
安倍内閣は、G7で共同制裁中のロシアのプーチン大統領の来日招聘を進めようとしています。
G7の対露制裁の中では、独仏等欧州勢でも姿勢のバラツキがありますが、安倍政権も一線を引いた歩調です。北方領土問題を抱えている事、中国への抑止力として、日露は共有する課題を持っていることが挙げられ、その姿勢に、遊爺は反対してはいませんでした。むしろ、対中抑止力として、米国を説得して、中露接近(G7の制裁で孤立化し経済苦境に陥る露は、自身の意に反して中国へ接近せざるを得ない状況にある)を阻止・分断すべきとさえ考えています。
しかし、サケ・マス流し網漁の2016年から禁止法案承認、メドベージェフ首相の北方領土訪問意向表明と、露のこのところの対応は、安倍政権の意に逆らう言動か目立ちます。
安倍政権の情けにおぼれないぞとの、強がりの牽制球を投げているのか、プーチン大統領の胸の内は図りしれませんが、これだけ牽制球を投げられてもなを、G7の歩調を乱しかねないプーチン大統領の来日招聘を実現させるのが、国益にかなうのか、躊躇せざるを得ません。
民主党政権時代に犯した、日本国の国家の主権に対する姿勢の誤解を近隣諸国に産ませる大失政を繰り返すことになると説いておられるのは、ロシア問題に詳しい、袴田教授。
プーチン大統領の年内来日確認 日ロ首脳が電話協議 :日本経済新聞
根室市長「強い憤り」 ロシアがサケ・マス流し網漁禁止へ :日本経済新聞
官房長官:メドベージェフ露首相の北方領土訪問中止を要請 - 毎日新聞
三・五島返還で物議 谷内氏の訪露で北方領土の行方は? (週刊文春) - Yahoo!ニュース
「4島が露領であるのは第二次大戦の結果だ」と言うのは、ロシアの世論の大勢ですが、第二次大戦後の北方領土に関する国際条約は、サンフランシスコ条約です。そして、ロシアはこの条約への署名を拒否していますから、日露間で成立している北方領土に関する条約は、ポーツマス条約と言うことになります。日露戦争の結果で結ばれたポーツマス条約では、千島列島全島と南樺太が日本領となっています。
戦争の結果をロシアが主張するなら、戦争の結果として日露間で成立している条約の最新版であるポーツマス条約に遡るべきでしょう。
少なくとも、カードとして、日本は遡上に乗せてもよいと考えます。青山繁晴氏が、盛んに提唱しておられますね。
戦後の両国間の交渉経緯は以下です。
プーチン大統領は、1956年の「日ソ共同宣言」の2島返還が意中にあると推測されていましたが、2001年の「イルクーツク声明」では、4島が交渉対象と認めていますね。
しかし、冒頭で述べた様な直近の行動は、4島とも返さないという意思表示です。
当然、外交交渉ですから、落着点を最初から示すわけはなく、2島返還を目指すのなら、0島からスタートしてくるのは当然予測されることです。
日本は、国際条約のサンフランシスコ条約を調印しているのですから、4島という答えは明白ですが、対露交渉となると、直近の締結実績であるポーツマス条約からスタートすることを提起してよいでしょう。
谷内国家安全保障局長が訪露されています。その内容は聞こえてきていませんが、注目されるところですね。
三・五島返還で物議 谷内氏の訪露で北方領土の行方は? (週刊文春) - Yahoo!ニュース
主力ガス田の枯渇が迫り、極東や北極圏の開発が必要となっている台所事情のロシア。エネルギー安全保障の見地とシェールガス(原油価格下落で精彩をを欠いていますが)の台頭から、欧州での需要が減少し、中国、韓国、日本他のアジアへの新規販路拡大が必須となっているロシア。
なにも日本が急いで折れる必要はありません。袴田教授が唱えられるように、メドベージェフの4島訪問や、軍備拡充に対する抗議を、口先に留めず、ここは一旦待ちに転じて招聘話を延期することで、国家の主権を尊重する姿勢を示すのが国益に合致することと考えますがいかがでしょう。
# 冒頭の画像は、モスクワへ出発した谷内正太郎国家安全保障局長
露日の国家安全保障局長らがプーチン大統領の訪日を話し合う / Sputnik 日本

この花の名前は、福寿草 撮影場所 ; 信州四賀福寿草まつり 2015年 3月
