8月6日、ウクライナ軍がロシアに逆侵攻を仕掛けた。ロシア領内のクルスク州を奇襲し、国境から約30km内陸の地方都市スジャを制圧。虚を突かれたロシア・プーチン大統領の面目は丸つぶれで、祖国防衛に絶対の自信を見せた「強い指導者」のトレードマークも、大きく傷ついていると、深川孝行氏。
「プーチン氏の顔に泥を塗ることができた」だけで、ウクライナにとっては大成功だろう。同国のゼレンスキー大統領は、主たる目的を「侵略者の領内に緩衝地帯を構築するため」と強調するが、主要メディアは他の狙いも勘繰ると、深川氏。
「将来のロシアとの停戦交渉に備えて奪われた国土と交換するための“人質”」
「ロシア国民の厭戦(えんせん)気分を盛り上げるため」
「スジャ近郊のクルスク原発へのプレッシャー」
「米製ATACMS地対地ミサイルの長射程型(射程300km)のロシア領内攻撃をアメリカに容認させる」
だが、ゼレンスキー氏は全く別次元の思惑も忍ばせているのではないだろうか。「もしトラ」という、ウクライナにとって“悪夢”のシナリオが正夢となった時の「保険」、あるいは「ディールの切り札」という備えであると、深川氏。
米の有力政治情報メディア「ポリティコ」によれば、トランプ氏は2024年4月、フロリダ州マー・ア・ラゴの別荘に米化石エネルギー業界の幹部らを招いて会合を開き、10億ドル(約1500億円)の寄付を求めたのだそうです。
米化石エネルギー産業界は業績拡大のチャンスと見て、ここ数年で世界最大のLNG消費市場へと躍進した欧州(大半はEU/欧州連合)に狙いを定め、LNGの売り込み攻勢をかけている。
トランプ氏は民主党政権が推進してきた「気候変動対策・再生可能エネルギー重視」に代わり、「化石エネルギー重視」を公言している。米化石エネルギー業界にとっては、追い風どころか“神風”だろうと、深川氏。
今年7月中旬の共和党大会でもトランプ氏は、「Drill Baby Drill!(掘って掘って、掘りまくれ!)」とほえた。「石油・石炭・天然ガスをどんどん採掘せよ」の意味で、バイデン政権が強化する化石エネルギー規制策を、大統領返り咲き後は即撤廃するとうそぶく。
“トランプ公約”では、「雇用確保」を強調。ラストベルト(五大湖周辺の鉱工業が盛んだった地域)の白人労働者や、米中部~中西部の農業従事者を強烈に意識した内容だと、深川氏。
世界屈指の埋蔵量・生産量を誇る米国内の石油・石炭・天然ガスの開発が加速すれば、ガソリン代や電気代、工場の燃料代は大幅に安くなり、物価も下がって雇用創出にもつながる──との三段論法だと。
2000年代初めのシェール革命で、アメリカの天然ガス産出量は激増。天然ガス産出量の世界ランキングを見ても、これまで長年首位だったロシアを抜き、数年前からアメリカがトップを独走。
2023年にはLNG輸出量で1、2位の座を不動としていた豪州、カタールを飛び越え、約8500万トンでこちらも首位を奪っている。
西側の盟主からLNGを潤沢に調達できるなら安全保障上これに勝るものはないとして、日本・韓国、西欧などアメリカの同盟国はこぞって米産LNGの輸入を増やしている。
EUは地理的近さとパイプラインを使い、地続きで入手できる手軽さから、これまでロシア産天然ガスの依存度が高く、侵略戦争直前まで全消費量の4~5割を占めていた。だが戦争勃発以降“脱ロシア”を急ぎ、2023年の輸入量は、戦争直前の2021年と比べ8割も削減し、不足分の大半を米産LNGがカバーした。
エクソン・モービルやシェブロンを始め、米化石エネルギー業界にとって、ウクライナ侵略戦争は文字どおりの「特需」で、これを機にLNG輸出のさらなる拡大、特に最大の市場・欧州/EUでのシェアアップを狙う。一方、欧州市場の約半分を握っていたロシアは、自ら起こした侵略戦争でその大半を喪失。この空白を埋めるように米産LNGが欧州大陸で存在感を増しているのだそうです。
天然ガスの“脱ロシア”を進めているはずのEUが、なぜかここ1、2年逆にロシア産LNGの輸入量を増やしているという矛盾が生じていると、深川氏。
「敵に塩を送る」ようなEUの行為を、アメリカがいつまでも黙認するとは思えない。
ビジネスライクで臨むアメリカに対し、安価なロシア産LNGをカウンターとしてぶつけ、価格交渉で優位に立とうとする老獪な欧州の「したたかさ」も見え隠れするとも。
「大統領再選の暁には、ウクライナ侵略戦争を1日で終わらせる」「これ以上ウクライナへの軍事援助はしない」と豪語するトランプ氏の米大統領返り咲きは、ゼレンスキー氏にとっては大きな悩みの種だろうと、深川氏。
そこで、米大統領選までちょうど3カ月前の8月6日を選び、「逆侵攻」によりロシア本土の一部を占領するというサプライズで印象づけ、これをトランプ氏とのディールにおける切り札にしようという思惑も隠されているのではないだろうかと。
仮にトランプ氏が返り咲けば、公約どおり無理矢理にでも停戦に持ち込もうとするはずだ。
ゼレンスキー氏に妥協に次ぐ妥協を強要し、プーチン氏との停戦交渉をまとめる可能性は高く、同時に「これ以上ウクライナに軍事援助しない(有償援助はするかもしれないが)」と主張する可能性もある。
そこでゼレンスキー氏が逆侵攻で占領したスジャが、実は重要な意味を持つと考えられると、深川氏。
ウクライナの占領地域には、「ドルジバ(友好)・パイプライン」が縦断する。
パイプラインの大半は地中に埋設され目立たないが、スジャはパイプライン内のガスの流量を計る「メータリング・ステーション」など、天然ガスを欧州に供給するための設備が集中し、パイプラインの一部も地上に顔を見せるのだそうです。
天然ガスが重要な外貨獲得源のロシアにとって、極めて重要なインフラ拠点。
エネルギーの要衝を今回ウクライナ軍は無傷で奪った形だが、天然ガス業界に与えるインパクトはやはり強力だったようで、「スジャ制圧」のニュースが流れると市場は敏感に反応、供給懸念からガス相場が一時期高騰したのだそうです。
