Zapf 2004-2011

2000年代の暮らし。自転車・ゴルフ・Yセツ・城・リコーダー....
今に続くいろんなことが芽吹いた季節

長期間ご利用がないブログの編集機能停止について

2022年08月05日 | blog


【重要】長期間ご利用がないブログの編集機能停止について

今後のより快適なサービス利用や運用上の安全性向上のため、長期間ご利用のないブログの編集機能停止を実施させていただきます。
引き続きブログをご利用いただける場合には下記にある編集機能が停止となる期日の前までに新規ブログ投稿をお願いいたします。

■対象となるブログ
3年以上、新規投稿・記事編集のないブログ
無料プランのお客さま


というメールが事務局から届いたので引き伸ばしのために新規投稿。
11年6か月ぶりの投稿です。
いろんなことがあったようななかったような。

2021年6月の尾瀬。
1年後の2022年7月、後ろに見えている至仏山に一人で登りました。



伊予松山城 現存天守 3/12

2011年02月28日 | 旅行
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石垣を修理中・・・・・かと思って近づいていったら、ちょっと違いました。
でも石を削って、組み合わせるという手作業自体は昔も今も同じかな。




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ここから先は有料です。下の方でゆるキャラがお出迎え。





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門や、櫓の名称、覚えられません。



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狭間から覗く。




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天守の石垣。端正です。ごく最近の修復後でしょうか。ちょっときれいすぎ。





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宇和島城もそうでしたが、玄関は唐破風というのが多いようです。


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松山城といえば、二の丸から本丸に向かって斜面に延々と築かれた登り石垣と聞いて、見るのを楽しみにしていましたが、通常の観光コースだと見られないようですね。調査不足でした。




道後温泉本館

2011年02月19日 | 旅行
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松山市内の一番の繁華街から路面電車で2km少々。

小説の「坊ちゃん」でも温泉には電車で通っていた。
昔の人の足なら充分徒歩圏内だ。


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三脚など持たないので、夜間の撮影では、手近な電柱やガードレールに
カメラを押し付けて手ブレの減少を図る。(基本フラッシュは使わない)

最近のカメラは暗いところには本当に強い。
これらの写真の風景や空の色は実際に目でみたよりかなり明るく鮮やか。



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神の湯二階休憩所。お茶とお菓子をいただく。

浴槽は深かった。立って歩く私の胸の下くらい。
小学生なら溺れます。


遊子水荷浦の段畑

2011年02月15日 | 旅行
宇和島城から車で30分ほど。

伊予と豊後をえいやっと手で引き裂いた時に偶然出来た儚い切れ端のような半島の先に
この景色が見えてきました。
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貧相な丘の斜面につけられた邪な横縞もよう。


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丘の麓にたどりつきました。

車を止めて、写真を撮っていると『段畑を守ろう会』という看板の小屋からおじさんが出てきて、
『上まで登ってぐるっと回って戻ってくる道があるので行くとよい』とのこと。

ちょっとこの高さはきついなあと躊躇したが、せっかくなので行けるところまで行こうと歩き出す。



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美しい幾何学模様に胸が熱くなる。

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僅かなジャガイモを耕作するための僅かな平地を求めて、この険しい斜面に石を重ね続けた人たち。


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今は、斜面にか細い鉄の道が渡され、収穫の時にはそのレールの上を50ccのエンジンを積んだ小さなトロッコが荷を積んで走る。らしい。

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段畑をにカメラを置いて記念写真。うっかり後ろに落ちたら大変。



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自分ではすごく楽しく写真を撮っていたのだが、こうして並べると見ている人は飽きるかも知れない。すまん。



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40分ほどで地上へ。
守ろう会の方に、歩いている最中に浮かんだ疑問をいろいろ投げかけてみる。
そもそもこれだけの石はどこから来たのか。など。

これからも可能な限り保存に努めていただきたく、若干だが寄付金箱に寄付を入れて、岬を後にした。

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今回は「駅からレンタカー」が大活躍。




伊予宇和島城  現存天守2/12

2011年02月14日 | 旅行
愛媛県宇和島市丸の内1丁目

宇和島駅から城山の下までは直線で500mくらい。
お昼ごはんを駅近くの焼肉屋で食べていると、窓から天守が見えました。
小さな町の小さな城山。
いつでも見えてる天守閣。ちょっと憧れます。

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城山への進入ルートは北東の武家長屋門か、南側の上がり立ち門の2つ。
これは駅に近い北東側です。




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最初は緩やかでしたが徐々に勾配がきつくなります。
責め難くするために、急勾配にして、段の高さもあえて不揃いにしているとか。





