
米著名投資家ウォーレン・バフェット氏は投資でも企業買収でも比類のない実績を残した。ただ、中には大失敗もある。
バフェット氏の下でバークシャー・ハサウェイが投資した企業は時価総額で世界上位となり、同氏はバークシャーの成功から恩恵を受けた株主以外にも多くの信奉者を得た。だが自身が指摘しているように、全ての投資が、米アップルへの賭けほどうまくいったわけではない。
バフェット氏の最大級の成功と失敗を見てみようと、WSJ財務局の副市場編集者・ジャスティンベア氏。
成功:コカ・コーラ
バフェット氏は1988年に初めてこの清涼飲料メーカーに投資した時、同社株を長期保有する意向をバークシャーの株主に伝えた。
「優れた経営陣を持つ優れた企業を所有する場合、われわれが好む保有期間は永遠だ」と説明。
この言葉通り、40年ほどたった今もコカ・コーラ株を保有し続けている。
数十年にわたって毎年増配を続けているコカ・コーラの配当金は、24年だけでバークシャーに約7億7000万ドルをもたらした。
バークシャーはほかにも、米クレジットカード大手アメリカン・エキスプレス(アメックス)やアップルなどの大手企業に投資した。このことから、バフェット氏の投資哲学が、割安株の目利きだった初期から進化したことがうかがえる。株価が適正水準の優良企業に目を向けるよう彼に促したのは、長年ビジネスパートナーだったチャーリー・マンガー氏だと、ジャスティンベア。
失敗:ソロモン・ブラザーズ
バークシャーは1987年に投資銀行大手ソロモン・ブラザーズの優先株を購入した。だが91年に同行トレーダーによる国債入札の不正操作が発覚。バフェット氏は会長として混乱の収拾に当たらざるを得なくなり、同社は政府の調査を受けた。
ソロモンは完全に立ち直ることなく、97年に金融サービス会社トラベラーズ・グループ(後のシティグループ)に身売りした。
この取引でバークシャーの投資は難を逃れたものの、傷跡を残した。
バフェット氏とかつてソロモンの取締役だったマンガー氏は、たびたびこの出来事を教訓として引き合いに出し、ウォール街を警戒する理由にも挙げていたのだそうです。
バフェット氏は2010年のバークシャー株主宛て書簡で、「悪いニュースにすぐに向き合うのを躊躇(ちゅうちょ)したことで、簡単に片付くはずだったソロモンの問題が、従業員8000人を抱える企業を崩壊寸前にまで追い込むことになった」と。
成功:比亜迪(BYD)
バフェット氏は、当時ほぼ無名だった中国バッテリーメーカーの比亜迪(BYD)を見いだし、同社の株式10%を購入するよう2008年にバークシャーに促したのは、マンガー氏の功績だと認めている。2億3000万ドルの投資の価値は2年足らずで20億ドル近くになった。
電気自動車(EV)需要を追い風に、BYDの株価は22年まで上昇を続けた。
失敗:USエア
バークシャーは1989年に3億5800万ドルを支払い、米航空会社USエアの優先株を取得した。バフェット氏は90年代半ばまでにその評価額を75%引き下げ、失敗を認めた。
バフェット氏は、米航空業界の規制緩和がUSエアの事業にどれほどの混乱をもたらすかを甘くみていたことを認めた。USエアは1990~94年に計24億ドルの赤字を計上した(USエアはUSエアウェイズとなった後、アメリカン航空と合併した)。
成功:ミッドアメリカン・エナジー
バフェット氏は1999年、長年の友人ウォルター・スコット氏の勧めで、アイオワ州デモインの公益会社ミッドアメリカン・エナジーの株式75%を取得。
ミッドアメリカン・エナジーは後にバークシャー・ハサウェイ・エナジー(BHE)となった。配当は行わず、買収と設備投資を通じて利益を事業に再投資することで成長した。BHEは保険事業、鉄道事業、アップル株とともにバークシャーの4本柱となり、年間営業利益は2000年の1億2200万ドルから40億ドル近くに増えた。
失敗:バークシャー・ハサウェイ
経営難に陥っていた繊維メーカー、バークシャー・ハサウェイのトップは1964年5月、1株11.375ドルでの株式買い取りを株主に提案。
大株主だったバフェット氏は11.50ドルを希望していた。バークシャーのシーバリー・スタントン氏がそれより低い価格を提示したことで、「私はスタントン氏の態度に腹が立ち、応じなかった」と、バフェット氏
