goo blog サービス終了のお知らせ 

遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

北方領土 2島返還を目指す方針に転換

2016-09-23 23:58:58 | ロシア全般
 今朝の読売新聞 1面の見出しを観て驚きました。プーチン大統領が主張すると言われてきた、1956年の「日ソ共同宣言」に立ち戻る内容のことで、以後の、「日ソ共同声明(1991年)」「東京宣言(1993年)」「クラスノヤルスク合意(1997年)」「川奈合意(1998年)」「イルクーツク声明(2001年)」「日露行動計画(2003年)」と重ねてきた、プーチン大統領を含む歴代両国の交渉を覆すもので、とても「新しいアプローチ」と呼べるものではないのです。
 両国の歴代首脳の交渉成果を無視する言葉です。「新しいアプローチ」でもなんでなく、プーチン大統領の主張を受け入れるもので、外交交渉でもありません。

 慰安婦問題の「日韓合意」が、韓国の主張を受け入れる、日本政府が慰安婦の強制拉致を認め補償するという、河野談話時でさえ認めなかった歴史的禍根を残す内容で、しかも、慰安婦像の撤去は韓国側の努力目標で濁される片務内容という、日本の国益に反する、何の寄与もないもので、10億円の補償が支払われただけの結果に終わっている歴史的失政でしたが、またしても、相手国の言い分を丸呑みし、日本側は経済支援を実施するという、日本の要求はなにもかなえられないに等しいものです。
 

北方領 2島返還が最低限 政府、対露交渉で条件 (9/23 読売朝刊)

 政府は、ロシアとの北方領土問題の交渉で、歯舞群島、色丹島の2島引き渡しを最低条件とする方針を固めた
。平和条約締結の際、択捉、国後両島を含めた「4島の帰属」問題の解決を前提としない方向で検討している。安倍首相は11月にペルー、12月には地元・山口県でロシアのプーチン大統領と会談する。こうした方針でトップ交渉に臨み、領土問題を含む平和条約締結に道筋をつけたい考えだ。

平和条約「4島帰属」前提とせず
 複数の政府関係者が明らかにした。
択捉、国後については日本に帰属するとの立場を堅持する。その上で、平和条約締結後の継続協議
とし、自由訪問や共同経済活動などを行いながら、最終的な返還につなげる案などが浮上している。
 
日本政府はこれまで、4島の帰属の問題を解決した上で平和条約を締結するという基本方針で交渉に臨んできた。1993年にこの手順を明記した東京宣言に日露両首脳が署名。日本政府は4島の日本への帰属が確認されれば、返還時期や条件には柔軟に対応するという方針
を示してきた。
 ただ、4島を「固有の領土」と訴える日本に対し、
ロシアは第2次世界大戦の結果、自国領になったと主張。平和条約締結後の歯舞、色丹の2島引き渡しを明記した56年の日ソ共同宣言に基づく最終決着
を求めたため、帰属など領土問題を含む平和条約交渉は進展してこなかった。
 日本政府は事態を打開するため、4島の帰属問題の解決を前提とせず交渉に臨み、まずは
ロシアが合意する可能性の高い歯舞、色丹の2島返還を目指す方針に転換したとみられる。5月にロシア南部ソチで行われた日露首脳会談では、従来の発想にとらわれない「新しいアプローチ」で領土交渉に取り組むことで一致した。日本政府高官は「過去の交渉経緯にこだわらずに合意を目指す
」と決着に意欲を示す。
 9月のロシア極東ウラジオストクでの首脳会談でも、こうした方針に沿った協議が行われた可能性がある。ただ、4島の帰属を明確にしないままの平和条約締結には国内の反発も予想される。
いったん平和条約を締結すれば、ロシア側が国後、択捉の交渉に応じない可能性
もあり、日本政府はロシア側の出方を慎重に見極める方針だ。

