである。ここをしっかりわかっておかないとこの世に未練を残すことになってしまうのである。 常日頃精進し、陰徳を積むことも大切でしょ                                                                      うね。あの世から、ご先祖さまも、神様も見ていらしゃる。

懐かしい音を聞いた

2016-10-27 20:07:54 | つぶやき
懐かしい音が聞こえた。カラコロ、カラコロ。ちよっと古い人間なら、ピンとくるでしょうね。そうです、下駄の音です。自分の頭の中には、「下駄」の                                                                      字は消えて久しい。それこそ、小説の中の一コマにしか出てこない。それが、この音に振り返ると、男性で50代半ばと思われる人が歩いていた。やは                                                                      り珍しいですよね。人は振り返ります。                                                                                                                        何年振りでしょうか。 自分のことを思い出します。もう、50年ほど昔のことです。新婚時代のお正月に、嫁さんと一緒に着物姿で神社に下駄を履                                                                       いてお参りした記憶がある。それも5年くらいだったでしょうか。 当然ながら今は残っているはずはありません。古き良き時代のことです。                                                                         靴が当たり前になってしまって、どこの家庭にも今は男性用の下駄は無いのではないのでしようか。  お店屋さんも、スーパでももう売っていません。                                                                     若いアベックでもいい、また、年老いた、老夫婦でもいい、そろいの浴衣姿で、下駄を履いてお祭りの中に見たいものである。                                                                                           

認知症の始まりか? ショック!!!!

2016-10-25 19:50:54 | 日記
大きなショック。                                                                                                                                   この年になると、物覚えも悪くなるし、思い出すのも苦労する。 今日のお昼前、ふと、息子の名前が頭に浮かんだ。何故かわからないが。                                                                           そして、名前をつぶやく。ムー。漢字は、ひらめかない。エー、一呼吸おいて、こうだった。と。自分の息子の名前の漢字が、すらっと出てこなかった                                                                      のだ。 まったくもってショックであった。                                                                                                                      認知症の第一歩か? とにかくショック。                                                                                                                                                                                                                       

とかくこの世は住みにくい

2016-10-24 12:50:09 | つぶやき
夏目漱石の小説の「草枕」だったか『智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、--------とかくに人の世は住みにくい。』という書き出しがある。 本人証明でも、事が運ばない。                                                                                 NTTドコモの携帯電話の支払いが今まで銀行口座からの引き落としであっつた。ドコモのDカードを作成していたが、カードを持っていても使用しないため解約をした。                                                                                           ところが、このDカードという代物が曲者であった。口座引き落としがセットになっていたというのである。解約したため、利用代金がNTTファイナンスから紙の請求書が届くようになった。                                                                               三か月ほどコンビニに支払いに行った。便利に慣れた生活のため、持参するのが面倒になってきた。それに、紙ベースの請求書では一回一回100円の発行手数料がいる。 銀行口座からの引き落としにしたい。                                                                       そこで、ドコモへ電話と請求書を持って。長い時間待たされて事情説明。 受付から電話の契約は誰かかの質問あり。 契約は娘で自分のは家族名義のはずだ。                                                                                             すると、「謄本」が必要、親子関係 が間違いないか調べるとのたまう。 電話料の支払いで銀行の口座からの引き落としに「謄本」が必要とは。愕然とする。 娘からの委任状も必要とのたまう。                                                                            自分名義の通帳、電話料の請求書、本人確認資料を提示したのにもかかわらず。                                                                                                                                 なぜそこまで、する必要があるのか。本人を確認できるのに。不満一杯。                                                                             それでは、なぜそこまでする必要があるのか? 根拠は何か質問した。                                                                              ドコモの回答---法律にもとずいて、確認している。とのたまう。
                                                        それでは、その法律というものを、提示してくれ。申し入れ。                                                                                  ドコモ --なんだかんだと言って、出してこない。                                                                                       いい加減にせい。 怒って席を立つ。 本人でも出来ん。 住みにくい世の中になったものだ。