これは「途方もなく愚かな判断だった」。
バークシャーはニューイングランドの繊維業界とともに衰退し続け、工場を閉鎖し、赤字が膨らんでいった。それでもスタントン氏に腹を立てていたバフェット氏は、同社の暗い見通しを無視して株を買い続け、1965年5月までに同社を完全取得した。同氏はこれを今でも後悔していると、ジャスティンベア氏。
バフェット氏は繊維事業を何年も続けた。「だが、頑固さ(愚かさ?)にも限りがある」と同氏。「1985年、私はついに負けを認め、事業を閉鎖した」と。
近年、日本の商社株に注目、買い付け。商社株価の高騰を産んでいただき、おこぼれにあずかり、感謝してます。
ウォーレン・バフェット氏はただ一人しかいない。「第2のバフェット」は決して現れないと、WSJパーソナル・ファイナンス担当コラムニストのジェイソン・ツヴァイク氏。
「第2のバフェット」が決して現れない理由 - WSJ
# 冒頭の画像は、チェリーコークを飲む、ウォーレン・バフェット氏

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遊爺さんの写真素材 - PIXTA
バフェット氏の下でバークシャー・ハサウェイが投資した企業は時価総額で世界上位となり、同氏はバークシャーの成功から恩恵を受けた株主以外にも多くの信奉者を得た。だが自身が指摘しているように、全ての投資が、米アップルへの賭けほどうまくいったわけではない。
バフェット氏の最大級の成功と失敗を見てみようと、WSJ財務局の副市場編集者・ジャスティンベア氏。
バフェット氏が成功と失敗から学んだこと - WSJ
コカ・コーラからバークシャーまで、主な成功例と失敗例から得られた教訓をまとめた
By Justin Baer WSJ・副市場編集者 2025年5月7日
米著名投資家ウォーレン・バフェット氏は投資でも企業買収でも比類のない実績を残した。ただ、中には大失敗もある。
バフェット氏の下でバークシャー・ハサウェイが投資した企業は時価総額で世界上位となり、同氏はバークシャーの成功から恩恵を受けた株主以外にも多くの信奉者を得た。だが自身が指摘しているように、同社を率いた伝説的な60年間に行った全ての投資が、米アップルへの賭けほどうまくいったわけではない。そして同氏の言葉通り、そうした失敗からしばしば貴重な教訓が得られる。
バフェット氏の最大級の成功と失敗を見てみよう。
成功:コカ・コーラ
バフェット氏は1988年に初めてこの清涼飲料メーカーに投資した時、同社株を長期保有する意向をバークシャーの株主に伝えた。同年の株主宛て年次書簡で、「優れた経営陣を持つ優れた企業を所有する場合、われわれが好む保有期間は永遠だ」と説明していた。
この言葉通り、40年ほどたった今もコカ・コーラ株を保有し続けている。2024年末時点で、保有株の価値は約250億ドル(約3兆6000億円)に達していた。数十年にわたって毎年増配を続けているコカ・コーラの配当金は、24年だけでバークシャーに約7億7000万ドルをもたらした。
コカ・コーラ株はバークシャーとその株主にとって、単なる安定した収入源以上のものを意味するようになった。バフェット氏はコカ・コーラの筆頭株主だった。かつては取締役も務め、ぶれないセールスマンでもあった。チェリーコークを1日5本飲むと、よく公言していた。こうした献身ぶりが知れ渡り、バークシャーの年次株主総会のために数千人のファンがネブラスカ州オマハに集結する一因となった。
バークシャーはほかにも、米クレジットカード大手アメリカン・エキスプレス(アメックス)やアップルなどの大手企業に投資した。このことから、バフェット氏の投資哲学が、割安株の目利きだった初期から進化したことがうかがえる。株価が適正水準の優良企業に目を向けるよう彼に促したのは、長年ビジネスパートナーだったチャーリー・マンガー氏だ。
失敗:ソロモン・ブラザーズ
バークシャーは1987年に投資銀行大手ソロモン・ブラザーズの優先株を購入した。だが91年に同行トレーダーによる国債入札の不正操作が発覚。バフェット氏は会長として混乱の収拾に当たらざるを得なくなり、同社は政府の調査を受けた。
