
暴徒はそんないきさつは知らない輩だからと一言で片づけられていましたが、官制デモの側面もあった今回のデモで、果たしてそんな単純な理由でいのだろうかと引っかかっているのです。
そこへ、「反日デモ、パナソニックはなぜ襲撃されたのか」という日経の記事がありました。(日経の無料会員登録でも全文が読めますので、未登録の方でもリンクをクリックして登録のうえご覧ください。)
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<前略>
その予兆はあった。当初は順調に事業を拡大したパナソニックだが、韓国や中国メーカーの台頭にともない次第に勢いを失う。友好のシンボルだった北京のブラウン管工場は経営不振に陥り、2009年には中国側の合弁相手に持ち株を譲渡して撤退した。当時、リストラを巡って労働争議も起きたとされる。
日中関係に詳しい中国メディアの記者は「尖閣問題が再燃してパナソニックの工場が襲撃されたことに日中の歴史の因縁を感じる」と指摘する。大手商社の元幹部はこう漏らした。「トウ小平時代は完全に終わった。暴徒の中にはパナソニックが中国経済に貢献した経緯を知らない人も多いだろう」。
<中略>
パナソニックの工場があった山東省青島黄島区はジャスコなども襲撃を受け、中国全体から見ても被害が深刻だった印象を受ける。
「山東省はもともと政治的に北京に従順な土地柄。『日本に徹底抗議せよ』という指示に忠実に従った結果だろう」。現地の日系企業関係者はこう分析する。「青島の黄島区は地方からの出稼ぎ労働者や大学生が多く、デモが過熱しやすい土壌がある。当局も制御しきれなかった」との指摘もある。
■なぜ電機の工場ばかりが…
中国全土に広がった反日デモがひとまず沈静化した9月21日午後。南部の工業都市、広東省深セン市西部の工場街にはなおも「釣魚島を返せ」と叫びながら行進する男女数百人の集団があった。おそろいの白いTシャツの背中には「FUJIFILM」のロゴ。携帯電話向けカメラを生産する富士フイルムの工場を飛び出してデモに参加した中国人従業員の一団だった。
工場関係者によると、その日朝に出勤した従業員が「我々もデモをしたい」と管理職の制止を振り切って町に出たという。深セン市では東芝テックやブラザー工業でも従業員が職場放棄してデモに参加し、日本製品をつくる労働者たちの「反日」が連鎖した。
「従業員のデモが発生するのは電機の工場ばかり。何か背後関係があるのだろうか」。深センに近い中山市に拠点を構える日本人経営コンサルタントは首をかしげる。同市の工業開発区でも17日にカシオ計算機の工場を皮切りに、キヤノン、船井電機などに従業員の反日デモが拡大していた。思い当たる原因のひとつが近隣の自動車工場との賃金格差だ。
広東省では2010年にホンダの部品工場で待遇を不満にした従業員らがストライキを打ち、周辺の自動車工場を巻き込んで賃上げが進んだ。電機と自動車との賃金格差が広がった結果、日本企業の電機系工場従業員の不満がたまっているという。
合弁か全額出資か。この点も明暗を分けた可能性がある。中国の労働専門家は「電機の工場は日本企業が全額出資するケースが多い。経営層を日本人ばかりが占め、昇進や給料で中国人従業員の不満がたまりやすい」と指摘する。
9月中旬以降、広東省の日系電機大手の工場で従業員の反日デモが広がったが、同省広州市にあるトヨタ自動車、日産自動車、ホンダの合弁工場では混乱が起きなかった。「合弁相手の国有企業からの派遣幹部が従業員に『デモに参加するな』と必死に抑え込んだ」。ある合弁工場の日本側からの派遣幹部は打ち明ける。
日産、ホンダの両社と組む東風汽車集団(湖北省)は中国2位の大手で、ホンダやトヨタと組む広州汽車集団(広東省)も6位につける。だが、収益の中核を担うのは合弁生産する日本車。販売台数に占める比率は東風汽車で4割、広州汽車で9割という。
■コニカミノルタ、中国人幹部が「任せてほしい」
電機系のなかでも、被害を最小限に食い止めた工場もある。
江蘇省無錫新区と広東省東莞に事務機器工場を持つコニカミノルタの例を見てみよう。
上海から高速道路で2時間半の無錫工場も9月18日は朝から落ち着かない雰囲気だったという。6000人の従業員たちの多くは携帯電話のショートメッセージなどを通じて、工場前の大通りをデモ隊が昼ごろに行進することを知っていたからだ。午前11時前には地元警察から工場に連絡が入った。事前の呼びかけ通り、数キロメートル離れた「暇日広場」にデモ参加者が続々と集まっているという。
「すぐに全員を帰宅させよう」。従業員を大型バスに次々に乗せて、寮に送り届け、デモ隊との合流を未然に防いだ。即決したのは中国人の工場幹部だ。