EUの“脱ロシア”政策により、ガス輸送量は大幅減で、ドルジバも最盛期の数分の1ほどの輸送量にとどまるか、または「開店休業」の状況にあるようだ。それでも、スジャ制圧が世界の化石エネルギー業界に及ぼすインパクトは相当なもので、今回はくしくもその重要性を証明する格好となった。
つまりスジャのガス関連施設が、トランプ氏とのディールにおける肝になるとも考えられる。前述どおりトランプ氏は化石エネルギー業界の全面支援を受けており、彼らの利益確保は最優先に考えるはずだ。だが仮にトランプ氏の強引さが奏功し停戦交渉が妥結すれば、「のど元過ぎれば」と、EU各国は安さの誘惑に負け、ロシア産天然ガスの輸入を徐々に増やす可能性が極めて高いと、深川氏。
そうした状況は欧州市場でのシェア拡大を目指す米化石エネルギー業界にとって看過できない事態。
もちろんトランプ氏も、「アメリカがウクライナに断トツの軍事援助を注ぎ、ロシアの侵略から欧州を守ったというのに、停戦したら節操もなくロシア産天然ガスの大量買いに走るとはけしからん」と憤るに違いないと、深川氏。
ただしこの時、トランプ氏が「スジャ」のカードをチラつかせて「ドルジバ」の停止を匂わせたり、天然ガス市場を揺さぶったりすれば、欧州、ロシア双方に対し「天然ガス」というキーワードで影響力や抑止力を発揮できる。
ゼレンスキー氏が、「スジャ奪還を目指すロシア軍に対抗するには、引き続きアメリカの軍事援助が不可欠で、米産LNGの対欧州輸出拡大にも直結しインフレ抑制、雇用確保にも大いに寄与する」と、「風が吹けばおけ屋が儲かる」的論理でトランプ氏と交渉。大いにメリットを感じたトランプ氏は、これまでの軍事支援の即刻中止を覆し、一転大々的な兵器供与に号令──という大胆なシナリオも考えられると、深川氏。
トランプ氏が目論む「停戦協定=ノーベル平和賞」についても、仮にゼレンスキー氏がこんな説明をすれば納得するかもしれないとも。
「ロシア~欧州間のパイプラインを締め上げ、米産LNGを増産し世界中に販売攻勢をかけたり、ロシア産天然ガスの一大輸入国・中国に対米貿易黒字減らし策として米産LNGをもっと買えとさらに圧力をかけたりするなどの策を講じれば、ロシア産天然ガスの存在感はガタ落ちになり、やがてロシアは窮しプーチン政権も終焉する。そしてタイミングを見て停戦交渉を持ちかけウクライナ有利で妥結すれば、ノーベル平和賞も確実だ」
逆侵攻にタイミングを合わせたかのように、今年8月14日ロシア~欧州を結ぶバルト海の海底ガス・パイプライン「ノルドストリーム」の爆破事件(2022年9月)にウクライナ人が関与したとして、ドイツ検察当局が逮捕状を取ったとドイツ公共放送(ARD)など同国メディアが一斉に報道した。
2年前の天然ガス関連事件の続報が、なぜこのタイミングで公表されるのか。何かを狙って意図的にリークしたのではとも思える。少なくともトランプ氏に天然ガスの重要性を印象づけるには十分だろう。
これらはあくまでも推測の1つに過ぎず真偽は全くの不明だが、いずれにせよ今後ウクライナは逆侵攻で占領したスジャ周辺を保持し続けられるかが、セレンスキー氏の正念場と言えるだろうと、深川氏。
このところ劣勢にみえたウクライナですが、奥の手のロシア領への反戦攻撃。
ロシア国内でのプーチン氏の評価や、停戦に向けて、流れをかえることになるのでしょうか。
#冒頭の画像は、米製HIMARS(ハイマース:高機動ロケット砲システム)から発射のATACMS地対地ミサイルで攻撃を受ける、スジャ近郊の橋梁
この花の名前は、オイランソウ
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月刊Hanada2024年2月号 - 花田紀凱, 月刊Hanada編集部 - Google ブックス
“もしトラ”に備えるゼレンスキー大統領、ロシア逆侵攻とトランプ氏のエネルギー政策が無縁ではない理由 | JBpress (ジェイビープレス) 2024.8.28(水) 深川 孝行
ウクライナのロシア逆侵攻は「軍事援助中止撤回」のディールか
今年(2024年)8月6日、ウクライナ軍がロシアに逆侵攻を仕掛けた。5000~1万人の大兵力でウクライナ北東部からロシア領内のクルスク州を奇襲し、国境から約30km内陸の地方都市スジャを制圧した。ウクライナ侵略戦争で同軍による初のロシア本土への本格的逆襲に、世界中は度肝を抜かれた。
侵攻部隊はスジャ周囲に陣地を構え、近隣の主な橋梁も次々と破壊。ロシア軍の反撃に備えつつ長期間占拠する構えも見せる。
虚を突かれたロシア・プーチン大統領の面目は丸つぶれで、祖国防衛に絶対の自信を見せた「強い指導者」のトレードマークも、大きく傷ついている。
「プーチン氏の顔に泥を塗ることができた」だけで、ウクライナにとっては大成功だろう。同国のゼレンスキー大統領は、主たる目的を「侵略者の領内に緩衝地帯を構築するため」と強調するが、主要メディアは他の狙いも勘繰る。
「将来のロシアとの停戦交渉に備えて奪われた国土と交換するための“人質”」
「ロシア国民の厭戦(えんせん)気分を盛り上げるため」
「スジャ近郊のクルスク原発へのプレッシャー」
「米製ATACMS地対地ミサイルの長射程型(射程300km)のロシア領内攻撃をアメリカに容認させる」
だが、ゼレンスキー氏は全く別次元の思惑も忍ばせているのではないだろうか。「もしトラ」、つまり「もしも今年11月5日の次期米大統領選で、トランプ前米大統領が勝利したら」という、ウクライナにとって“悪夢”のシナリオが正夢となった時の「保険」、あるいは「ディールの切り札」という備えである。
特にディール好きのトランプ氏が大統領に返り咲いたことも想定し、「ロシアへの逆侵攻と領土の一部占領」という派手な手札を用意しようというもので、より具体的には「LNG(液化天然ガス)」と「軍事援助中止の撤回」をキーワードとした取引の交渉が、すでに水面下で行われているかもしれない、との推測だ。
