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仲間とつながって、ハッピーに

2008-08-20 17:18:18 | 参加したイベント

いつ何で知ったのか、忘れちゃったけど、ずっとお会いしてみたかった、金森先生。
http://www.spacelan.ne.jp/~pine/kanamori_.htm

NHKスペシャル「涙と笑いのハッピークラス 四年一組命の授業」が、2003年第三十回日本賞グランプリを受賞。2004年、第25回バンフテレビ祭「グローバルテレビジョン・グランドプライズ」を受賞したことで、知ってる人も多いはず。

聞いてみたら、うちの両親も再放送合わせて2回見たそう。
私はテレビ放送を逃していたので、どうしても、先生のナマ声を聞きたいと思っていたので、熊本まで足を伸ばしました。
前回のブログで紹介しましたが、熊本のNEXTEPの開催したイベントは、子供向けと大人向けがありました。
なので、私は幸運なことに、子供向けと、大人向けと、2パターンで先生の話を聞きました。

先生の話は、引き込まれる。目が離せない。自分も小学生に戻ったような気分になる。

子どもへの授業の時間。
一人ひとりの目を見て話す、名前を必ず呼ぶ。頭を触る、声をかける。
  どうしてそう思うのかな?他の意見はないかな?
  正解は何でしょう?他にどう考えられるでしょう?

黒板の書き方(ぽぽぽぽーん、なんて鼻歌歌うながら、黒板を書く間も子どもがわくわくしてしまう、笑)も、生徒への質問の振り方も(正解が出ても出なくても沢山の答えを考えさせる)、声の張りや速さの強弱も身振り手振りも、ひとつひとつの言葉の選び方も、ここに言葉でうまく説明できないくらい、魅力的で、本当に惹き付けられる。
先生から溢れる人間性、これが人間力か、と思った。

ぽんぽん答える子どもの反射的な発想力、柔軟性。
あ、わかったーー!!って表情が一瞬にして明るくなる、劇的な一瞬。
体を動かして遊ぶときに、緊張気味だった子ども達から、笑顔が弾け出て、それが連鎖していく様子、その結果あったまっていく空間の温度。

その後、大人向けの講演会にも出席。
先生が子ども達に何を伝えたかったのか、大人に何を伝えたかったのか。

大人は質問をあてられた瞬間、一瞬だまる、考える。
必要なのは、豊かな表現、ひらめき、感じたことを伝えること。


帰宅してから、本を買いました。
『子どもの力は学びあってこそ育つ』 金森俊朗先生 著
本を読んでると、先生の声で、私に話しかけているように思えてくる。
先生の笑顔も、よみがえる。笑


最近よく、子どもの学力が落ちたと聞きます。(国際比較において)
給食費を払わない親がいると、モンスターペアレントがいると、聞きます。
この本では、現代の教育事情を詳しく説明してくれます。
本当は、何が起こっているの?どうしてそんな風に政府は動いているの?
ゆとりが悪かったから、次は全国一斉学力テストへ。
教師の半分以上は非常勤(非正式採用)なのに、今後は指導力不足と教師免許更新制度の導入によりさらに教師のポストを不安定に追い込む…。
正直、知らなかった、って痛感しました。

医療でも、医療に関係ない人から「お医者さんって大変なんでしょう」と言われると、現実とメディアの報道の差があるから素直に「うん」と答えづらい時がある。
しかもまだ実際働いてないから知らないことも多いわけで。
教育現場でも、同じだと思う。
メディアの断片的な報道でしか知らないことを語るのは、狭い了見だと、つくづく思う。
もっともっと、勉強したい、と思うことが、増えていく。

国際学力比較のテストで問われていることは、数的な計算やドリルで養う記号操作的なものではないことを、初めて知った。
受験で詰め込んだ暗号のような知識で、大学まで乗り切ってしまう、今の日本の学力では、世界から求められる「考える力」に太刀打ちできるわけもなく、そりゃ世界の順位も下がっていくわけだ、と納得した。
文脈から読み取る、推理し、根拠を組み立て、結論を導く。
でも、もっと不安なのは、勉強の喜び、面白み、深みを感じ取れていない子どもの多さだ。
数学を得意と答える子ども・勉強が楽しいと答える子どもの割合は、世界のほかの国々と比べると、明らかに、圧倒的に、低い。

本の中で、先生の授業の話が出てくる。

例えば、ごんぎつね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%94%E3%82%93%E7%8B%90
私も小学校の教科書で勉強した。
ごんの恩返しに気づかず、兵十はごんを撃ってしまう、すれ違いのラストシーンがある。
その場面を読み取る、子ども達の気づき。
「(ごんは)やっと気づいてもらえて嬉しかった」
心を拓いてもらえて嬉しかったのではないか、というのだ。
心を拓くとは、相手を受け入れて心の中にすませること、という表現を子ども達はする。
豊かな表現と、みんなでたどり着く気づきが、とっても素晴らしい。


ある子どもがアンデルセンの「わたしを愛す」という詩が、大、大、大好きだとみんなに伝える。
その詩をただ読んだだけでは、彼女のように深くは読み取れないと思う。
金森先生のクラスになって、いのちの授業を受けて、この詩が大好きになったと言う。
海を、深い谷を、森の青々とした広場を、星くずをちりばめた夜を愛すというのは、それぞれにいのちがあるからだ、と。
そうわかったから、この詩がひとごとではなくなった。
だから、私を愛すということと同じことなんだ、と。

これが、小学校4年生が表現できる感受性なんだろうか、と、私は感動してしまった。


本を読んで自分の中の世界を広げ、仲間と話し合い、その感じ方を広げていくこと。
髪の毛一本落ちてたのを拾って、ゴミと考えるか、いのちのリレーと考えるか、ということ。
教室で学ぶことは、ただ得点を挙げるための詰め込みではなく、物事の背景を推測したり、関連性を見つけたり、自然の神秘に驚いたり感謝したり、人間が過去や現在において犯した過ちから教訓を学ぶことだったり、
人と人との距離感や思いやりを大切にしてコミュニケーションを取る方法を習得したり、体と体をぶつけて思いっきり遊んで遊んで笑いあうことだったり、時に失敗したり、けんかをしても、その原因をきちんと納得して改善法を学ぶことだったり、
そうゆう人が人として一番成長できる根本の、大切な時間なんだと、改めて、強く思った。

感じたことが多くて、まだうまく消化しきれてないんだけれど、
私ももっと「人として」「当たり前に」「まっとうに」生きていける力を養いたいと思う。


昼ごはんは、本を読みながらそとのベンチで食べるのが、お気に入り。(30分だけだけど)
空の様子はどうなんだ、今日の雲は何色だ、風はどんな感じかな?って確認したくなる。
蝉の声が、秋らしくなった。夜もだんだん涼しくなってきた気がする。
彼らはたった1週間の命だけど、力強く、まだまだ夏だぜーー!って叫んでるように聞こえる。
毎日同じ日はないんだから、今日の発見を大事に、感受性豊かに!生きていきたい。