ソロモンは完全に立ち直ることなく、97年に金融サービス会社トラベラーズ・グループ(後のシティグループ)に身売りした。この取引でバークシャーの投資は難を逃れたものの、傷跡を残した。その後の数十年間、バフェット氏とかつてソロモンの取締役だったマンガー氏は、たびたびこの出来事を教訓として引き合いに出し、ウォール街を警戒する理由にも挙げていた。
バフェット氏は2010年のバークシャー株主宛て書簡で、「私は悪いニュースには対処できるが、それが悪化してから対処するのは好きではない」と語った。「悪いニュースにすぐに向き合うのを躊躇(ちゅうちょ)したことで、簡単に片付くはずだったソロモンの問題が、従業員8000人を抱える企業を崩壊寸前にまで追い込むことになった」
成功:比亜迪(BYD)
バフェット氏は、当時ほぼ無名だった中国バッテリーメーカーの比亜迪(BYD)を見いだし、同社の株式10%を購入するよう2008年にバークシャーに促したのは、マンガー氏の功績だと認めている。2億3000万ドルの投資の価値は2年足らずで20億ドル近くになった。
電気自動車(EV)需要を追い風に、BYDの株価は22年まで上昇を続けた。バークシャーは同年から持ち分を減らし始めた。
失敗:USエア
バークシャーは1989年に3億5800万ドルを支払い、米航空会社USエアの優先株を取得した。バフェット氏は90年代半ばまでにその評価額を75%引き下げ、失敗を認めた。
「英ヴァージン・アトランティック航空のオーナーで富豪のリチャード・ブランソン氏は、百万長者になる方法を聞かれ、『簡単だ。億万長者としてスタートし、それから航空会社を買えばいい』と即答した」。バフェット氏は1996年の株主宛て書簡にこう記した。「ブランソン氏の信条をうのみにできなかったあなたの会長は、1989年にUSエアの優先株9.25%に3億5800万ドルを投資して検証することにした」
バフェット氏は、米航空業界の規制緩和がUSエアの事業にどれほどの混乱をもたらすかを甘くみていたことを認めた。USエアは1990~94年に計24億ドルの赤字を計上した(USエアはUSエアウェイズとなった後、アメリカン航空と合併した)。
成功:ミッドアメリカン・エナジー
バフェット氏は1999年、長年の友人ウォルター・スコット氏の勧めで、アイオワ州デモインの公益会社ミッドアメリカン・エナジーの株式75%を取得した。スコット氏は80年代後半にバークシャーの取締役に就いていた。
ミッドアメリカン・エナジーは後にバークシャー・ハサウェイ・エナジー(BHE)となった。配当は行わず、買収と設備投資を通じて利益を事業に再投資することで成長した。BHEは保険事業、鉄道事業、アップル株とともにバークシャーの4本柱となり、年間営業利益は2000年の1億2200万ドルから40億ドル近くに増えた。
ミッドアメリカン・エナジーの買収に伴い、グレッグ・アベル氏がバークシャー・ハサウェイに加わった。バフェット氏は年末に最高経営責任者(CEO)の座を同氏に譲る意向だ。
失敗:バークシャー・ハサウェイ
経営難に陥っていた繊維メーカー、バークシャー・ハサウェイのトップは1964年5月、1株11.375ドルでの株式買い取りを株主に提案した。大株主だったバフェット氏は11.50ドルを希望していた。バークシャーのシーバリー・スタントン氏がそれより低い価格を提示したことで、「私はスタントン氏の態度に腹が立ち、応じなかった」。バフェット氏は2014年の書簡にそう記した。
これは「途方もなく愚かな判断だった」。
バークシャーはニューイングランドの繊維業界とともに衰退し続け、工場を閉鎖し、赤字が膨らんでいった。それでもスタントン氏に腹を立てていたバフェット氏は、同社の暗い見通しを無視して株を買い続け、1965年5月までに同社を完全取得した。同氏はこれを今でも後悔している。
「8分の1ポイントなんて私たちのどちらにとっても大したことではなかったのに、シーバリーと私の子供じみた振る舞いのせいで彼は職を失い、私は(バフェット・パートナーシップの)資本の25%以上を、自分がほぼ何も知らないひどい事業に投資してしまった」。バフェット氏は2014年の書簡にこう記した。
バフェット氏は繊維事業を何年も続けた。「だが、頑固さ(愚かさ?)にも限りがある」と同氏。「1985年、私はついに負けを認め、事業を閉鎖した」