「化石エネルギー規制策」を覆したいトランプ氏の思惑
トランプ氏率いる米共和党は、歴史的に石油・天然ガスなど化石エネルギー業界と親密だ。米の有力政治情報メディア「ポリティコ」によれば、トランプ氏は2024年4月、フロリダ州マー・ア・ラゴの別荘に米化石エネルギー業界の幹部らを招いて会合を開き、10億ドル(約1500億円)の寄付を求めたという。
顔ぶれはエクソン・モービルやシェブロンといった日本でも著名な石油メジャーや、業界の総元締であるアメリカ石油協会(API)、さらにLNG事業世界第2位で、米製LNGの欧州への輸出を一手に引き受ける最大手チェニエール・エナジーなどの重役たちだ。
米化石エネルギー産業界は業績拡大のチャンスと見て、ここ数年で世界最大のLNG消費市場へと躍進した欧州(大半はEU/欧州連合)に狙いを定め、LNGの売り込み攻勢をかけている。
翻って国際社会は、トランプ氏がアメリカの軍事、外交、貿易戦略を「ちゃぶ台返し」し、国際協調よりも「アメリカ・ファースト(米第一主義)」に軸足を移すと警戒している。
エネルギー戦略も同様で、トランプ氏は民主党政権が推進してきた「気候変動対策・再生可能エネルギー重視」に代わり、「化石エネルギー重視」を公言している。米化石エネルギー業界にとっては、追い風どころか“神風”だろう。
今年7月中旬の共和党大会でもトランプ氏は、「Drill Baby Drill!(掘って掘って、掘りまくれ!)」とほえた。「石油・石炭・天然ガスをどんどん採掘せよ」の意味で、化石エネルギー業界へのアピールも意識しているのは明らか。バイデン政権が強化する化石エネルギー規制策を、大統領返り咲き後は即撤廃するとうそぶく。
共和党が採択した政策綱領、いわゆる“トランプ公約”では、「雇用確保」を強調。トランプ氏の熱烈支持者が多いラストベルト(五大湖周辺の鉱工業が盛んだった地域)の白人労働者や、米中部~中西部の農業従事者を強烈に意識した内容だ。
具体的には「インフレ抑制」「製造業復権」を掲げ、この達成のため石油・石炭・天然ガスの大増産・輸出拡大が不可欠と説く。世界屈指の埋蔵量・生産量を誇る米国内の石油・石炭・天然ガスの開発が加速すれば、ガソリン代や電気代、工場の燃料代は大幅に安くなり、物価も下がって雇用創出にもつながる──との三段論法だ。
LNG輸出拡大を狙うアメリカとロシア産の調達を増やすEUの「矛盾」
2000年代初めのシェール革命で、アメリカの天然ガス産出量は激増。低コストでシェールガスを採掘する技術が開発され、国際競争力も押し上げている。天然ガス産出量の世界ランキングを見ても、これまで長年首位だったロシアを抜き、数年前からアメリカがトップを独走している。年間産出量も2000年の約5400億m3から、2020年には約9500億m3とほぼ倍増させる。
2016年にはLNG輸出もスタートさせ、米東海岸やメキシコ湾岸にLNG輸出基地を増設している。2023年にはLNG輸出量で1、2位の座を不動としていた豪州、カタールを飛び越え、約8500万トンでこちらも首位を奪っている。
西側の盟主からLNGを潤沢に調達できるなら安全保障上これに勝るものはないとして、日本・韓国、西欧などアメリカの同盟国はこぞって米産LNGの輸入を増やしている。
EUは地理的近さとパイプラインを使い、地続きで入手できる手軽さから、これまでロシア産天然ガスの依存度が高く、侵略戦争直前まで全消費量の4~5割を占めていた。だが戦争勃発以降“脱ロシア”を急ぎ、2023年の輸入量は、戦争直前の2021年と比べ8割も削減し、不足分の大半を米産LNGがカバーした。
石油メジャーの一角を占める、エクソン・モービルやシェブロンを始め、米化石エネルギー業界にとって、ウクライナ侵略戦争は文字どおりの「特需」で、これを機にLNG輸出のさらなる拡大、特に最大の市場・欧州/EUでのシェアアップを狙う。一方、欧州市場の約半分を握っていたロシアは、自ら起こした侵略戦争でその大半を喪失。この空白を埋めるように米産LNGが欧州大陸で存在感を増している。
ただ、LNGの輸出入は長期契約が大半だったひと昔とは違い、近年は原油のように市況をにらんで売買されるスポット取引も増加。米産LNGといえども安穏としてはいられない。しかもこれに脱炭素を掲げるバイデン政権が立ちはだかる。
アメリカではLNGの輸出に、天然ガス法に基づいた連邦エネルギー規制委員会(FERC)と米エネルギー省の許認可が必要だ。しかし、例外的にFTA(自由貿易協定)の締結国(韓国、メキシコなど)への輸出は、公益的観点から対象外となっている。
一方FTA非加盟国となるEU諸国の大部分や日本などは、原則として許認可を得ないと新規輸入契約は無理だ。
これを踏まえ、バイデン政権は2024年1月「地球環境に及ぼす影響を調査するため」として、LNGの新規輸出計画への許認可を一時凍結すると発表、世界の天然ガス業界に衝撃が走った。
幸いにも西欧や日本など同盟国については、短期的に例外扱いとして新規輸出計画を容認するようだが、中長期的にはどうなるか不透明。これがリスクと見なされ、取引の交渉で不利に働いたり敬遠されたりする恐れも出始めているという。
しかもこれに関連してか、天然ガスの“脱ロシア”を進めているはずのEUが、なぜかここ1、2年逆にロシア産LNGの輸入量を増やしているという矛盾が生じている。
その規模は2021年約130億m3、2022年約170億m3で、EUの2023年の天然ガス輸入量約3800億m3と比べると5%足らず(パイプライン輸入分も含めると約15%)。アメリカからの輸入シェア約2割(全量LNG)と比べてもまだまだ少量ではあるが、「敵に塩を送る」ようなEUの行為を、アメリカがいつまでも黙認するとは思えない。
