マラウイのアフリカの一国ですが、
これも運命のタイミングかな?
昨日大分に帰ってくるとき、羽田で、このイベントの存在を知りました。
アフリカンフェスタ2006
9月2,3,4日@お台場
http://www.africanfesta.com/
アフリカの食べ物、音楽、産業等々、アフリカの文化や特色にいっぱい出会えるみたい!!
ぜひ行こうと思ってます。
その羽田の空港の一角に、私が目を惹くきっかけとなったのは、
「一村一品運動」の文字。
アフリカ各国の自分の国ならではの民芸品が少しずつ売ってあって、
思わず私もひとつ買ってしまいました。
一村一品運動。
これ、小学校のとき、めっちゃ勉強しました。
どの県の小学校でも勉強するのでしょうか…?
なんとこれ、(誇らしいことに)、大分県から生まれた活動なんです。
大分県は、九州の中でも、目立つことのない、田舎な、県でした。
人口も少なく、交通のアクセスも悪く、山と海しかない…。
そんな中、生まれたのが、この活動でした。
一村一品運動は、それぞれの町や村が自主自立の正便で創意工夫を凝らし、 地域の活性化を図ろうとする実践運動。
この運動は、自分たちの住む地域をもう一度見直し、地域の潜在力を 最大限に引き出して、「まち」「むら」の顔となる「もの」、つまり地域で生まれ 世界にも通用するものを育てていこうとする運動で、「ローカルにしてグローバル」 「自主自立・創意工夫」及び「人づくり」を基本原則としているそう。
小学校のとき、大分県の地図を見せられ、勉強したのを覚えています。
各市・村・町に、しいたけやら関アジやら、絵が描かれていました。
カボスであったり、みかんであったり、スギの木であったり、竹細工であったり。
今思えば、素敵な内容を、学んでいたようです。
当時は「大分県ってつまらないなー。福岡みたいにセブンイレブンが出来ればいいのに。」としか思っていませんでしたが。笑
一村一品運動について。
http://www.pref.oita.jp/10400/toyo_info/m8/menu.html
大分県は「地域ブランド」を作っていくことで、
無名県・過疎地・財政力のなさ、から、脱出しようとしました。
それが今、グローバルに応用されている…。
世界的に貧しいアフリカの国々を、その国々の特色を生かして盛り上げていこう…。
それが、
開発途上国「一村一品」キャンペーンhttp://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/ovop/index.html
これは、2005年WTO香港会議で、小泉首相が提案した、開発イニシアティブの一環。
途上国からの貿易を「生産」「流通・販売」「購入」の3つの局面に分けて、それぞれの局面において「知識・技術」「資金」「人」「制度」の面での支援を行おうと、いうもので、
「一村一品」運動という、地域住民が自ら誇ることのできる特産品を見つけ出し、国内のみならず、世界の市場にも通用する競争力のある商品に仕上げる活動を支援しよう、ということ。
一村一品運動を通じて、自立自助の精神、及び地域の特色を活かした世界に通用する産品の生産を呼びかけ、地域が自助努力で経済発展をとげるよう啓発する、ってことが、ポイント。
大切なのは、自立。自助努力。
開発援助っていってもさ、そこに自助努力がなきゃ意味がない。
模擬国連(国連の会議を模倣する、サークルでの活動)のとき、
途上国側の国々は
「我々の国はこんなに悲惨な状況なんだ、援助してくれ。」
と、大国に懇願する。
先進国側は
「どの程度なら、援助しようか。誠心誠意の自助努力を見せてくれ。」
と、交渉を始めるわけだ。
国際援助をするとき、サステナビリティー(継続性)についてよく問われる。
ここに医療援助をしよう、ヘルスセンターを設置しよう…。
では、我々が撤退した後に、その活動は地域住民の手で「継続」されてゆくことが出来るのか?
開発援助も同じなんだな、って改めて思った。
ただお金を寄付したって、何にもならない。
いかに地域住民自身の手で立ち上がって行けるか。
そのサポートを如何にするか。
模擬国連で頻繁に聞いた、このワード。
「包括的、かつ、持続発展可能な支援・援助の国際社会の協力体制。」
とか「およびその協力体制の構築。」
これしかないね。
改めて思いました。
大分から世界へ!
なんだか、うれしい!!
「包括的、かつ、持続発展可能な支援・援助の国際社会の協力体制。」
とか「およびその協力体制の構築。」
こういう難しい言葉を、実感を持って捉えられるようになったとき、本当の意味で理解したといえるのかもしれないなって思った。すげえ!俺はまだまだ、勉強・そして経験して少しづつ実感を持って理解できるようになっていけたらいいなって思ってる。そして、そういうフレーズが増えていったら、また成長していけるんじゃないかな☆