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とはいえ、小さなお山ですから10分足らずで本丸下に到着。
妻の大きさから計算して、高さ7mくらい。なかなか逞しい感じの打ち込み接ぎですが
ほとんど加工なしの石も多く見られます。





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枡形を過ぎて振り返ると天守が見えます。





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一之御門跡のきれいな石段を上がると山頂です。
小さくてかわいい天守。独立式層塔型三層三階。
翌日行った松山城にはこれよりも大きな櫓がいくつもありました。


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少しでも迫力がある写真は撮れないかとアングルを考える。




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天守の石垣。




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唐破風の玄関。





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お約束の構造模型。





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3階天守から宇和島湾方面を眺める。
今では埋め立てられて、海岸までは500mくらいありますが、
当時は西南側が海に面していて、堀にも海水を引き込んでいた海城でもあったそうです。





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二の丸の方へ下っていく道脇は野面積み。


二の丸は公園になっていて、お年寄り達がのんびりと午後を過ごしていました。
ちょっと道を尋ねたら、親切に教えてくれて、最後に「またきてくださいねー」と言われました。ほんと。是非また来たいですね。それにしてもあの老人達、よく石段を登ってあそこまで登ってきたなあと、あとから感心しました。




来応寺

2011年02月08日 | 旅行
愛媛県宇和島市宮下甲1102番地

伊予の戦国大名、西園寺公広の菩提寺だそうだが、もちろんその者は知らず。

義父の逝去をきっかけに墓地を訪ねた。

妻も8歳から10歳の頃、宇和島で生活していたこともあったらしいが、
例によって写真も何も残っておらず、なぜかその後40年間一度も訪ねることなく時は流れ
記憶自体もかなり風化していた。



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今回は、その地でお墓を守ってくれている従姉妹と事前に連絡を取り合い案内を乞うた。

宇和島を離れた後に生まれた10歳年下の従兄弟とは妻も今回が初対面。

おっとりほんわかした雰囲気や、顔の骨格が似ていて笑った。


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東京では考えられない広い墓地。
丘陵地の一番高いところがいいだろうと、この場所を選んだそうだが、
それから墓地はどんどん高地に広がり今では墓地全体の中腹あたりに位置している。

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墓地に亡父の愛用品を備え、お参りをした。

義父は本来であれば、この墓地を引き継ぐ立場であるのだが、
利便性を考えて亡くなった浦和の地に新たに墓地を構えた。



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建立は大正二年と読み取れた。
1913年。袁世凱が中華民国の大総統に就任したり、春の祭典が初演されたりしている。


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本堂はそれほど古いものではない。



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門はそれなりに歴史を感じさせる。



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短い墓参だったが、喜んでもらえただろうか。






宇和島市立歴史資料館

2011年02月07日 | 旅行
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明治17年(1884)、宇和島警察署として建築された擬洋風建造物。
戦後の昭和28年(1953)、南宇和郡に役場として移築。
その地で40年に渡り役目を果たした後、1992年に宇和島に戻る。




ブラタモリ 池袋の地名のルーツは

2011年01月31日 | 江戸
先週のブラタモリ。

池袋・巣鴨あたりということで、いつも以上に興味津々でした。

前半は池袋の地名のルーツを求めて。
一般には現在のメトロポリタンホテル辺りに存在した袋の形の池(どんなや)が
由来とされているのだが、タモリ的にはどうも納得できない、ということで探索が始まる。

番組の結論としては現在の池袋辺りから流れ出た川が別の大きな川と合流しているところ、
この川と川が一つになる場所のことを「袋」と呼んでいたという事実と、
池袋から多少離れた場所に「池袋本町」という地名が現在でも存在し、
池があった一帯よりも「本町」とつく一帯の方が、より地名の確信に近いということから
かつて池袋本町と呼ばれていた川の合流地点を目指す。

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番組で使われていた「川の合流地点」のCG。



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そこを目指して歩く一行。
なんだかあまりにも見慣れた風景が・・・。


そしてこの先に「橋」の痕跡が!
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この場所の右の門が「一の橋」の欄干の後。


そして写真左上の「地名のルーツ」という文字の「ルーツ」の後ろにある建物が、
なんと我が家のマンションでした。

いや、ちょっとびっくりしました。

我が家は「板橋」のつもりだったのですが、かつてはここらあたりが
池袋の中心地帯(といっても田んぼとわずかな集落が点在するだけの
ド田舎ですが)だったってことですね。