だが、同盟国同士とはいえ商売の世界は非情だ。ビジネスライクで臨むアメリカに対し、安価なロシア産LNGをカウンターとしてぶつけ、価格交渉で優位に立とうとする老獪な欧州の「したたかさ」も見え隠れする。
トランプ氏とのディールの“肝”になるスジャのガス関連施設
ゼレンスキー氏の思惑に話を移そう。「大統領再選の暁には、ウクライナ侵略戦争を1日で終わらせる」「これ以上ウクライナへの軍事援助はしない」と豪語するトランプ氏の米大統領返り咲きは、ゼレンスキー氏にとっては大きな悩みの種だろう。
そこで、米大統領選までちょうど3カ月前の8月6日を選び、「逆侵攻」によりロシア本土の一部を占領するというサプライズで印象づけ、これをトランプ氏とのディールにおける切り札にしようという思惑も隠されているのではないだろうか。
仮にトランプ氏が返り咲けば、公約どおり無理矢理にでも停戦に持ち込もうとするはずだが、「1日で終わらせる」はトランプ氏お得意のリップサービスで、まじめに受け取らない方が無難だろう。それでもゼレンスキー氏に妥協に次ぐ妥協を強要し、プーチン氏との停戦交渉をまとめる可能性は高く、同時に「これ以上ウクライナに軍事援助しない(有償援助はするかもしれないが)」と主張する可能性もある。
トランプ氏の悲願は「ノーベル平和賞」受賞で、ウクライナ侵略戦争を停戦に持ち込めば、間違いなく受賞できると信じて疑わないと、専らの噂だ。そこでゼレンスキー氏が逆侵攻で占領したスジャが、実は重要な意味を持つと考えられるのである。
ウクライナの占領地域には、ロシアからウクライナ経由で欧州各国にロシア産の石油・天然ガスを送る「ドルジバ(友好)・パイプライン」が縦断する。旧ソ連時代、衛星国の東欧諸国に安価なエネルギーを供給し、東側陣営につなぎ止める鎖的な役目として敷設された。
セキュリティーのためパイプラインの大半は地中に埋設され目立たないが、スジャはパイプライン内のガスの流量を計る「メータリング・ステーション」など、天然ガスを欧州に供給するための設備が集中し、パイプラインの一部も地上に顔を見せる。
ここが天然ガス輸送の一大拠点であることは素人でも一目瞭然で、天然ガスが重要な外貨獲得源のロシアにとって、極めて重要なインフラ拠点だ。
エネルギーの要衝を今回ウクライナ軍は無傷で奪った形だが、天然ガス業界に与えるインパクトはやはり強力だったようで、「スジャ制圧」のニュースが流れると市場は敏感に反応、供給懸念からガス相場が一時期高騰したほどだ。
ロシア~EU間のガス・パイプラインのルートは、ドルジバの他にベラルーシ経由やトルコ経由など何本かある。だがEUの“脱ロシア”政策により、ガス輸送量は大幅減で、ドルジバも最盛期の数分の1ほどの輸送量にとどまるか、または「開店休業」の状況にあるようだ。それでも、スジャ制圧が世界の化石エネルギー業界に及ぼすインパクトは相当なもので、今回はくしくもその重要性を証明する格好となった。
つまりスジャのガス関連施設が、トランプ氏とのディールにおける肝になるとも考えられる。前述どおりトランプ氏は化石エネルギー業界の全面支援を受けており、彼らの利益確保は最優先に考えるはずだ。だが仮にトランプ氏の強引さが奏功し停戦交渉が妥結すれば、「のど元過ぎれば」と、EU各国は安さの誘惑に負け、ロシア産天然ガスの輸入を徐々に増やす可能性が極めて高い。
トランプ氏に軍事援助中止を撤回させる「強力カード」とは?
こうした状況は欧州市場でのシェア拡大を目指す米化石エネルギー業界にとって看過できない事態である。もちろんトランプ氏も、「アメリカがウクライナに断トツの軍事援助を注ぎ、ロシアの侵略から欧州を守ったというのに、停戦したら節操もなくロシア産天然ガスの大量買いに走るとはけしからん」と憤るに違いない。
ただしこの時、トランプ氏が「スジャ」のカードをチラつかせて「ドルジバ」の停止を匂わせたり、天然ガス市場を揺さぶったりすれば、欧州、ロシア双方に対し「天然ガス」というキーワードで影響力や抑止力を発揮できる。
そしてゼレンスキー氏が、「スジャ奪還を目指すロシア軍に対抗するには、引き続きアメリカの軍事援助が不可欠で、米産LNGの対欧州輸出拡大にも直結しインフレ抑制、雇用確保にも大いに寄与する」と、「風が吹けばおけ屋が儲かる」的論理でトランプ氏と交渉。大いにメリットを感じたトランプ氏は、これまでの軍事支援の即刻中止を覆し、一転大々的な兵器供与に号令──という大胆なシナリオも考えられる。
トランプ氏が目論む「停戦協定=ノーベル平和賞」についても、仮にゼレンスキー氏がこんな説明をすれば納得するかもしれない。
「ロシア~欧州間のパイプラインを締め上げ、米産LNGを増産し世界中に販売攻勢をかけたり、ロシア産天然ガスの一大輸入国・中国に対米貿易黒字減らし策として米産LNGをもっと買えとさらに圧力をかけたりするなどの策を講じれば、ロシア産天然ガスの存在感はガタ落ちになり、やがてロシアは窮しプーチン政権も終焉する。そしてタイミングを見て停戦交渉を持ちかけウクライナ有利で妥結すれば、ノーベル平和賞も確実だ」
一方、逆侵攻にタイミングを合わせたかのように、今年8月14日ロシア~欧州を結ぶバルト海の海底ガス・パイプライン「ノルドストリーム」の爆破事件(2022年9月)にウクライナ人が関与したとして、ドイツ検察当局が逮捕状を取ったとドイツ公共放送(ARD)など同国メディアが一斉に報道した。
2年前の天然ガス関連事件の続報が、なぜこのタイミングで公表されるのか。偶然にしてはあまりにも出来過ぎで、欧米情報機関などが、何かを狙って意図的にリークしたのではとも思える。少なくともトランプ氏に天然ガスの重要性を印象づけるには十分だろう。
これらはあくまでも推測の1つに過ぎず真偽は全くの不明だが、いずれにせよ今後ウクライナは逆侵攻で占領したスジャ周辺を保持し続けられるかが、セレンスキー氏の正念場と言えるだろう。