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G7の対露制裁の中では、独仏等欧州勢でも姿勢のバラツキがありますが、安倍政権も一線を引いた歩調です。北方領土問題を抱えている事、中国への抑止力として、日露は共有する課題を持っていることが挙げられ、その姿勢に、遊爺は反対してはいませんでした。むしろ、対中抑止力として、米国を説得して、中露接近(G7の制裁で孤立化し経済苦境に陥る露は、自身の意に反して中国へ接近せざるを得ない状況にある)を阻止・分断すべきとさえ考えています。
しかし、サケ・マス流し網漁の2016年から禁止法案承認、メドベージェフ首相の北方領土訪問意向表明と、露のこのところの対応は、安倍政権の意に逆らう言動か目立ちます。
安倍政権の情けにおぼれないぞとの、強がりの牽制球を投げているのか、プーチン大統領の胸の内は図りしれませんが、これだけ牽制球を投げられてもなを、G7の歩調を乱しかねないプーチン大統領の来日招聘を実現させるのが、国益にかなうのか、躊躇せざるを得ません。
民主党政権時代に犯した、日本国の国家の主権に対する姿勢の誤解を近隣諸国に産ませる大失政を繰り返すことになると説いておられるのは、ロシア問題に詳しい、袴田教授。
プーチン大統領の年内来日確認 日ロ首脳が電話協議 :日本経済新聞
根室市長「強い憤り」 ロシアがサケ・マス流し網漁禁止へ :日本経済新聞
官房長官:メドベージェフ露首相の北方領土訪問中止を要請 - 毎日新聞
三・五島返還で物議 谷内氏の訪露で北方領土の行方は? (週刊文春) - Yahoo!ニュース
日本挑発する北方領土訪問計画 (7/29 産経 【正論】 新潟県立大学教授・袴田茂樹 )
7月23日の露閣僚会議でメドベージェフ首相が、北方領土訪問の意向と国境防備のための島の軍備強化方針を打ち出し、他の閣僚たちにも訪問を強く誘った。日本への挑発的な言動である。この報道に接して、私は3年前の深刻な事態を想起せざるを得なかった。
≪韓国、中国へも“飛び火”≫
2012年7月末に、民主党の玄葉光一郎外相とラブロフ外相の会談がロシアで予定されていた。しかし7月初めに突然メドベージェフ首相が国後島を訪問し、しかも日本に対してきわめて侮辱的な発言をした。外交常識から見て当然、日本は外相会談をキャンセルするか延期すべきだった。
しかし日本政府は抗議したが行動では逆に、玄葉外相は予定通り訪露し、しかもプーチンへの秋田犬のプレゼントまで持参した。
これを注視していたのが韓国の李明博大統領だ。専門家によると、李大統領は領土問題に関し日本は真剣勝負ではないと見て、直後の竹島訪問(8月)を決断したという。これが転回点となって、日韓関係が一挙に悪化した。
さらに翌9月、尖閣諸島が国有化されると、私有地の国有化は主権問題とは無関係にもかかわらず、中国が主権問題だと大騒ぎをし中国各地で反日暴動が起きた。
北方領土問題は主権侵害の問題だが、日本が真剣な対応をしないと、他の外交、安全保障さらには経済問題にも大きな影響が及ぶという具体例である。
先日の露閣僚会議では、来年から10年間の新クリール発展計画も採択した。これは軍事と民生を結合した島の総合開発計画で(予算700億ルーブル)、島の人口も25%増の2万4千人にする計画だ。6月にはショイグ国防相が択捉、国後の軍事拠点建設などの2倍加速を命じ、露国内ではこれは日本の領土返還要求への対応と報じられた。クリール発展計画も軍備強化も、島を日本に返還するつもりはないとの意思表示でもある。
≪なぜいま対日強硬策なのか≫
筆者は露屈指の日本専門家と日露関係について3月から5月にかけて往復7回の公開論争を続けた。露側の結論は、日本は数十年か無期限、領土問題は一切提起せず、露との協力関係を推進すべしというものだ。今回のメドベージェフの島訪問に関する露側報道でも、「露は島の共同開発を提案しているが、条件は日本側が領土要求を忘れて経済協力に集中すること」としている(『RIAノーボスチ』2015年7月25日)。
わが国では、プーチン大統領の年内訪日が検討され領土交渉進展が期待されている。それに配慮し、欧米諸国が6月以後、対露批判を強めているにもかかわらず、対露制裁も控えめにしてきた。従って、なぜいま対日強硬姿勢なのか、との戸惑いの声が政府などからも出ている。「大統領は北方領土問題解決に強い意欲を示しているのに、首相がそれを阻害する言動を繰り返している」といった報道さえある(朝日新聞 7月24日)。しかしこの認識は間違いだ。