前日の17日。「対応は我々に任せてください」。同工場トップの董事長である渥美浩三ら日本人幹部に対し、2005年の工場稼働以来ここで働く中国人幹部が訴えた。30歳代後半の彼らは人事総務部の副部長など要職に就いており、工場運営の中枢を担っていた。この工場でキャリアを積んできた彼らの「工場を守る」意識は強かった。渥美らは彼らの意見を採用した。
「デモに参加したいと言ってきたらどうするか」
「無理に行くなとは言えない」
「仮に行ったとしてもとがめないようにしよう」
中国人幹部は盛り上がる「反日」を前に、無理に止めても従業員を刺激するだけで得策ではないと割り切った。その上で、日本人幹部と情報を共有し、地元警察や政府関係者と連携を取り「デモが発生したら、すぐに操業を止め、従業員を帰宅させる」という基本方針と手順を決めて臨み、混乱を回避した。
もう一方のコニカミノルタ広東省東莞工場。ここでも知恵を絞ったのは中国人幹部だった。
昼休み、周辺で強まるシュプレヒコールに呼応し、工場と食堂を隔てる公道で何人かの従業員が「釣魚島は中国のものだ」などと叫び出すと、瞬く間に人が膨れあがった。止めようとする中国人幹部社員に「おまえは日本人の犬か」と罵声を浴びせ、数百人規模に増えた従業員のデモ隊は街中へ繰り出していった。
この状態が毎日続けば工場は機能しなくなる。どうやって従業員に冷静さを保ってもらうか。
■「おはよう」作戦でデモ離脱促す
「早上好(おはよう)」。20日、工場のすぐそばにある従業員寮の前、中国人管理職が総出で出勤する従業員一人ひとりに声をかけていた。同日の昼休みも工場と食堂を結ぶ公道上に管理職が立ち、自分の部下を引き連れては一緒に食堂に入る。15人前後の部下と食事を共にするグループリーダーたち。密なコミュニケーションを取り戻したことによって、若い従業員たちは職場へと戻っていった。「反日を叫ぶデモの前で、日本人は前線で指揮を執ることはできない。中国人幹部が若い従業員とうまく対話できたから、難局を乗り切れた」。無錫と東莞の両工場を指揮する渥美は言う。
<中略>
中国人幹部社員の機転に救われた日系企業も安心してはいられない。領土問題を背景にした反日運動は根深く、同等以上の反日デモが起こらないという保証はどこにもない。労務問題に詳しい中国人弁護士は警鐘を鳴らす。「今回は日本企業側に立った人材もいつ、向こう(中国)側に立つか分からない。日系企業が考えるべき事はどうやって中国人社員の心をつなぎ止めるかだ」
企業への襲撃は完全な無差別攻撃とはいえない。工場の立地、資本構成、中国人幹部の存在、賃金水準……それぞれの日系企業が抱える条件は様々だが、「襲われる理由」をつぶしていかなければ、不安は消すことはできない。
工場の立地、資本構成、中国人幹部の存在、賃金水準格差といった要因が、業種や企業毎に異なり、無差別に暴徒が襲ったのではないようです。
パナソニックに関しては、工場の立地が該当し、北京に従順な山東省が、「日本に徹底抗議せよ」という指示に忠実に従った結果だということの様ですね。やはり官制デモの陰があった。
経営不振で撤退した工場での労働争議と、井戸を掘った人との相殺があったかは不明です。
遊爺は、中国人幹部の存在が一般的には大きいと、知りうる範囲から考えます。
中国に限らず、海外に進出した企業は、日本人幹部は最低必要限に抑えるのが、社員のモチュベーションもさることながら、意識共有で欠かせませんし、コスト削減にもつながり、常識のはずですが、早くから進出していた電機業界は、むしろこの面では草創期のままで逆に遅れてしまっているのでしょうか。
記事では、反日意識は根強く今後も同等以上の反日デモの懸念を示していますが、遊爺も同感ですし、長期に渡ると想定しています。
格差社会対策での賃金上昇や人権意識の向上によるコストメリット減少での輸出競争力の減退、少子高齢化などでの経済成長が停滞することでの国力低迷が、反日政策を強め国民の視線を逸らす方向に向かうのか、小平時代に戻り、日本との連携を深めて自国経済の成長を計ることに転じるのか、時間の経過とともに見極めざるを得ないでしょう。
そして、見極めが出来るまで、つまり、再び日本との連携を望んで来るまでは、記事の言う「襲われる理由つぶし」は、「深い反日意識」へのはかない気休めの対策でしかなく、チャイナプラスワン or 脱チャイナが賢明な策だと考えます。
そのことが、中国の反省を促す時期を早める事にも利するでしょう。
# 冒頭の画像は、デモ隊に襲われたバナソニックの電子部品工場

この花の名前は、リュウキンカ 撮影場所; 六甲高山植物園
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