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【深川孝行(ふかがわ・たかゆき)】
昭和37(1962)年9月生まれ、東京下町生まれ、下町育ち。法政大学文学部地理学科卒業後、防衛関連雑誌編集記者を経て、ビジネス雑誌記者(運輸・物流、電機・通信、テーマパーク、エネルギー業界を担当)。副編集長を経験した後、防衛関連雑誌編集長、経済雑誌編集長などを歴任した後、フリーに。現在複数のWebマガジンで国際情勢、安全保障、軍事、エネルギー、物流関連の記事を執筆するほか、ミリタリー誌「丸」(潮書房光人新社)でも連載。2000年に日本大学生産工学部で国際法の非常勤講師。
ウクライナのロシア逆侵攻は「軍事援助中止撤回」のディールか
今年(2024年)8月6日、ウクライナ軍がロシアに逆侵攻を仕掛けた。5000~1万人の大兵力でウクライナ北東部からロシア領内のクルスク州を奇襲し、国境から約30km内陸の地方都市スジャを制圧した。ウクライナ侵略戦争で同軍による初のロシア本土への本格的逆襲に、世界中は度肝を抜かれた。
侵攻部隊はスジャ周囲に陣地を構え、近隣の主な橋梁も次々と破壊。ロシア軍の反撃に備えつつ長期間占拠する構えも見せる。
虚を突かれたロシア・プーチン大統領の面目は丸つぶれで、祖国防衛に絶対の自信を見せた「強い指導者」のトレードマークも、大きく傷ついている。
「プーチン氏の顔に泥を塗ることができた」だけで、ウクライナにとっては大成功だろう。同国のゼレンスキー大統領は、主たる目的を「侵略者の領内に緩衝地帯を構築するため」と強調するが、主要メディアは他の狙いも勘繰る。
「将来のロシアとの停戦交渉に備えて奪われた国土と交換するための“人質”」
「ロシア国民の厭戦(えんせん)気分を盛り上げるため」
「スジャ近郊のクルスク原発へのプレッシャー」
「米製ATACMS地対地ミサイルの長射程型(射程300km)のロシア領内攻撃をアメリカに容認させる」
だが、ゼレンスキー氏は全く別次元の思惑も忍ばせているのではないだろうか。「もしトラ」、つまり「もしも今年11月5日の次期米大統領選で、トランプ前米大統領が勝利したら」という、ウクライナにとって“悪夢”のシナリオが正夢となった時の「保険」、あるいは「ディールの切り札」という備えである。
特にディール好きのトランプ氏が大統領に返り咲いたことも想定し、「ロシアへの逆侵攻と領土の一部占領」という派手な手札を用意しようというもので、より具体的には「LNG(液化天然ガス)」と「軍事援助中止の撤回」をキーワードとした取引の交渉が、すでに水面下で行われているかもしれない、との推測だ。
「化石エネルギー規制策」を覆したいトランプ氏の思惑
トランプ氏率いる米共和党は、歴史的に石油・天然ガスなど化石エネルギー業界と親密だ。米の有力政治情報メディア「ポリティコ」によれば、トランプ氏は2024年4月、フロリダ州マー・ア・ラゴの別荘に米化石エネルギー業界の幹部らを招いて会合を開き、10億ドル(約1500億円)の寄付を求めたという。
顔ぶれはエクソン・モービルやシェブロンといった日本でも著名な石油メジャーや、業界の総元締であるアメリカ石油協会(API)、さらにLNG事業世界第2位で、米製LNGの欧州への輸出を一手に引き受ける最大手チェニエール・エナジーなどの重役たちだ。
米化石エネルギー産業界は業績拡大のチャンスと見て、ここ数年で世界最大のLNG消費市場へと躍進した欧州(大半はEU/欧州連合)に狙いを定め、LNGの売り込み攻勢をかけている。
翻って国際社会は、トランプ氏がアメリカの軍事、外交、貿易戦略を「ちゃぶ台返し」し、国際協調よりも「アメリカ・ファースト(米第一主義)」に軸足を移すと警戒している。
エネルギー戦略も同様で、トランプ氏は民主党政権が推進してきた「気候変動対策・再生可能エネルギー重視」に代わり、「化石エネルギー重視」を公言している。米化石エネルギー業界にとっては、追い風どころか“神風”だろう。
今年7月中旬の共和党大会でもトランプ氏は、「Drill Baby Drill!(掘って掘って、掘りまくれ!)」とほえた。「石油・石炭・天然ガスをどんどん採掘せよ」の意味で、化石エネルギー業界へのアピールも意識しているのは明らか。バイデン政権が強化する化石エネルギー規制策を、大統領返り咲き後は即撤廃するとうそぶく。
共和党が採択した政策綱領、いわゆる“トランプ公約”では、「雇用確保」を強調。トランプ氏の熱烈支持者が多いラストベルト(五大湖周辺の鉱工業が盛んだった地域)の白人労働者や、米中部~中西部の農業従事者を強烈に意識した内容だ。
具体的には「インフレ抑制」「製造業復権」を掲げ、この達成のため石油・石炭・天然ガスの大増産・輸出拡大が不可欠と説く。世界屈指の埋蔵量・生産量を誇る米国内の石油・石炭・天然ガスの開発が加速すれば、ガソリン代や電気代、工場の燃料代は大幅に安くなり、物価も下がって雇用創出にもつながる──との三段論法だ。
LNG輸出拡大を狙うアメリカとロシア産の調達を増やすEUの「矛盾」
2000年代初めのシェール革命で、アメリカの天然ガス産出量は激増。低コストでシェールガスを採掘する技術が開発され、国際競争力も押し上げている。天然ガス産出量の世界ランキングを見ても、これまで長年首位だったロシアを抜き、数年前からアメリカがトップを独走している。年間産出量も2000年の約5400億m3から、2020年には約9500億m3とほぼ倍増させる。
2016年にはLNG輸出もスタートさせ、米東海岸やメキシコ湾岸にLNG輸出基地を増設している。2023年にはLNG輸出量で1、2位の座を不動としていた豪州、カタールを飛び越え、約8500万トンでこちらも首位を奪っている。
西側の盟主からLNGを潤沢に調達できるなら安全保障上これに勝るものはないとして、日本・韓国、西欧などアメリカの同盟国はこぞって米産LNGの輸入を増やしている。