4島の発展計画や軍備増強も、プーチンの意に反して首相や国防相が進めることはあり得ず、当然、大統領の指示で推進されている。北方領土問題でも大統領自身が強硬姿勢なのだが、わが国ではほとんど報じられていないので、説明しよう。
≪露大統領招聘は正しい行動か≫
北方四島の帰属(主権)は未定と両国が公式に認めていたのに、平和条約交渉に関連して「4島が露領であるのは第二次大戦の結果だ」と初めて述べたのはプーチンだ(2005年9月27日 露国営テレビ)。彼は2012年3月に、朝日新聞の若宮啓文主筆に領土問題で「ヒキワケ」と述べ注目された。その時彼は、日ソ共同宣言に従って歯舞、色丹を日本に引き渡しても、「その後それらの島がどちらの国の主権下に置かれるのか、宣言には書いてありませんよ」との強硬発言をしたが(昨年5月にも同じ発言をしている)、朝日や他の日本メディアはこの強硬部分を報じなかった。
またその時、彼は「両国外務省に(交渉)ハジメの指令を出そう」とも述べたが、その後、露外務省は日本外務省との領土交渉を拒否してきた。もちろん、反大統領ゆえではなく、彼の指令がないからだ。プーチンが外務省に話し合いをさせようなどと人ごとのように言うこと自体、解決の意思がない証拠だ。両外務省は何十年も議論をし尽くしているが決定権はなく、いま残されているのは両国首脳の決断だけだからだ。
ではこの状況で日本として露にどう対応すべきか。わが国は北方領土問題に関して、しばしば露側に抗議し言葉で批判するが、行動が伴わず、時には逆の行動さえとる。従って、日本の抗議は単なる「儀式」だと、露首脳たちにも揶揄(やゆ)される。結局いま問われているのは、今年プーチン大統領を招くのは国家として正しい行動なのか、国家主権の問題でまた誤解を招くことにならないか、ということである。露との良好な関係構築は必要だが、それと個々の問題への対応ははっきり区別すべきだ。(はかまだ しげき)
7月23日の露閣僚会議でメドベージェフ首相が、北方領土訪問の意向と国境防備のための島の軍備強化方針を打ち出し、他の閣僚たちにも訪問を強く誘った。日本への挑発的な言動である。この報道に接して、私は3年前の深刻な事態を想起せざるを得なかった。
≪韓国、中国へも“飛び火”≫
2012年7月末に、民主党の玄葉光一郎外相とラブロフ外相の会談がロシアで予定されていた。しかし7月初めに突然メドベージェフ首相が国後島を訪問し、しかも日本に対してきわめて侮辱的な発言をした。外交常識から見て当然、日本は外相会談をキャンセルするか延期すべきだった。
しかし日本政府は抗議したが行動では逆に、玄葉外相は予定通り訪露し、しかもプーチンへの秋田犬のプレゼントまで持参した。
これを注視していたのが韓国の李明博大統領だ。専門家によると、李大統領は領土問題に関し日本は真剣勝負ではないと見て、直後の竹島訪問(8月)を決断したという。これが転回点となって、日韓関係が一挙に悪化した。
さらに翌9月、尖閣諸島が国有化されると、私有地の国有化は主権問題とは無関係にもかかわらず、中国が主権問題だと大騒ぎをし中国各地で反日暴動が起きた。
北方領土問題は主権侵害の問題だが、日本が真剣な対応をしないと、他の外交、安全保障さらには経済問題にも大きな影響が及ぶという具体例である。
先日の露閣僚会議では、来年から10年間の新クリール発展計画も採択した。これは軍事と民生を結合した島の総合開発計画で(予算700億ルーブル)、島の人口も25%増の2万4千人にする計画だ。6月にはショイグ国防相が択捉、国後の軍事拠点建設などの2倍加速を命じ、露国内ではこれは日本の領土返還要求への対応と報じられた。クリール発展計画も軍備強化も、島を日本に返還するつもりはないとの意思表示でもある。
≪なぜいま対日強硬策なのか≫
筆者は露屈指の日本専門家と日露関係について3月から5月にかけて往復7回の公開論争を続けた。露側の結論は、日本は数十年か無期限、領土問題は一切提起せず、露との協力関係を推進すべしというものだ。今回のメドベージェフの島訪問に関する露側報道でも、「露は島の共同開発を提案しているが、条件は日本側が領土要求を忘れて経済協力に集中すること」としている(『RIAノーボスチ』2015年7月25日)。
わが国では、プーチン大統領の年内訪日が検討され領土交渉進展が期待されている。それに配慮し、欧米諸国が6月以後、対露批判を強めているにもかかわらず、対露制裁も控えめにしてきた。従って、なぜいま対日強硬姿勢なのか、との戸惑いの声が政府などからも出ている。「大統領は北方領土問題解決に強い意欲を示しているのに、首相がそれを阻害する言動を繰り返している」といった報道さえある(朝日新聞 7月24日)。しかしこの認識は間違いだ。
