切絵図・現代図であるく 持ち歩き 東京江戸散歩。
人文社という古地図専門みたいな出版社が出している江戸切絵図の複製本。
元々はA4ワイド版という大型サイズだった本をA5よりちょっと大きいくらいのコンパクト版にして
持ち歩きを容易にさせたものを購入した。1600円。
本は小さくしたいんだけど、地図は小さくしたくないという要望をかなえるために、
地図のページをすべて本の左右2倍の大きさにして、二つ折りにして綴じている。
製本の専門用語で言うと「全部の折が片観音」ということ。
まあ写真で見てみて下さい。
家に一人だったので、床に置いて両足で押さえて写真取りました。
左が江戸地図、右はその場所に相当する現代地図。
真ん中に丸まっているのは、その範囲にある寺社や遺跡などの「寄り道情報」
こんな地図が40枚収蔵されているのだが、とにかくとても面白く、
いつまで眺めていても飽きない。
自分が勤めている会社の周辺、よく通る道など身近なところから、その場所が
江戸時代はどうだったのか、まさに地図の中でのバーチャル江戸散歩が体験できる。
そんでだ。
話は別の本の話に変わる。
昨年の暮れに、こんな本を読んでいた。
高田郁。『みをつくし料理帖』というシリーズ本で、今のところ4冊出ている。
大阪で不幸な震災に遭い、江戸に流れてきた少女「みお」。
天才的な味覚とセンスを兼ね備えた少女は飯田町の小さな蕎麦屋で
料理人として働き始める。
様々な苦労や、大店の妨害に遭いながらも周囲の暖かい応援を受けながら
「つる家」を江戸で一番の料理店にすべく、自らも成長していく。
みたいな?
ちょっとマンガっぽい展開も多いんだけど、悪気のないストーリーで楽しめる。
一話ごとにテーマになる料理があって、これがまた旨そうなんだ。
そんでだ。
この本の舞台は先ほども書いたけど「元飯田町」の料理屋「つる家」。
文庫本の最初に、この小説の主な場所が簡単な見開きの地図で紹介されているが、
「つる家」があるのはこんな場所らしい。
九段坂の下にある俎橋の近くの元飯田町。
年が明けて、東京江戸散歩を眺めているうちに、つる家の場所を探してみようと考えた。
九段坂下の俎橋はすぐに見つかった。
ここだ。
江戸時代の地図には「北が上」というルールはない。
地形に合わせて見やすい方向に書かれている。
上の地図だと、北はほぼ下の方向になる。
そこで、見やすくするために先ほどの文庫本(北が上に書いてある)を180度回転して
江戸古地図と向きをそろえてみる。
橋の右手前が「町民の居住地」を表すグレーで塗られている。
ここが小説の「元飯田町」だろうと確定できた。
で、ここは現代で言うとどこら辺かというと、ここになる。
都営新宿線の九段下駅のすぐ脇。
中央に今でも俎橋という表記がある。
右上のお堀の向こうに日本武道館。お堀のカーブの具合もぴったり合致する。
俎橋から靖国通りを左に行くと神保町。その先が神田だ。
江戸の町話にはおあつらえ向きの場所と言える。
「つる家」が俎橋の袂で、靖国通りに面した場所にあった。
(つる家は小説の中の存在で、江戸時代に実際にあったわけではありません)
つる家の場所を確定できた満足感の中で、現代図を眺めていると、あることに気づいた。
文庫本の地図で、つる家の後ろに「清右衛門邸」というのがある。
清右衛門は「みおつくし料理帖」の2巻目から登場する戯作者で、つる家の常連。
版元の坂村堂と毎日のように店に現われる。
非常に毒舌で辛らつな言葉をみおに投げつけるが、みおの料理を最も買っている一人でもある。
で、もう一度現代図の地図でつる家があった場所の下を見るとそこには
馬琴宅跡、滝沢馬琴宅跡の井戸という文字が。
滝沢(曲亭)馬琴といえば言うまでもなく南総里見八犬伝で知られる江戸を代表する読本作家。
「みおつくし料理帖」の清右衛門には馬琴というモデルがいたんですね。
ひょっとすると、先に馬琴の何かのエピソードがあって、そこから「みおつくし」が
生まれたということも考えられそうだ。
最後にもうひとつ。
この日記の前に書いた「深光寺の石仏群」というタイトルの日記の「深光寺」が
馬琴の墓地である。
そのことは日記中でも記述したものの、その時点では、読んでいる本の登場人物と
馬琴の関係はもちろん気づいてはおらず、本当にたまたま偶然に立ち寄った寺だった。
それから、たまたま買った地図帳に導かれて、「みをつくし」と「江戸切絵図」と「俎橋」と「馬琴」が
きれいに繋がっていく。
おもしろいねえ。
自転車で行ってみた俎橋。