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ジャスティンベアは、ニューヨークのウォールストリートジャーナルの財務局の副市場編集者です。
彼は世界最大の銀行、ブローカー、投資会社の多くをカバーしてきました。彼は、危機後の銀行規制や政府の調査から買収、金融サービスのデジタル化、パッシブ投資の台頭まで、さまざまなテーマについて幅広く書いています。
コカ・コーラからバークシャーまで、主な成功例と失敗例から得られた教訓をまとめた
By Justin Baer WSJ・副市場編集者 2025年5月7日
米著名投資家ウォーレン・バフェット氏は投資でも企業買収でも比類のない実績を残した。ただ、中には大失敗もある。
バフェット氏の下でバークシャー・ハサウェイが投資した企業は時価総額で世界上位となり、同氏はバークシャーの成功から恩恵を受けた株主以外にも多くの信奉者を得た。だが自身が指摘しているように、同社を率いた伝説的な60年間に行った全ての投資が、米アップルへの賭けほどうまくいったわけではない。そして同氏の言葉通り、そうした失敗からしばしば貴重な教訓が得られる。
バフェット氏の最大級の成功と失敗を見てみよう。
成功:コカ・コーラ
バフェット氏は1988年に初めてこの清涼飲料メーカーに投資した時、同社株を長期保有する意向をバークシャーの株主に伝えた。同年の株主宛て年次書簡で、「優れた経営陣を持つ優れた企業を所有する場合、われわれが好む保有期間は永遠だ」と説明していた。
この言葉通り、40年ほどたった今もコカ・コーラ株を保有し続けている。2024年末時点で、保有株の価値は約250億ドル(約3兆6000億円)に達していた。数十年にわたって毎年増配を続けているコカ・コーラの配当金は、24年だけでバークシャーに約7億7000万ドルをもたらした。
コカ・コーラ株はバークシャーとその株主にとって、単なる安定した収入源以上のものを意味するようになった。バフェット氏はコカ・コーラの筆頭株主だった。かつては取締役も務め、ぶれないセールスマンでもあった。チェリーコークを1日5本飲むと、よく公言していた。こうした献身ぶりが知れ渡り、バークシャーの年次株主総会のために数千人のファンがネブラスカ州オマハに集結する一因となった。
バークシャーはほかにも、米クレジットカード大手アメリカン・エキスプレス(アメックス)やアップルなどの大手企業に投資した。このことから、バフェット氏の投資哲学が、割安株の目利きだった初期から進化したことがうかがえる。株価が適正水準の優良企業に目を向けるよう彼に促したのは、長年ビジネスパートナーだったチャーリー・マンガー氏だ。
失敗:ソロモン・ブラザーズ
バークシャーは1987年に投資銀行大手ソロモン・ブラザーズの優先株を購入した。だが91年に同行トレーダーによる国債入札の不正操作が発覚。バフェット氏は会長として混乱の収拾に当たらざるを得なくなり、同社は政府の調査を受けた。
ソロモンは完全に立ち直ることなく、97年に金融サービス会社トラベラーズ・グループ(後のシティグループ)に身売りした。この取引でバークシャーの投資は難を逃れたものの、傷跡を残した。その後の数十年間、バフェット氏とかつてソロモンの取締役だったマンガー氏は、たびたびこの出来事を教訓として引き合いに出し、ウォール街を警戒する理由にも挙げていた。
バフェット氏は2010年のバークシャー株主宛て書簡で、「私は悪いニュースには対処できるが、それが悪化してから対処するのは好きではない」と語った。「悪いニュースにすぐに向き合うのを躊躇(ちゅうちょ)したことで、簡単に片付くはずだったソロモンの問題が、従業員8000人を抱える企業を崩壊寸前にまで追い込むことになった」
成功:比亜迪(BYD)
バフェット氏は、当時ほぼ無名だった中国バッテリーメーカーの比亜迪(BYD)を見いだし、同社の株式10%を購入するよう2008年にバークシャーに促したのは、マンガー氏の功績だと認めている。2億3000万ドルの投資の価値は2年足らずで20億ドル近くになった。
電気自動車(EV)需要を追い風に、BYDの株価は22年まで上昇を続けた。バークシャーは同年から持ち分を減らし始めた。