4島の発展計画や軍備増強も、プーチンの意に反して首相や国防相が進めることはあり得ず、当然、大統領の指示で推進されている。北方領土問題でも大統領自身が強硬姿勢なのだが、わが国ではほとんど報じられていないので、説明しよう。
≪露大統領招聘は正しい行動か≫
北方四島の帰属(主権)は未定と両国が公式に認めていたのに、平和条約交渉に関連して「4島が露領であるのは第二次大戦の結果だ」と初めて述べたのはプーチンだ(2005年9月27日 露国営テレビ)。彼は2012年3月に、朝日新聞の若宮啓文主筆に領土問題で「ヒキワケ」と述べ注目された。その時彼は、日ソ共同宣言に従って歯舞、色丹を日本に引き渡しても、「その後それらの島がどちらの国の主権下に置かれるのか、宣言には書いてありませんよ」との強硬発言をしたが(昨年5月にも同じ発言をしている)、朝日や他の日本メディアはこの強硬部分を報じなかった。
またその時、彼は「両国外務省に(交渉)ハジメの指令を出そう」とも述べたが、その後、露外務省は日本外務省との領土交渉を拒否してきた。もちろん、反大統領ゆえではなく、彼の指令がないからだ。プーチンが外務省に話し合いをさせようなどと人ごとのように言うこと自体、解決の意思がない証拠だ。両外務省は何十年も議論をし尽くしているが決定権はなく、いま残されているのは両国首脳の決断だけだからだ。
ではこの状況で日本として露にどう対応すべきか。わが国は北方領土問題に関して、しばしば露側に抗議し言葉で批判するが、行動が伴わず、時には逆の行動さえとる。従って、日本の抗議は単なる「儀式」だと、露首脳たちにも揶揄(やゆ)される。結局いま問われているのは、今年プーチン大統領を招くのは国家として正しい行動なのか、国家主権の問題でまた誤解を招くことにならないか、ということである。露との良好な関係構築は必要だが、それと個々の問題への対応ははっきり区別すべきだ。(はかまだ しげき)
「4島が露領であるのは第二次大戦の結果だ」と言うのは、ロシアの世論の大勢ですが、第二次大戦後の北方領土に関する国際条約は、サンフランシスコ条約です。そして、ロシアはこの条約への署名を拒否していますから、日露間で成立している北方領土に関する条約は、ポーツマス条約と言うことになります。日露戦争の結果で結ばれたポーツマス条約では、千島列島全島と南樺太が日本領となっています。
戦争の結果をロシアが主張するなら、戦争の結果として日露間で成立している条約の最新版であるポーツマス条約に遡るべきでしょう。
少なくとも、カードとして、日本は遡上に乗せてもよいと考えます。青山繁晴氏が、盛んに提唱しておられますね。
戦後の両国間の交渉経緯は以下です。
北方領土交渉経緯
プーチン次期大統領が北方領土問題の最終解決を目指したいと - 遊爺雑記帳
<前略>
<追記挿入>
■日ソ共同宣言 (1956年)
1956年10月19日 鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名
北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意
<追記挿入 ここまで>
■日ソ共同声明(1991年)
1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。
北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認さた。
■東京宣言(1993年)
1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。
領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。
また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。
■クラスノヤルスク合意(1997年)
1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。
■川奈合意(1998年)
1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。