岸田外相が訪露へ 大統領来日前政府間対話活発に
 【ニューヨーク=黒見周平】岸田外相は21日夕(日本時間22日朝)、ロシアのラブロフ外相と国連本部で約30分間会談し、12月のプーチン露大統領来日に向け、岸田氏が事前に訪露するなど、政府間対話を活発化させることで合意した。
 会談で、岸田氏は「(北方領土問題解決を含む)平和条約締結で前進を図ることが必要で、しっかり準備していきたい」と強調。ラブロフ氏は「大統領来日が内容あるものとなるように
協力したい」と応じた。
 両氏は、経済担当のシュワロフ第1副首相が11月に来日し、日露の経済協力を話し合う「貿易経済日露政府間委員会」を都内で開くことや、2013年2月以来途絶えていた外務次官による「日露戦略対話」を再開することも確認した。
 岸田氏は核実験を行った北朝鮮の問題については、国連安全保障理事会による新たな制裁決議を実現するため、協力を求めた。ラブロフ氏は「ロシアも採択に向けた作業に真剣に取り組んでいく」と述べ、前向きな姿勢を示した。

北方領打開へ戦術転換 12月首脳会談 成果目指す

 政府が北方領土問題で歯舞群島、色丹島の2島返還を最低条件とする方針を固めたのは、
核開発を進める北朝鮮や海洋進出を強める中国の情勢を考え、ロシアとは平和条約締結を急ぐべきだと判断した
からだ。もっとも、ロシアが日本の提案をのむかは不透明だ。日本の譲歩が、日本国内で反発を浴びる可能性もある。

 北方領土を巡る日露両政府の立場は平行線が続いてきた。
ロシア政府は、平和条約締結後に歯舞、色丹の2島を「引き渡す」とした1956年の「日ソ共同宣言」に基づく最終決着
を求めている。一方、日本政府は、93年の東京宣言に基づき、択捉、国後両島を含めた「4島の帰属の問題」を解決し、平和条約を締結するとの原則を崩さず、行き詰まっている。
 安倍首相は今年5月の日露首脳会談で、「新しいアプローチ」で打開したい考えを表明。今月3日のロシア極東ウラジオストクでの演説では、「私たちはそれぞれの歴史に対する立場、愛国心を背負って、この場に立っている。しかし、このままではあと何十年も同じ議論を続けることになってしまう」と語り、解決を急ぐべきだとの考えを強調した。
 北朝鮮の暴発や、中国がより強引な行動に出るケースなどを考えた場合、日露が良好な関係であることは重要になってくる。
首相は12月に来日するプーチン大統領との会談で、一定の成果を出したい
考えだ。
 
日本政府は、既にロシア側に提案した極東開発など8項目の協力計画などもテコに、領土問題を巡る協議の進展を図る考え
だ。
 ただ、交渉は難航も予想される。経済協力をテコに交渉前進を図る手法は、1990年代以降繰り返されてきたものの、必ずしも機能してこなかった。仮に、2島返還が実現したとしても、現在居住するロシア国民の地位や権利などの問題も残る。


 「択捉、国後については日本に帰属するとの立場を堅持する。その上で、平和条約締結後の継続協議とし、自由訪問や共同経済活動などを行いながら、最終的な返還につなげる案などが浮上している」とのことですが、記事でも指摘されている様に、「いったん平和条約を締結すれば、ロシア側が国後、択捉の交渉に応じない可能性」があります。いえ、ロシアのことですから、「可能性」ではなく、それ以上の譲歩はありえず固定化してしまいます。まさに、日本外務省の自己満足の先送り官僚主義体質丸出しの内弁慶解釈です。
 4島の帰属問題の解決を前提とせず交渉に臨み、まずはロシアが合意する可能性の高い歯舞、色丹の2島返還を目指す方針に転換したとのことで、「択捉、国後については日本に帰属するとの立場を堅持」し、「平和条約締結後の継続協議」とするとは、交渉相手の意欲を無視した、自分勝手な都合のいい解釈でしかありません。
 これは、「外交交渉」ではなく、幕末当時の幕府の押し付けられた「片務条約」従属姿勢と同じです。
 「開国」=「平和条約締結」をするなと言っているのではありません。両国に利益がある様、かつ、日本の国益を守る条件での外交交渉(日露間での条約では、日露戦争で締結されたポーツマス条約が最新のものですから、その時点に戻って交渉開始するカードを使用)をするという、当たり前のことを言っているのです。しかも、交渉の最中に「2島返還が最低条件」と手の内が広く公表(読売のスクープ?)されてしまう。なんともまぬけな外交交渉。いかに、外務官僚の資質が劣悪かを顕しています。「過去の交渉経緯にこだわらずに合意を目指す」のではなく、「過去の外交交渉努力の成果は捨てて、早期決着をつけるため、交渉が面倒だから相手の要求を丸呑み」しているだけです。

