Zapf 2004-2011

2000年代の暮らし。自転車・ゴルフ・Yセツ・城・リコーダー....
今に続くいろんなことが芽吹いた季節

伊予松山城 現存天守 3/12

2011年02月28日 | 旅行
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石垣を修理中・・・・・かと思って近づいていったら、ちょっと違いました。
でも石を削って、組み合わせるという手作業自体は昔も今も同じかな。




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ここから先は有料です。下の方でゆるキャラがお出迎え。





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門や、櫓の名称、覚えられません。



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狭間から覗く。




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天守の石垣。端正です。ごく最近の修復後でしょうか。ちょっときれいすぎ。





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宇和島城もそうでしたが、玄関は唐破風というのが多いようです。


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松山城といえば、二の丸から本丸に向かって斜面に延々と築かれた登り石垣と聞いて、見るのを楽しみにしていましたが、通常の観光コースだと見られないようですね。調査不足でした。




道後温泉本館

2011年02月19日 | 旅行
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松山市内の一番の繁華街から路面電車で2km少々。

小説の「坊ちゃん」でも温泉には電車で通っていた。
昔の人の足なら充分徒歩圏内だ。


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三脚など持たないので、夜間の撮影では、手近な電柱やガードレールに
カメラを押し付けて手ブレの減少を図る。(基本フラッシュは使わない)

最近のカメラは暗いところには本当に強い。
これらの写真の風景や空の色は実際に目でみたよりかなり明るく鮮やか。



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神の湯二階休憩所。お茶とお菓子をいただく。

浴槽は深かった。立って歩く私の胸の下くらい。
小学生なら溺れます。


遊子水荷浦の段畑

2011年02月15日 | 旅行
宇和島城から車で30分ほど。

伊予と豊後をえいやっと手で引き裂いた時に偶然出来た儚い切れ端のような半島の先に
この景色が見えてきました。
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貧相な丘の斜面につけられた邪な横縞もよう。


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丘の麓にたどりつきました。

車を止めて、写真を撮っていると『段畑を守ろう会』という看板の小屋からおじさんが出てきて、
『上まで登ってぐるっと回って戻ってくる道があるので行くとよい』とのこと。

ちょっとこの高さはきついなあと躊躇したが、せっかくなので行けるところまで行こうと歩き出す。



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美しい幾何学模様に胸が熱くなる。

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僅かなジャガイモを耕作するための僅かな平地を求めて、この険しい斜面に石を重ね続けた人たち。


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今は、斜面にか細い鉄の道が渡され、収穫の時にはそのレールの上を50ccのエンジンを積んだ小さなトロッコが荷を積んで走る。らしい。

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段畑をにカメラを置いて記念写真。うっかり後ろに落ちたら大変。



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自分ではすごく楽しく写真を撮っていたのだが、こうして並べると見ている人は飽きるかも知れない。すまん。



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40分ほどで地上へ。
守ろう会の方に、歩いている最中に浮かんだ疑問をいろいろ投げかけてみる。
そもそもこれだけの石はどこから来たのか。など。

これからも可能な限り保存に努めていただきたく、若干だが寄付金箱に寄付を入れて、岬を後にした。

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今回は「駅からレンタカー」が大活躍。




伊予宇和島城  現存天守2/12

2011年02月14日 | 旅行
愛媛県宇和島市丸の内1丁目

宇和島駅から城山の下までは直線で500mくらい。
お昼ごはんを駅近くの焼肉屋で食べていると、窓から天守が見えました。
小さな町の小さな城山。
いつでも見えてる天守閣。ちょっと憧れます。

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城山への進入ルートは北東の武家長屋門か、南側の上がり立ち門の2つ。
これは駅に近い北東側です。




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最初は緩やかでしたが徐々に勾配がきつくなります。
責め難くするために、急勾配にして、段の高さもあえて不揃いにしているとか。





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とはいえ、小さなお山ですから10分足らずで本丸下に到着。
妻の大きさから計算して、高さ7mくらい。なかなか逞しい感じの打ち込み接ぎですが
ほとんど加工なしの石も多く見られます。





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枡形を過ぎて振り返ると天守が見えます。





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一之御門跡のきれいな石段を上がると山頂です。
小さくてかわいい天守。独立式層塔型三層三階。
翌日行った松山城にはこれよりも大きな櫓がいくつもありました。


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少しでも迫力がある写真は撮れないかとアングルを考える。




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天守の石垣。




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唐破風の玄関。





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お約束の構造模型。





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3階天守から宇和島湾方面を眺める。
今では埋め立てられて、海岸までは500mくらいありますが、
当時は西南側が海に面していて、堀にも海水を引き込んでいた海城でもあったそうです。





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二の丸の方へ下っていく道脇は野面積み。


二の丸は公園になっていて、お年寄り達がのんびりと午後を過ごしていました。
ちょっと道を尋ねたら、親切に教えてくれて、最後に「またきてくださいねー」と言われました。ほんと。是非また来たいですね。それにしてもあの老人達、よく石段を登ってあそこまで登ってきたなあと、あとから感心しました。




来応寺

2011年02月08日 | 旅行
愛媛県宇和島市宮下甲1102番地

伊予の戦国大名、西園寺公広の菩提寺だそうだが、もちろんその者は知らず。

義父の逝去をきっかけに墓地を訪ねた。

妻も8歳から10歳の頃、宇和島で生活していたこともあったらしいが、
例によって写真も何も残っておらず、なぜかその後40年間一度も訪ねることなく時は流れ
記憶自体もかなり風化していた。



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今回は、その地でお墓を守ってくれている従姉妹と事前に連絡を取り合い案内を乞うた。

宇和島を離れた後に生まれた10歳年下の従兄弟とは妻も今回が初対面。

おっとりほんわかした雰囲気や、顔の骨格が似ていて笑った。


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東京では考えられない広い墓地。
丘陵地の一番高いところがいいだろうと、この場所を選んだそうだが、
それから墓地はどんどん高地に広がり今では墓地全体の中腹あたりに位置している。

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墓地に亡父の愛用品を備え、お参りをした。

義父は本来であれば、この墓地を引き継ぐ立場であるのだが、
利便性を考えて亡くなった浦和の地に新たに墓地を構えた。



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建立は大正二年と読み取れた。
1913年。袁世凱が中華民国の大総統に就任したり、春の祭典が初演されたりしている。


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本堂はそれほど古いものではない。



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門はそれなりに歴史を感じさせる。



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短い墓参だったが、喜んでもらえただろうか。