■イルクーツク声明(2001年)
2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。
日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。
■日露行動計画(2003年)
2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。
<後略>
プーチン次期大統領が北方領土問題の最終解決を目指したいと - 遊爺雑記帳
<前略>
<追記挿入>
■日ソ共同宣言 (1956年)
1956年10月19日 鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名
北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意
<追記挿入 ここまで>
■日ソ共同声明(1991年)
1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。
北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認さた。
■東京宣言(1993年)
1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。
領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。
また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。
■クラスノヤルスク合意(1997年)
1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。
■川奈合意(1998年)
1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。
■イルクーツク声明(2001年)
2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。
日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。
■日露行動計画(2003年)
2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。
<後略>
プーチン大統領は、1956年の「日ソ共同宣言」の2島返還が意中にあると推測されていましたが、2001年の「イルクーツク声明」では、4島が交渉対象と認めていますね。
しかし、冒頭で述べた様な直近の行動は、4島とも返さないという意思表示です。
当然、外交交渉ですから、落着点を最初から示すわけはなく、2島返還を目指すのなら、0島からスタートしてくるのは当然予測されることです。
日本は、国際条約のサンフランシスコ条約を調印しているのですから、4島という答えは明白ですが、対露交渉となると、直近の締結実績であるポーツマス条約からスタートすることを提起してよいでしょう。
谷内国家安全保障局長が訪露されています。その内容は聞こえてきていませんが、注目されるところですね。
三・五島返還で物議 谷内氏の訪露で北方領土の行方は? (週刊文春) - Yahoo!ニュース
主力ガス田の枯渇が迫り、極東や北極圏の開発が必要となっている台所事情のロシア。エネルギー安全保障の見地とシェールガス(原油価格下落で精彩をを欠いていますが)の台頭から、欧州での需要が減少し、中国、韓国、日本他のアジアへの新規販路拡大が必須となっているロシア。
なにも日本が急いで折れる必要はありません。袴田教授が唱えられるように、メドベージェフの4島訪問や、軍備拡充に対する抗議を、口先に留めず、ここは一旦待ちに転じて招聘話を延期することで、国家の主権を尊重する姿勢を示すのが国益に合致することと考えますがいかがでしょう。
# 冒頭の画像は、モスクワへ出発した谷内正太郎国家安全保障局長
露日の国家安全保障局長らがプーチン大統領の訪日を話し合う / Sputnik 日本

この花の名前は、福寿草 撮影場所 ; 信州四賀福寿草まつり 2015年 3月
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