失敗:USエア
バークシャーは1989年に3億5800万ドルを支払い、米航空会社USエアの優先株を取得した。バフェット氏は90年代半ばまでにその評価額を75%引き下げ、失敗を認めた。
「英ヴァージン・アトランティック航空のオーナーで富豪のリチャード・ブランソン氏は、百万長者になる方法を聞かれ、『簡単だ。億万長者としてスタートし、それから航空会社を買えばいい』と即答した」。バフェット氏は1996年の株主宛て書簡にこう記した。「ブランソン氏の信条をうのみにできなかったあなたの会長は、1989年にUSエアの優先株9.25%に3億5800万ドルを投資して検証することにした」
バフェット氏は、米航空業界の規制緩和がUSエアの事業にどれほどの混乱をもたらすかを甘くみていたことを認めた。USエアは1990~94年に計24億ドルの赤字を計上した(USエアはUSエアウェイズとなった後、アメリカン航空と合併した)。
成功:ミッドアメリカン・エナジー
バフェット氏は1999年、長年の友人ウォルター・スコット氏の勧めで、アイオワ州デモインの公益会社ミッドアメリカン・エナジーの株式75%を取得した。スコット氏は80年代後半にバークシャーの取締役に就いていた。
ミッドアメリカン・エナジーは後にバークシャー・ハサウェイ・エナジー(BHE)となった。配当は行わず、買収と設備投資を通じて利益を事業に再投資することで成長した。BHEは保険事業、鉄道事業、アップル株とともにバークシャーの4本柱となり、年間営業利益は2000年の1億2200万ドルから40億ドル近くに増えた。
ミッドアメリカン・エナジーの買収に伴い、グレッグ・アベル氏がバークシャー・ハサウェイに加わった。バフェット氏は年末に最高経営責任者(CEO)の座を同氏に譲る意向だ。
失敗:バークシャー・ハサウェイ
経営難に陥っていた繊維メーカー、バークシャー・ハサウェイのトップは1964年5月、1株11.375ドルでの株式買い取りを株主に提案した。大株主だったバフェット氏は11.50ドルを希望していた。バークシャーのシーバリー・スタントン氏がそれより低い価格を提示したことで、「私はスタントン氏の態度に腹が立ち、応じなかった」。バフェット氏は2014年の書簡にそう記した。
これは「途方もなく愚かな判断だった」。
バークシャーはニューイングランドの繊維業界とともに衰退し続け、工場を閉鎖し、赤字が膨らんでいった。それでもスタントン氏に腹を立てていたバフェット氏は、同社の暗い見通しを無視して株を買い続け、1965年5月までに同社を完全取得した。同氏はこれを今でも後悔している。
「8分の1ポイントなんて私たちのどちらにとっても大したことではなかったのに、シーバリーと私の子供じみた振る舞いのせいで彼は職を失い、私は(バフェット・パートナーシップの)資本の25%以上を、自分がほぼ何も知らないひどい事業に投資してしまった」。バフェット氏は2014年の書簡にこう記した。
バフェット氏は繊維事業を何年も続けた。「だが、頑固さ(愚かさ?)にも限りがある」と同氏。「1985年、私はついに負けを認め、事業を閉鎖した」
------------------------------------------------
ジャスティンベアは、ニューヨークのウォールストリートジャーナルの財務局の副市場編集者です。
彼は世界最大の銀行、ブローカー、投資会社の多くをカバーしてきました。彼は、危機後の銀行規制や政府の調査から買収、金融サービスのデジタル化、パッシブ投資の台頭まで、さまざまなテーマについて幅広く書いています。
成功:コカ・コーラ
バフェット氏は1988年に初めてこの清涼飲料メーカーに投資した時、同社株を長期保有する意向をバークシャーの株主に伝えた。
「優れた経営陣を持つ優れた企業を所有する場合、われわれが好む保有期間は永遠だ」と説明。
この言葉通り、40年ほどたった今もコカ・コーラ株を保有し続けている。
数十年にわたって毎年増配を続けているコカ・コーラの配当金は、24年だけでバークシャーに約7億7000万ドルをもたらした。