EUは地理的近さとパイプラインを使い、地続きで入手できる手軽さから、これまでロシア産天然ガスの依存度が高く、侵略戦争直前まで全消費量の4~5割を占めていた。だが戦争勃発以降“脱ロシア”を急ぎ、2023年の輸入量は、戦争直前の2021年と比べ8割も削減し、不足分の大半を米産LNGがカバーした。
石油メジャーの一角を占める、エクソン・モービルやシェブロンを始め、米化石エネルギー業界にとって、ウクライナ侵略戦争は文字どおりの「特需」で、これを機にLNG輸出のさらなる拡大、特に最大の市場・欧州/EUでのシェアアップを狙う。一方、欧州市場の約半分を握っていたロシアは、自ら起こした侵略戦争でその大半を喪失。この空白を埋めるように米産LNGが欧州大陸で存在感を増している。
ただ、LNGの輸出入は長期契約が大半だったひと昔とは違い、近年は原油のように市況をにらんで売買されるスポット取引も増加。米産LNGといえども安穏としてはいられない。しかもこれに脱炭素を掲げるバイデン政権が立ちはだかる。
アメリカではLNGの輸出に、天然ガス法に基づいた連邦エネルギー規制委員会(FERC)と米エネルギー省の許認可が必要だ。しかし、例外的にFTA(自由貿易協定)の締結国(韓国、メキシコなど)への輸出は、公益的観点から対象外となっている。
一方FTA非加盟国となるEU諸国の大部分や日本などは、原則として許認可を得ないと新規輸入契約は無理だ。
これを踏まえ、バイデン政権は2024年1月「地球環境に及ぼす影響を調査するため」として、LNGの新規輸出計画への許認可を一時凍結すると発表、世界の天然ガス業界に衝撃が走った。
幸いにも西欧や日本など同盟国については、短期的に例外扱いとして新規輸出計画を容認するようだが、中長期的にはどうなるか不透明。これがリスクと見なされ、取引の交渉で不利に働いたり敬遠されたりする恐れも出始めているという。
しかもこれに関連してか、天然ガスの“脱ロシア”を進めているはずのEUが、なぜかここ1、2年逆にロシア産LNGの輸入量を増やしているという矛盾が生じている。
その規模は2021年約130億m3、2022年約170億m3で、EUの2023年の天然ガス輸入量約3800億m3と比べると5%足らず(パイプライン輸入分も含めると約15%)。アメリカからの輸入シェア約2割(全量LNG)と比べてもまだまだ少量ではあるが、「敵に塩を送る」ようなEUの行為を、アメリカがいつまでも黙認するとは思えない。
だが、同盟国同士とはいえ商売の世界は非情だ。ビジネスライクで臨むアメリカに対し、安価なロシア産LNGをカウンターとしてぶつけ、価格交渉で優位に立とうとする老獪な欧州の「したたかさ」も見え隠れする。
トランプ氏とのディールの“肝”になるスジャのガス関連施設
ゼレンスキー氏の思惑に話を移そう。「大統領再選の暁には、ウクライナ侵略戦争を1日で終わらせる」「これ以上ウクライナへの軍事援助はしない」と豪語するトランプ氏の米大統領返り咲きは、ゼレンスキー氏にとっては大きな悩みの種だろう。
そこで、米大統領選までちょうど3カ月前の8月6日を選び、「逆侵攻」によりロシア本土の一部を占領するというサプライズで印象づけ、これをトランプ氏とのディールにおける切り札にしようという思惑も隠されているのではないだろうか。
仮にトランプ氏が返り咲けば、公約どおり無理矢理にでも停戦に持ち込もうとするはずだが、「1日で終わらせる」はトランプ氏お得意のリップサービスで、まじめに受け取らない方が無難だろう。それでもゼレンスキー氏に妥協に次ぐ妥協を強要し、プーチン氏との停戦交渉をまとめる可能性は高く、同時に「これ以上ウクライナに軍事援助しない(有償援助はするかもしれないが)」と主張する可能性もある。
トランプ氏の悲願は「ノーベル平和賞」受賞で、ウクライナ侵略戦争を停戦に持ち込めば、間違いなく受賞できると信じて疑わないと、専らの噂だ。そこでゼレンスキー氏が逆侵攻で占領したスジャが、実は重要な意味を持つと考えられるのである。
ウクライナの占領地域には、ロシアからウクライナ経由で欧州各国にロシア産の石油・天然ガスを送る「ドルジバ(友好)・パイプライン」が縦断する。旧ソ連時代、衛星国の東欧諸国に安価なエネルギーを供給し、東側陣営につなぎ止める鎖的な役目として敷設された。
セキュリティーのためパイプラインの大半は地中に埋設され目立たないが、スジャはパイプライン内のガスの流量を計る「メータリング・ステーション」など、天然ガスを欧州に供給するための設備が集中し、パイプラインの一部も地上に顔を見せる。
ここが天然ガス輸送の一大拠点であることは素人でも一目瞭然で、天然ガスが重要な外貨獲得源のロシアにとって、極めて重要なインフラ拠点だ。
エネルギーの要衝を今回ウクライナ軍は無傷で奪った形だが、天然ガス業界に与えるインパクトはやはり強力だったようで、「スジャ制圧」のニュースが流れると市場は敏感に反応、供給懸念からガス相場が一時期高騰したほどだ。
ロシア~EU間のガス・パイプラインのルートは、ドルジバの他にベラルーシ経由やトルコ経由など何本かある。だがEUの“脱ロシア”政策により、ガス輸送量は大幅減で、ドルジバも最盛期の数分の1ほどの輸送量にとどまるか、または「開店休業」の状況にあるようだ。それでも、スジャ制圧が世界の化石エネルギー業界に及ぼすインパクトは相当なもので、今回はくしくもその重要性を証明する格好となった。
つまりスジャのガス関連施設が、トランプ氏とのディールにおける肝になるとも考えられる。前述どおりトランプ氏は化石エネルギー業界の全面支援を受けており、彼らの利益確保は最優先に考えるはずだ。だが仮にトランプ氏の強引さが奏功し停戦交渉が妥結すれば、「のど元過ぎれば」と、EU各国は安さの誘惑に負け、ロシア産天然ガスの輸入を徐々に増やす可能性が極めて高い。
トランプ氏に軍事援助中止を撤回させる「強力カード」とは?
