何番手?・・・・

2013-12-31 17:51:53 | 日記
初夏の頃・・・・高校時代の友人からメールがきた

高校時代は3年間同じクラスだった彼女とは、お互いの家を行き来する
結構親しい仲だったことを思いだす

とってもクールでしっかりものといったイメージが強く
進学した大学も、音大声楽を専攻する、ちょっと特別な彼女だった

進学先が東京だった彼女とは、ここ30年ほど疎遠になっていたのだが
突然のメールにちょっと戸惑いつつ
大阪南に 飲みにでかけた夏の夜を思いだす

「披露宴に出席してほしい・・・」

彼女のメールのわけは・・・こんなわけだった(笑)

再婚になる彼女、彼は17歳年下・・・・・・・・

「ええんかい?それで・・・」



その頃、付き合っている彼に女の影が見え隠れして
ちょっと心がまいっている時だったため
「わざわざ結婚せんでも、会いたいときにおうて、ご飯たべにいったり
旅行したりでええんちゃうの?」
そんなアドバイスをした




先日、その披露宴に招いていただいて

みえなかった何かに気づいたきがした

年若き彼は(笑)おおきなアパレル会社を営む家の長男で
小さい頃から勉強におわれ、なにか枠にはまった生き方をした時代があったようだ
大学も中退し、きままに楽しく生きていた

そんな自由な時間に、私の友人に出会ったようだ
彼女も大きな製材所の娘ということで、
2回目とはいえ、立派なパーティーで
彼女自身が広告代理店を大阪市内で営む背景もあり
 だだのキャリアではないなって感じた宴だった。


ほんとにいつまでも仲良くすごしてほしいと思った一日だった。


わたしは、すごく年上の彼なので(笑)
彼女とは、価値観もちがうし、付き合い方もちがうんだろうなって思う

彼を追いかけて生きている
「いったい、何番手なんやろうか?」って 電話を切ってから感じる場面も多く
切なくしんみりしたりもする

「気長にこれからも仲良くね・・・」
サントリー スーパープレミアムワンケースが 
そんなメッセージと共に届いた


もうねぇ~ごちゃごちゃ考えているうちに
きっと 彼も介護が必要になると思うから・・・
今は、ほっておくことにするねん・・・


ことしも、「ゆう☆のきまぐれな日々」に
あそびにきてくれて ありがとうございました


・・・・・よいお年を・・& 来年もよろしくね・・・・・

最後の時間・・・・

2013-12-14 14:17:12 | 日記
11月に入った頃から、口からの食事がまったくできなくなっていた

ただ、昼夜関係なく、突然「プリンが食べたい」、「うどんが食べたい」と言っては
まったく食べないという状況

服用する麻薬も、「劇薬」と言われる種類へとかわっている

体全体のやるせない痛みが、時間かまわずおそっていたにちがいない

玄関ドアには段差をなくすスロープがつけられ、
浴室からは浴槽がとりはずされ、シャワーチェアーが出入りできるように
浴室ドアは2枚折れのドアへと住宅改修された

もちろん部屋は、バリアフリーで車椅子での移動が可能になっている

キッチンの食卓角は、三角のクッションが、可愛くパッチされている。食卓奥にある
冷蔵庫へ、ジュースやお茶を車椅子で取りに行くとき、車椅子と食卓の角が当たった
時に、痛くないような工夫がされていた

