ほぼ日の中で「新撰組!」を途中(25回放送)から見て楽しみつつ、糸井重里他があれこれ言うという連載があって、、とてもおもしろい。私も先日妻に教えられてまとめて読んだんだけど。
文字も多いし、他の記事どうように尋常でなく改行が多いので読むのはしんどいですけど、でもおかしいです。気づいていなかったこととを教えられたりします。
我が家くらいシンプルなシステム構成のホームシアターってけっこう稀だと思いますが、それでも接続されている線はそれなりの数になります。ラックが部屋の端にありながら隣室との境界線も兼ねる位置にあるので、和室からラックの裏を見ることも多い。そうするとちょっと手術中のハラワタのようなケーブルの余りがちょっと気になる。で、そこいらにあったダンボールを切って、はみ出しケーブルをぎゅうぎゅうと押し込んで見ました。あらすっきり(なのか?)
ちょっと前に「音と映像が同じ筐体にあるのは気持ち悪い」とかいう話題がありましたが、このダンボール『筐体』には音と映像と電源とアンテナ線までが混沌と詰め込まれております。電源ケーブルとスピーカーケーブルの余りがDNAの二重螺旋状態でからまっていますが、どれくらいハムを拾うものでしょうか。楽しみです。
文字も多いし、他の記事どうように尋常でなく改行が多いので読むのはしんどいですけど、でもおかしいです。気づいていなかったこととを教えられたりします。
我が家くらいシンプルなシステム構成のホームシアターってけっこう稀だと思いますが、それでも接続されている線はそれなりの数になります。ラックが部屋の端にありながら隣室との境界線も兼ねる位置にあるので、和室からラックの裏を見ることも多い。そうするとちょっと手術中のハラワタのようなケーブルの余りがちょっと気になる。で、そこいらにあったダンボールを切って、はみ出しケーブルをぎゅうぎゅうと押し込んで見ました。あらすっきり(なのか?)
ちょっと前に「音と映像が同じ筐体にあるのは気持ち悪い」とかいう話題がありましたが、このダンボール『筐体』には音と映像と電源とアンテナ線までが混沌と詰め込まれております。電源ケーブルとスピーカーケーブルの余りがDNAの二重螺旋状態でからまっていますが、どれくらいハムを拾うものでしょうか。楽しみです。
寛容シアターは、電線間の相互作用などは如何でも好いのだろうから、それはさて置き、といいつつせめて電源線は別にせよ、なんて無粋なことも言わないが、見た目の綺麗さが音と絵の良さにつながるのは確か。臭い物に蓋をしても遺憾よ。不要な電線(多分無いだろうけど)はきっぱり外し、少し余裕ある程度の長さの電線に交換すれば、も少しすっきりして、ダンボールも要らなくなるするはず。
臭いものに蓋はあまりにも的確すぎる表現だ。
ケーブルはその辺にあった余り物が主体なのでみんな長すぎるんだよね。特にアンテナ線(丸まらない)とスピーカーケーブル。スピーカーケーブルくらい自分で短くすればいいようなものだけど、線を剥くのがけっこう苦手でなあ。
そのうち最適な長さのに買い換えます。
身近く → 短く