 中国や北朝鮮との対峙で、ロシアとの連携を深め、けん制するという方向は理解できますが、百戦練磨のロシアには当然読まれた姿勢ですし、ロシアも対中けん制に日本と近づきたい。
 経済協力をテコに交渉前進を図る手法は、必ずしも機能してこなかったと言いますが、「クラスノヤルスク合意(1997年)」「川奈合意(1998年)」では、苦しい経済状況下のソ連・エリツィン大統領とのこうしょうで、四島返還の実現が迫ったのでした。現在のロシアの経済状況も、資源価格の下落と、原油や天然ガスの供給過多に伴う販路開拓で台所は窮している上に、ウクライナ侵攻への経済制裁を受け窮状にある点では、エリツィン時代と同等か、それ以上の窮状といえます。
 露側も百も承知で、経済の餌には釣られないといった趣旨の発言をしている報道に接しますね。しかしそれは、弱点の急所を突かれるのを逸らすための空事ですね。
 議会選挙で支持率がゆるぎない結果を得たプーチン大統領。安倍総裁の任期延長を実現させ、日本側が焦らなくてよい環境をつくり、時間をかける家康流で交渉に臨むべきです。
 国内経済でも、中国へのけん制力が欲しい点でも、ロシアの方がせっぱつまっていることで、経済支援カードはかつてない効力を発揮する環境は整っています。
 外交はチキンレースです。先にじれた方が負けです。日本が焦る材料は、安倍総裁の任期以外にはありません。相手の要求を丸呑みするのなら、交渉はいりません。
 安倍首相の家康流の持久戦戦略採用を期待します。

 9/22(木)〜青山繁晴・居島一平〜【真相深入り!虎ノ門ニュース】【Toranomon NEWS】

 
 対露交渉関連の話は、1時間06分50秒経過したあたりからです。お急ぎの場合は、画面下部のルーラーで早送りしてご覧ください。

-------------------------------------
北方領土交渉経緯

プーチン次期大統領が北方領土問題の最終解決を目指したいと - 遊爺雑記帳

<前略>
<追記挿入>
■日ソ共同宣言
1956年10月19日 鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名
 北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意
<追記挿入 ここまで>

■日ソ共同声明(1991年)
 1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。
 北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認された。
 日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す。

■東京宣言(1993年)
 1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。
 領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。
 また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。

■クラスノヤルスク合意(1997年)
 1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。

■川奈合意(1998年)
 1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。

■イルクーツク声明(2001年)
 2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。
 日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。

■日露行動計画(2003年)
 2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。

<後略>
------------------------------------------------------



 # 冒頭の画像は、ウラジオストクで会談した安倍首相とプーチン大統領




  この花の名前は、アキノベニバナサルビア


↓よろしかったら、お願いします。



写真素材のピクスタ


Fotolia


ソ連が満洲に侵攻した夏 (文春文庫)
誰がメドベージェフを不法入国させたのか-国賊たちの北方領土外交





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 9月22日(木)のつぶやき | トップ | 9月23日(金)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ロシア全般」カテゴリの最新記事