みをつくし料理帖の舞台を訪ねて。

2011年01月15日 | インポート
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切絵図・現代図であるく 持ち歩き 東京江戸散歩。

人文社という古地図専門みたいな出版社が出している江戸切絵図の複製本。

元々はA4ワイド版という大型サイズだった本をA5よりちょっと大きいくらいのコンパクト版にして
持ち歩きを容易にさせたものを購入した。1600円。


本は小さくしたいんだけど、地図は小さくしたくないという要望をかなえるために、
地図のページをすべて本の左右2倍の大きさにして、二つ折りにして綴じている。

製本の専門用語で言うと「全部の折が片観音」ということ。

まあ写真で見てみて下さい。

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家に一人だったので、床に置いて両足で押さえて写真取りました。

左が江戸地図、右はその場所に相当する現代地図。
真ん中に丸まっているのは、その範囲にある寺社や遺跡などの「寄り道情報」


こんな地図が40枚収蔵されているのだが、とにかくとても面白く、
いつまで眺めていても飽きない。

自分が勤めている会社の周辺、よく通る道など身近なところから、その場所が
江戸時代はどうだったのか、まさに地図の中でのバーチャル江戸散歩が体験できる。


そんでだ。


話は別の本の話に変わる。


昨年の暮れに、こんな本を読んでいた。



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高田郁。『みをつくし料理帖』というシリーズ本で、今のところ4冊出ている。

大阪で不幸な震災に遭い、江戸に流れてきた少女「みお」。
天才的な味覚とセンスを兼ね備えた少女は飯田町の小さな蕎麦屋で
料理人として働き始める。
様々な苦労や、大店の妨害に遭いながらも周囲の暖かい応援を受けながら
「つる家」を江戸で一番の料理店にすべく、自らも成長していく。

みたいな?

ちょっとマンガっぽい展開も多いんだけど、悪気のないストーリーで楽しめる。

一話ごとにテーマになる料理があって、これがまた旨そうなんだ。



そんでだ。



この本の舞台は先ほども書いたけど「元飯田町」の料理屋「つる家」。

文庫本の最初に、この小説の主な場所が簡単な見開きの地図で紹介されているが、
「つる家」があるのはこんな場所らしい。


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九段坂の下にある俎橋の近くの元飯田町。

年が明けて、東京江戸散歩を眺めているうちに、つる家の場所を探してみようと考えた。


九段坂下の俎橋はすぐに見つかった。

ここだ。
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江戸時代の地図には「北が上」というルールはない。
地形に合わせて見やすい方向に書かれている。

上の地図だと、北はほぼ下の方向になる。


そこで、見やすくするために先ほどの文庫本(北が上に書いてある)を180度回転して
江戸古地図と向きをそろえてみる。
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橋の右手前が「町民の居住地」を表すグレーで塗られている。
ここが小説の「元飯田町」だろうと確定できた。


で、ここは現代で言うとどこら辺かというと、ここになる。

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都営新宿線の九段下駅のすぐ脇。
中央に今でも俎橋という表記がある。

右上のお堀の向こうに日本武道館。お堀のカーブの具合もぴったり合致する。
俎橋から靖国通りを左に行くと神保町。その先が神田だ。

江戸の町話にはおあつらえ向きの場所と言える。

「つる家」が俎橋の袂で、靖国通りに面した場所にあった。
(つる家は小説の中の存在で、江戸時代に実際にあったわけではありません)


つる家の場所を確定できた満足感の中で、現代図を眺めていると、あることに気づいた。

文庫本の地図で、つる家の後ろに「清右衛門邸」というのがある。

清右衛門は「みおつくし料理帖」の2巻目から登場する戯作者で、つる家の常連。
版元の坂村堂と毎日のように店に現われる。
非常に毒舌で辛らつな言葉をみおに投げつけるが、みおの料理を最も買っている一人でもある。


で、もう一度現代図の地図でつる家があった場所の下を見るとそこには
馬琴宅跡、滝沢馬琴宅跡の井戸という文字が。


滝沢(曲亭)馬琴といえば言うまでもなく南総里見八犬伝で知られる江戸を代表する読本作家。

「みおつくし料理帖」の清右衛門には馬琴というモデルがいたんですね。
ひょっとすると、先に馬琴の何かのエピソードがあって、そこから「みおつくし」が
生まれたということも考えられそうだ。


最後にもうひとつ。


この日記の前に書いた「深光寺の石仏群」というタイトルの日記の「深光寺」が
馬琴の墓地である。
そのことは日記中でも記述したものの、その時点では、読んでいる本の登場人物と
馬琴の関係はもちろん気づいてはおらず、本当にたまたま偶然に立ち寄った寺だった。


