大雑把な日常

日常のあれこれ。

だいこんおろし栗ぎんなん

2012-09-09 | 日記

昨日地元の居酒屋で話していて

改めて気付いたことですが、

わたしは

大根おろしに弱い。

味も好きだが

他人がおろしてくれている

という有難さから

おろしがついていると

得した気分になるのだ。

大根おろしを家庭で出す

というのは心が豊かな証拠よね。

と思う。

ゆとりだ。

薬味を全部そろえて、食べる

というのも、心と時間と経済力のゆとりがあるからこそ

出すことができるのだ。

なにしろ

おろしがねを洗うのは手間だ。

フードプロレッサー?

それを買う

という精神性が豊かだと思う。

大根おろし

っていうのは

お母さんが、家族に美味しいもの

さっぱりしたもの

体にいいもの

食べさせたいなあ

という、優しさと心の広さの象徴である。

大げさ?

だからそれを誰かがやってくれている

ってだけで、感謝する。

同様に、栗も。

栗ごはん

甘露煮など

外でいただくときに

ありがとうの気持ちとともに

贅沢をかみしめます。

あの渋皮をむく

っていう辛い作業をよくしてくれたねえ

ありがとうねえ

て思う。

ぎんなんも同様。

要するに、主婦的貧乏症発想。

 

 

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