遠い記憶Ⅲ

2010-02-25 22:36:51 | 日記
心が無になる。
ぬけがらのように・・というよりも、
無色透明になるような感じかな。

お昼、マンションの駐車場に、叔父がわたしを迎えにきてくれた。
いつもテニスにわが子をつれていくとき乗るホンダFit。
そのFitの助手席に座る。不思議な気分だ。

祖母が安置されているホールへ。
さっきまで現場に出ていたことを忘れるくらい、
心が透明になる。
平野区にある瓜破斎場へ出向くまでの40分を、
そのホールで過ごした。
棺にたくさんのお花を入れるとき、
初めて自分がこの世にいることに気づいた。
ほんとに、これでお別れなのだ。
白いレースがほどこされた大きな布が
棺にかけられた。時間は止まらない。

通勤で走る今里筋を、いつもとは逆に。
祖母が乗った車の後ろに ぴったりとFitがつく。

斎場の広さに驚いた。
やっぱり、大阪は都会だなと実感した。
大阪市の職員が、各家族の「おこつあげ」に携わる。
我が家は、叔父夫婦とわたし、そして従姉妹の4名だけ。
おそらく、どの家族よりも、いちばん思いが強かった気がした。
棺が静かに扉のむこうに吸い込まれた時、おもいっきり涙がでた。
母が他界した時、こんな感情が沸き起こることがなかったのに。

土曜日、祖母がだいすきだった和歌山の実家に帰ります。
祖母が86歳まですごした家で、
祖母が大好きだった人達にあうために。

今日も暖かい大阪市内。
あすから、少しお天気悪くなるようです。

ちょうどいいお天気かもしれないね。





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2 コメント

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合掌 (紫の上)
2010-02-26 10:02:01
ゆう☆さん

大好きなお祖母様の葬儀

つらいことでしたね。

あぁ・・人の終わりとはこういうものなのだ

・・とお思いになったことでしょう。



自分が年を経るということは

それだけ身内とのお別れも多くなります。

私は父母をすでに見送りましたが、

二人とも90歳でしたから

(親はすご~い晩婚で私は親と 孫くらい

 年が離れていたのです)

直接の叔父叔母もすでになく、

私は一人っ子なので

もうこの世に血縁はありません。

・・・で そうなってから初めて

自分は生きているんだという身の引き締まる

思いで毎日を感謝するようになりましたよ。

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限られた時間 (ゆう☆)
2010-03-01 20:48:00
紫の上さん、わたしもひとりっこなんです。
わたしの母は、33歳で他界しました。
そして、わたしは33歳でわが子を出産。
わが子は、きっと母の生まれかわりと
思います。
だから、紫の上さんのまわりには、
きっと、ご親族(近親者)の生まれかわり
の方がいらっしゃると思います。
その方は、ほんとに空気のように
いつの間にか そばにいるような
自然な存在なのではないかと思います。

わたしも、やっと、
今の幸せに感謝ができるように
なりつつあります。

まだまだ、いろんなことがあるのだと
思いますが、
自分なりに精一杯がんばらなくては
・・・と、思う毎日です。
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