こうした状況は欧州市場でのシェア拡大を目指す米化石エネルギー業界にとって看過できない事態である。もちろんトランプ氏も、「アメリカがウクライナに断トツの軍事援助を注ぎ、ロシアの侵略から欧州を守ったというのに、停戦したら節操もなくロシア産天然ガスの大量買いに走るとはけしからん」と憤るに違いない。
ただしこの時、トランプ氏が「スジャ」のカードをチラつかせて「ドルジバ」の停止を匂わせたり、天然ガス市場を揺さぶったりすれば、欧州、ロシア双方に対し「天然ガス」というキーワードで影響力や抑止力を発揮できる。
そしてゼレンスキー氏が、「スジャ奪還を目指すロシア軍に対抗するには、引き続きアメリカの軍事援助が不可欠で、米産LNGの対欧州輸出拡大にも直結しインフレ抑制、雇用確保にも大いに寄与する」と、「風が吹けばおけ屋が儲かる」的論理でトランプ氏と交渉。大いにメリットを感じたトランプ氏は、これまでの軍事支援の即刻中止を覆し、一転大々的な兵器供与に号令──という大胆なシナリオも考えられる。
トランプ氏が目論む「停戦協定=ノーベル平和賞」についても、仮にゼレンスキー氏がこんな説明をすれば納得するかもしれない。
「ロシア~欧州間のパイプラインを締め上げ、米産LNGを増産し世界中に販売攻勢をかけたり、ロシア産天然ガスの一大輸入国・中国に対米貿易黒字減らし策として米産LNGをもっと買えとさらに圧力をかけたりするなどの策を講じれば、ロシア産天然ガスの存在感はガタ落ちになり、やがてロシアは窮しプーチン政権も終焉する。そしてタイミングを見て停戦交渉を持ちかけウクライナ有利で妥結すれば、ノーベル平和賞も確実だ」
一方、逆侵攻にタイミングを合わせたかのように、今年8月14日ロシア~欧州を結ぶバルト海の海底ガス・パイプライン「ノルドストリーム」の爆破事件(2022年9月)にウクライナ人が関与したとして、ドイツ検察当局が逮捕状を取ったとドイツ公共放送(ARD)など同国メディアが一斉に報道した。
2年前の天然ガス関連事件の続報が、なぜこのタイミングで公表されるのか。偶然にしてはあまりにも出来過ぎで、欧米情報機関などが、何かを狙って意図的にリークしたのではとも思える。少なくともトランプ氏に天然ガスの重要性を印象づけるには十分だろう。
これらはあくまでも推測の1つに過ぎず真偽は全くの不明だが、いずれにせよ今後ウクライナは逆侵攻で占領したスジャ周辺を保持し続けられるかが、セレンスキー氏の正念場と言えるだろう。
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【深川孝行(ふかがわ・たかゆき)】
昭和37(1962)年9月生まれ、東京下町生まれ、下町育ち。法政大学文学部地理学科卒業後、防衛関連雑誌編集記者を経て、ビジネス雑誌記者(運輸・物流、電機・通信、テーマパーク、エネルギー業界を担当)。副編集長を経験した後、防衛関連雑誌編集長、経済雑誌編集長などを歴任した後、フリーに。現在複数のWebマガジンで国際情勢、安全保障、軍事、エネルギー、物流関連の記事を執筆するほか、ミリタリー誌「丸」(潮書房光人新社)でも連載。2000年に日本大学生産工学部で国際法の非常勤講師。
「プーチン氏の顔に泥を塗ることができた」だけで、ウクライナにとっては大成功だろう。同国のゼレンスキー大統領は、主たる目的を「侵略者の領内に緩衝地帯を構築するため」と強調するが、主要メディアは他の狙いも勘繰ると、深川氏。
「将来のロシアとの停戦交渉に備えて奪われた国土と交換するための“人質”」
「ロシア国民の厭戦(えんせん)気分を盛り上げるため」
「スジャ近郊のクルスク原発へのプレッシャー」
「米製ATACMS地対地ミサイルの長射程型(射程300km)のロシア領内攻撃をアメリカに容認させる」
だが、ゼレンスキー氏は全く別次元の思惑も忍ばせているのではないだろうか。「もしトラ」という、ウクライナにとって“悪夢”のシナリオが正夢となった時の「保険」、あるいは「ディールの切り札」という備えであると、深川氏。
米の有力政治情報メディア「ポリティコ」によれば、トランプ氏は2024年4月、フロリダ州マー・ア・ラゴの別荘に米化石エネルギー業界の幹部らを招いて会合を開き、10億ドル(約1500億円)の寄付を求めたのだそうです。
米化石エネルギー産業界は業績拡大のチャンスと見て、ここ数年で世界最大のLNG消費市場へと躍進した欧州(大半はEU/欧州連合)に狙いを定め、LNGの売り込み攻勢をかけている。
トランプ氏は民主党政権が推進してきた「気候変動対策・再生可能エネルギー重視」に代わり、「化石エネルギー重視」を公言している。米化石エネルギー業界にとっては、追い風どころか“神風”だろうと、深川氏。
今年7月中旬の共和党大会でもトランプ氏は、「Drill Baby Drill!(掘って掘って、掘りまくれ!)」とほえた。「石油・石炭・天然ガスをどんどん採掘せよ」の意味で、バイデン政権が強化する化石エネルギー規制策を、大統領返り咲き後は即撤廃するとうそぶく。
“トランプ公約”では、「雇用確保」を強調。ラストベルト(五大湖周辺の鉱工業が盛んだった地域)の白人労働者や、米中部~中西部の農業従事者を強烈に意識した内容だと、深川氏。
世界屈指の埋蔵量・生産量を誇る米国内の石油・石炭・天然ガスの開発が加速すれば、ガソリン代や電気代、工場の燃料代は大幅に安くなり、物価も下がって雇用創出にもつながる──との三段論法だと。
2000年代初めのシェール革命で、アメリカの天然ガス産出量は激増。天然ガス産出量の世界ランキングを見ても、これまで長年首位だったロシアを抜き、数年前からアメリカがトップを独走。
2023年にはLNG輸出量で1、2位の座を不動としていた豪州、カタールを飛び越え、約8500万トンでこちらも首位を奪っている。
西側の盟主からLNGを潤沢に調達できるなら安全保障上これに勝るものはないとして、日本・韓国、西欧などアメリカの同盟国はこぞって米産LNGの輸入を増やしている。
EUは地理的近さとパイプラインを使い、地続きで入手できる手軽さから、これまでロシア産天然ガスの依存度が高く、侵略戦争直前まで全消費量の4~5割を占めていた。だが戦争勃発以降“脱ロシア”を急ぎ、2023年の輸入量は、戦争直前の2021年と比べ8割も削減し、不足分の大半を米産LNGがカバーした。