バークシャーはほかにも、米クレジットカード大手アメリカン・エキスプレス(アメックス)やアップルなどの大手企業に投資した。このことから、バフェット氏の投資哲学が、割安株の目利きだった初期から進化したことがうかがえる。株価が適正水準の優良企業に目を向けるよう彼に促したのは、長年ビジネスパートナーだったチャーリー・マンガー氏だと、ジャスティンベア。
失敗:ソロモン・ブラザーズ
バークシャーは1987年に投資銀行大手ソロモン・ブラザーズの優先株を購入した。だが91年に同行トレーダーによる国債入札の不正操作が発覚。バフェット氏は会長として混乱の収拾に当たらざるを得なくなり、同社は政府の調査を受けた。
ソロモンは完全に立ち直ることなく、97年に金融サービス会社トラベラーズ・グループ(後のシティグループ)に身売りした。
この取引でバークシャーの投資は難を逃れたものの、傷跡を残した。
バフェット氏とかつてソロモンの取締役だったマンガー氏は、たびたびこの出来事を教訓として引き合いに出し、ウォール街を警戒する理由にも挙げていたのだそうです。
バフェット氏は2010年のバークシャー株主宛て書簡で、「悪いニュースにすぐに向き合うのを躊躇(ちゅうちょ)したことで、簡単に片付くはずだったソロモンの問題が、従業員8000人を抱える企業を崩壊寸前にまで追い込むことになった」と。
成功:比亜迪(BYD)
バフェット氏は、当時ほぼ無名だった中国バッテリーメーカーの比亜迪(BYD)を見いだし、同社の株式10%を購入するよう2008年にバークシャーに促したのは、マンガー氏の功績だと認めている。2億3000万ドルの投資の価値は2年足らずで20億ドル近くになった。
電気自動車(EV)需要を追い風に、BYDの株価は22年まで上昇を続けた。
失敗:USエア
バークシャーは1989年に3億5800万ドルを支払い、米航空会社USエアの優先株を取得した。バフェット氏は90年代半ばまでにその評価額を75%引き下げ、失敗を認めた。
バフェット氏は、米航空業界の規制緩和がUSエアの事業にどれほどの混乱をもたらすかを甘くみていたことを認めた。USエアは1990~94年に計24億ドルの赤字を計上した(USエアはUSエアウェイズとなった後、アメリカン航空と合併した)。
成功:ミッドアメリカン・エナジー
バフェット氏は1999年、長年の友人ウォルター・スコット氏の勧めで、アイオワ州デモインの公益会社ミッドアメリカン・エナジーの株式75%を取得。
ミッドアメリカン・エナジーは後にバークシャー・ハサウェイ・エナジー(BHE)となった。配当は行わず、買収と設備投資を通じて利益を事業に再投資することで成長した。BHEは保険事業、鉄道事業、アップル株とともにバークシャーの4本柱となり、年間営業利益は2000年の1億2200万ドルから40億ドル近くに増えた。
失敗:バークシャー・ハサウェイ
経営難に陥っていた繊維メーカー、バークシャー・ハサウェイのトップは1964年5月、1株11.375ドルでの株式買い取りを株主に提案。
大株主だったバフェット氏は11.50ドルを希望していた。バークシャーのシーバリー・スタントン氏がそれより低い価格を提示したことで、「私はスタントン氏の態度に腹が立ち、応じなかった」と、バフェット氏
これは「途方もなく愚かな判断だった」。
バークシャーはニューイングランドの繊維業界とともに衰退し続け、工場を閉鎖し、赤字が膨らんでいった。それでもスタントン氏に腹を立てていたバフェット氏は、同社の暗い見通しを無視して株を買い続け、1965年5月までに同社を完全取得した。同氏はこれを今でも後悔していると、ジャスティンベア氏。
バフェット氏は繊維事業を何年も続けた。「だが、頑固さ(愚かさ?)にも限りがある」と同氏。「1985年、私はついに負けを認め、事業を閉鎖した」と。
近年、日本の商社株に注目、買い付け。商社株価の高騰を産んでいただき、おこぼれにあずかり、感謝してます。
ウォーレン・バフェット氏はただ一人しかいない。「第2のバフェット」は決して現れないと、WSJパーソナル・ファイナンス担当コラムニストのジェイソン・ツヴァイク氏。
「第2のバフェット」が決して現れない理由 - WSJ
# 冒頭の画像は、チェリーコークを飲む、ウォーレン・バフェット氏

この花の名前は、八重ドクダミ
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