それから、たまたま買った地図帳に導かれて、「みをつくし」と「江戸切絵図」と「俎橋」と「馬琴」が
きれいに繋がっていく。


おもしろいねえ。

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自転車で行ってみた俎橋。





深光寺の石仏群

2011年01月06日 | 自転車生活
茗荷谷から5分ほど坂を下ったあたり。拓殖大学の門のすぐ前に深光寺があります。
滝沢馬琴の墓所として知られているようです。


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坂道に沿って右に上がると鐘楼と本堂。

写真の正面あたりで手すりがわずかに切れているのが見えます。




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近づくとこんな感じ。なんか左右に植栽まで置いて、まるでわざわざ入りにくくしているような。

ここを一歩入ると、それが現われます。




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石仏の群れ。


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由来やらなんやらさっぱりわかりませんが。
なかなかインパクトは充分あります。


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外の道からも見えるんですが、樹木でカモフラージュされてて案外気づいていない人も多いだろうな。そういう私も自転車で通って半月ほどその存在に気づきませんでしたわ。

撮影は12月の初旬です。


風は秋色

2010年12月01日 | 自転車生活
晴天が続く秋。

BD-1でほぼ毎日都内を走っています。きんもちいい。

紅葉も真っ盛り。

春の桜も大好きですが、秋はもっと写真を撮りたくなる風景だらけ。

撮っても撮ってもきりがない。
そして、その写真を家のPCで確認しては、こんな色じゃなかったとがっかり。
まあ、2万円くらいのコンデジなんで、そうそう感動的には撮れなくても
仕方ないのですが。

ちょっと大量に貼り付けますぞ。



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ぜいぜい。

場所は、六義園とか東京大学とか駒込天祖神社とか神宮外苑周辺とか代々木公園とか
近所の神田川とかまあ、そんなあたりです。

原宿駅の時計が写ってる写真に続く最後の数枚の大銀杏なんですが、
外苑西通りにある仙寿院というお寺の墓地にあります。

で、この墓地はなんと橋の上にあるんですよ。
一番ラストの写真でトンネルになっている構造物が見えますが、この上が墓地。

その前の写真が上から見下ろしたところです。

大銀杏もこの橋の上にあったらすごいのですが、さすがにぎりぎり大地に根付いてました。

ここ数日本当にもういやというほど銀杏を見ましたが、
西日を受けるこの1本がマイベストイチョウでした。





巣鴨 酉の市

2010年11月20日 | Diary
あっちに載せられなかった大きい写真をいくつか。

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縁日の導入部。



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ニューウェーブ。





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定番。




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笑門来福。



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手打ち。





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ブルーシート。






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縁起物詰め合わせ。







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10月に地元の縁日で食べたたこ焼がもったりしててすごく不味かったので
早くリベンジしたいと思っていましたが、昨夜のはんまかった~。


ということで「隠しブログ」写真集でした。


カセットテープ讃頌

2010年11月15日 | music
先日、ヤフオクでカセットデッキを買った。

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考えてみると、この15年くらいはまともにカセットテープを聞ける環境がなかった。

机の上にあるDENONの簡素なステレオ装置は1996年に買ったものだが、
その時点で録音の主流はMDであり、今更オプションのカセットデッキを
一緒に購入する気はなかった。

昔のようにレンタルで借りてきて、録音するという習慣もほとんどなかった。
必要なCDがあればそれを買えばいい。

そうして、昔聞いていたアルバムはCDで買い揃え、録音済みのカセットテープは
書棚の一番手が届かない場所にまとめて追いやられた。

2004年には、SONY製の圧縮音源を溜め込むプレイヤーを買った。
手持ちのCDはその装置のHDDに全部入れて、ランダムプレイで聞く習慣になった。
世間では誰も彼もがiPODでMP3を聞いていた。圧縮された音に抵抗はなかった。

カセットテープに続いて、今度はCDも別の部屋のCDラックに移動し、
CDを触ることもほとんどなくなった。


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そして2010年も終盤にさしかかった頃に、カセットデッキがやってきた。
本体が出品価格ママで3800円、送料が1200円。

書棚の奥から最初にひっぱり出されたのは、10代の頃の演奏を録音したものだった。

本番の演奏はもちろんのこと、練習を録音したものもいくつか出てきた。
稚拙な演奏だけでなく、練習中の自分や当時の仲間の声がたくさん聞けて
なんとも懐かしく恥ずかしい。

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続いて、当時レンタルショップでLPを借りてきて録音したアルバムを聞いてみた。