エクソン・モービルやシェブロンを始め、米化石エネルギー業界にとって、ウクライナ侵略戦争は文字どおりの「特需」で、これを機にLNG輸出のさらなる拡大、特に最大の市場・欧州/EUでのシェアアップを狙う。一方、欧州市場の約半分を握っていたロシアは、自ら起こした侵略戦争でその大半を喪失。この空白を埋めるように米産LNGが欧州大陸で存在感を増しているのだそうです。
天然ガスの“脱ロシア”を進めているはずのEUが、なぜかここ1、2年逆にロシア産LNGの輸入量を増やしているという矛盾が生じていると、深川氏。
「敵に塩を送る」ようなEUの行為を、アメリカがいつまでも黙認するとは思えない。
ビジネスライクで臨むアメリカに対し、安価なロシア産LNGをカウンターとしてぶつけ、価格交渉で優位に立とうとする老獪な欧州の「したたかさ」も見え隠れするとも。
「大統領再選の暁には、ウクライナ侵略戦争を1日で終わらせる」「これ以上ウクライナへの軍事援助はしない」と豪語するトランプ氏の米大統領返り咲きは、ゼレンスキー氏にとっては大きな悩みの種だろうと、深川氏。
そこで、米大統領選までちょうど3カ月前の8月6日を選び、「逆侵攻」によりロシア本土の一部を占領するというサプライズで印象づけ、これをトランプ氏とのディールにおける切り札にしようという思惑も隠されているのではないだろうかと。
仮にトランプ氏が返り咲けば、公約どおり無理矢理にでも停戦に持ち込もうとするはずだ。
ゼレンスキー氏に妥協に次ぐ妥協を強要し、プーチン氏との停戦交渉をまとめる可能性は高く、同時に「これ以上ウクライナに軍事援助しない(有償援助はするかもしれないが)」と主張する可能性もある。
そこでゼレンスキー氏が逆侵攻で占領したスジャが、実は重要な意味を持つと考えられると、深川氏。
ウクライナの占領地域には、「ドルジバ(友好)・パイプライン」が縦断する。
パイプラインの大半は地中に埋設され目立たないが、スジャはパイプライン内のガスの流量を計る「メータリング・ステーション」など、天然ガスを欧州に供給するための設備が集中し、パイプラインの一部も地上に顔を見せるのだそうです。
天然ガスが重要な外貨獲得源のロシアにとって、極めて重要なインフラ拠点。
エネルギーの要衝を今回ウクライナ軍は無傷で奪った形だが、天然ガス業界に与えるインパクトはやはり強力だったようで、「スジャ制圧」のニュースが流れると市場は敏感に反応、供給懸念からガス相場が一時期高騰したのだそうです。
EUの“脱ロシア”政策により、ガス輸送量は大幅減で、ドルジバも最盛期の数分の1ほどの輸送量にとどまるか、または「開店休業」の状況にあるようだ。それでも、スジャ制圧が世界の化石エネルギー業界に及ぼすインパクトは相当なもので、今回はくしくもその重要性を証明する格好となった。
つまりスジャのガス関連施設が、トランプ氏とのディールにおける肝になるとも考えられる。前述どおりトランプ氏は化石エネルギー業界の全面支援を受けており、彼らの利益確保は最優先に考えるはずだ。だが仮にトランプ氏の強引さが奏功し停戦交渉が妥結すれば、「のど元過ぎれば」と、EU各国は安さの誘惑に負け、ロシア産天然ガスの輸入を徐々に増やす可能性が極めて高いと、深川氏。
そうした状況は欧州市場でのシェア拡大を目指す米化石エネルギー業界にとって看過できない事態。
もちろんトランプ氏も、「アメリカがウクライナに断トツの軍事援助を注ぎ、ロシアの侵略から欧州を守ったというのに、停戦したら節操もなくロシア産天然ガスの大量買いに走るとはけしからん」と憤るに違いないと、深川氏。
ただしこの時、トランプ氏が「スジャ」のカードをチラつかせて「ドルジバ」の停止を匂わせたり、天然ガス市場を揺さぶったりすれば、欧州、ロシア双方に対し「天然ガス」というキーワードで影響力や抑止力を発揮できる。
ゼレンスキー氏が、「スジャ奪還を目指すロシア軍に対抗するには、引き続きアメリカの軍事援助が不可欠で、米産LNGの対欧州輸出拡大にも直結しインフレ抑制、雇用確保にも大いに寄与する」と、「風が吹けばおけ屋が儲かる」的論理でトランプ氏と交渉。大いにメリットを感じたトランプ氏は、これまでの軍事支援の即刻中止を覆し、一転大々的な兵器供与に号令──という大胆なシナリオも考えられると、深川氏。
トランプ氏が目論む「停戦協定=ノーベル平和賞」についても、仮にゼレンスキー氏がこんな説明をすれば納得するかもしれないとも。
「ロシア~欧州間のパイプラインを締め上げ、米産LNGを増産し世界中に販売攻勢をかけたり、ロシア産天然ガスの一大輸入国・中国に対米貿易黒字減らし策として米産LNGをもっと買えとさらに圧力をかけたりするなどの策を講じれば、ロシア産天然ガスの存在感はガタ落ちになり、やがてロシアは窮しプーチン政権も終焉する。そしてタイミングを見て停戦交渉を持ちかけウクライナ有利で妥結すれば、ノーベル平和賞も確実だ」
逆侵攻にタイミングを合わせたかのように、今年8月14日ロシア~欧州を結ぶバルト海の海底ガス・パイプライン「ノルドストリーム」の爆破事件(2022年9月)にウクライナ人が関与したとして、ドイツ検察当局が逮捕状を取ったとドイツ公共放送(ARD)など同国メディアが一斉に報道した。
2年前の天然ガス関連事件の続報が、なぜこのタイミングで公表されるのか。何かを狙って意図的にリークしたのではとも思える。少なくともトランプ氏に天然ガスの重要性を印象づけるには十分だろう。
これらはあくまでも推測の1つに過ぎず真偽は全くの不明だが、いずれにせよ今後ウクライナは逆侵攻で占領したスジャ周辺を保持し続けられるかが、セレンスキー氏の正念場と言えるだろうと、深川氏。
このところ劣勢にみえたウクライナですが、奥の手のロシア領への反戦攻撃。
ロシア国内でのプーチン氏の評価や、停戦に向けて、流れをかえることになるのでしょうか。
#冒頭の画像は、米製HIMARS(ハイマース:高機動ロケット砲システム)から発射のATACMS地対地ミサイルで攻撃を受ける、スジャ近郊の橋梁
この花の名前は、オイランソウ
↓よろしかったら、お願いします。
遊爺さんの写真素材 - PIXTA
月刊Hanada2024年2月号 - 花田紀凱, 月刊Hanada編集部 - Google ブックス