「最後まで、家で過ごしたい・・・・・」

末期癌患者に、一番必要なこと・・・・
心のよりどころをどこに寄せるか

どんな急変があっても、安心できる病院か
それとも
愛する家族のそばで、最後まで過ごすことか・・・・




大阪府内では、入りたいと思っても ホスピスへの入所は、困難だ
待っているうちに 命つきてしまうというのが現実なのだ

半年前、叔父夫婦は「家で過ごす」ことを決意し 家族でターミナルを支える生活が
はじまった

直腸癌が骨盤に転移し、右足の神経を圧迫する
今年2月には、その痛みに耐え切れず、右足の神経ブロックをおこなう
それに伴い、100%車椅子での生活がスタート

わずかに機能する左足のふんばりを頼りに、ベッド移乗、車移乗・・・
すべての介助は、叔母の役目となった

叔母・・・今年秋で73
65歳の叔父をささえるには、あまりにも弱弱しく・・・
入浴介助時、右と左の支えちがいで、夫婦で脱衣室に倒れこみ
立てなくなった・・・・


何度も何度も、切ない出来事があった
ディサービスの利用
介護タクシーの利用
使える福祉はすべて利用する

けれど、闘病する叔父の本当の苦しみを緩和できるものは
叔母の存在そのものだったに違いない

訪問看護師さんのケアーがはじまったのは11月第2週目

点滴も、鎖骨横からカテーテルを通してうつ・・・
もともとポートは抗癌剤をうっていたときに装着したものだ

今、こうして高カロリー点滴のために使うようになっている。

お尻にできている「とこずれ」も、自力で回復するだけの力が・・・・
叔父には、のこっていなかった

看護師さん2人が、患部を洗浄し、薬を塗布する
手早くテーピングされていく。

体の清拭に必要なタオルを準備し、看護士さんに手渡す



こうした日常が、何日つづいただろうか?

ちょっとおちついた時間に、自分の家にもどり
ゆうすけの夕食を準備していた時
・・・・ほんとに心がぽっかりと空洞になった・・・・・

携帯の着信音が、どこからか聴こえる

『今、息とまったわ・・・』


家の施錠もせず、叔父宅にもどった時、

まだ、暖かい叔父は、まぶたを閉じて穏やかな表情でねむっていた・・・・・







闘病5年・享年65歳・・・・

在宅の介護ヘルパーである私は、みとりはやっぱり家でと思う。
家族に見守られて、温かく余生をささえること


けれど、この方法は、家族の心と体が健康であることが条件だ。
自宅でターミナルを過ごすための福祉サービス医療サービスは
都市圏において、ずいぶんと充実していると感じるし
高い医療費を払う力がなくても、行政のサポートがついている

実際、叔父の場合も、通院の時は自宅の車で通っていたので
車から車椅子へ、車椅子から車へと、介助することは
叔母では無理だった。
私の休みを通院日にあてこみ、力のいる解除はすべて私がサポートする
夜中に倒れこんで、立てないときも、電話一本で飛んでいく・・・

こんな状況が、半年続くと、正直家族もしんどくなる

これが正直なところだと思う

どの方法が一番いいのかなんて、人それぞれ、環境によって違うし
これが「良いです」という答えはないと思うけど

我が家においては、最後まで家でみてあげられたことに
「よかったな」と納得している





いつもの通院で通う道路
あの時話したこと
笑ったこと・・・・

しみじみと心にひびく
私には冷たかった叔父(笑)

『たよんないおまえやけど、おばちゃんのこと 頼むで(笑)』




感じる心と思う心・・・・

2013-12-13 14:57:37 | 日記


大阪にもどる電車の時間まで、必ず過ごす場所がある

それは、海の見えるCafe
ウッドデッキからひろがる景色は、ほんとに息をのむ

コーヒーやケーキをサービスしてくれる女の子の中に
彼の友人がいて、
「あいつ、毎日くらい家にきては 夕ご飯たべて帰っていってた。可愛いかったで(笑)」

今も十分べっぴんさんだが、3人の子供をもつママとなっている

「今も可愛いやん(笑)結婚してくれって言われてたんちゃうの?」


「・・・・・あははははははぁ~
  俺、その時 嫁おったもん。今やったら 言うてくるかもわからんな」




先日、そのCafeに行くと
彼女はいなかった

「入る時間帯が変わったんかな?」

「この前な・・・結婚してくれって言われた。・・・・・」

彼いわく、自営業の家に嫁ぎ、お金に困ってないはずやのに
俺にそんなこと言うてくるのは、よっぽど何かあるってことや・・・・







その前に、「冗談ぷぷぷぷ・・・なんちゃうん?」
と 素面で言うてやった




大阪に戻る電車の窓から
一日のおわりをながめていた・・・・



なぁ~んにもいらんから・・・・おまえが一番やでって言って欲しい(笑)