15年以上触られなかったテープから流れ出す音の良さに愕然とした。

同じアルバムをHDDプレイヤーで聞き比べてみる。
カサカサ乾いて、今にも崩れてしまいそうな薄っぺらな音。

一方カセットテープの音は、しっとりと適度な湿度感で、みっちりと充実した印象。
HDDプレイヤーでは聞き取りにくいバッキングのパートも実に良く『聞こえる。
それでいてメインボーカルの芯が通った声が、凛としてそこに存在する。

なるほど。

HDDプレイヤーで圧縮された音楽を聞くようになってから
音楽を単なるBGMとして、ランダムプレイでアルバムを通して聞くことが
なくなったのはこういう理由だったのかと知る。
きちんと向き合って、長い時間聞くにはあまりにも辛い音。


ほんの気まぐれで手に入れたカセットデッキだが、これからは
もういちど昔のテープで音楽と向き合ってみたいなと思う。

それにしてもカセットテープって丈夫だな。










東京港臨海大橋(仮称)

2010年11月03日 | 自転車生活

晴天の休日、2011年の夏に開通を目指して工事が進んでいる臨海大橋を見て来ました。

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今日は省エネツーリングで、畳んだ自転車をりんかい線に乗せて新木場まで。新木場から目指す若洲まではすぐです。

区立若洲公園の一番先が釣り場になっていますが、そこからこんな風に見えます。

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近くに羽田空港があるため、建築物には高さ制限があります。
逆に、下にはクイーンエリザベス級の大型客船を通す必要があるため、橋全体の高さは必要とするという矛盾した要求を満たすために、変則的なトラス構造を採用しています。

何度も言いますが、橋はやっぱりトラスが一番です。

上の写真でちょうどクルーズ船が下をくぐっていますがまだぜんぜん余裕ですね。

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こちら側に来ると全体がわずかにマゼンタの混じった薄いブルーであることがわかります。2年位前に大阪港の港大橋の写真を乗せたのですが、誰か覚えていませんか? あちらは青い空と青い海を切り裂くかのような真っ赤な橋でした。

東京は周囲に溶け込むかのような穏やかな色彩です。どっちもあり。

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お昼ごはんは新木場で買ったパン類と午後ティー。
いいお天気で橋を見ながら食べるのは美味しい。

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テトラポットって適当にわんさか転がしてあるのかと思っていましたが、よく見るとちゃんと規則性を持って置いてあることがわかります。常識?

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若洲公園と若洲ゴルフリンクス周辺はきれいなサイクリングコースになっています。自転車貸し出しもあります。子供が多いので注意が必要です。
左側がゴルフ場。飛び出したボールが当たらないよう、ネットや張り出し屋根がしっかり作られています。

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妻は「ダックスフントみたい」と言っていましたが、一般には「向き合う恐竜」のイメージだそうですよ。

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風力発電もあります。

今日は回ってなかったです。


旧朝倉邸@代官山

2010年11月01日 | インポート

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代官山ヒルサイドテラスの駅に近いほうのとっかかりに、堂々たる大正時代の和風建築が残っています。重要文化財。元々この高台一帯の地主さんのおうちでした。

保存運動が実って2008年より一般公開されています。

今回は初めての訪問です。

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朝倉家は材木を扱って財を成し、その後都の議員として政治活動を行いました。

この家を立てる際には、経験を活かし最高の木材と最高の技術を結集させたとのこと。

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随所で長い杉の丸太を加工しないで使用しています。当然根本と先端で太さが異なるわけですが、木と木の境目が面白いですね。

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広い回遊式の庭園も見所がありますが、残念ながら今は半分以上が整備中で立ち入りできません。

目黒川を見下ろす崖っぷちにあたるこの場所から、当時はさぞや庭越しに素晴らしい眺めが見られたことかと想像します。

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母屋と接続されている倉はコンクリート製。
壁の周囲にまんべんなく埋め込まれている鉄製の金具ですが、研究者によると火災の際に倉の中の温度が上がらないように、このカギ型に濡れた藁を差し込んだものと思われるとのこと。他に例が無いので、正解は分からないそうです。

火災には強いかも知れないけど、泥棒が上に上るのにも便利そうですね。

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紅葉の下の庭石。

長年雨だれを受けてこのように削られています。

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大きな灯篭には菊の紋章と葵の紋章が並んで彫られていました。

庭にはたくさんの紅葉がありました。12月の1週目あたりが紅葉の見ごろだそうです。

(もみじ)と(こうよう)が同じ表記というのもややこしいですね。