晩夏

2019-09-14 12:42:19 | 日記
8月の終わりに、4日間、会社を休みにしてもらった。

お盆に休めなかったこと、夏の暑さで疲れていたこと、

そして、和歌山に帰りたかったから。



去年の秋11月に、父が脳梗塞で倒れた。

運びこまれた病院が、リハビリ厳しかったこともあり、今はさほど麻痺も残らず、生活している。

あの時は、1週間病室に泊まり込んだ。

父との生活は18年間だけで、大学入学と同時に、大阪での生活だった。

だから、子供からみた父というイメージしかなく、病魔にあえぐよわよわしい父をみるのは、はじめてだった。

それと同時に、人の話を聞かず自論をおしつけるがごとくしゃべる父は、うっとうしくも感じた。

「ぜったい一緒に生活無理やな」と思った。

しかし、父はこの病気をきっかけに一人住まいを続けることに不安を感じ、大阪にすむ私のところに行きたいと言い出したのだ。




そんないろいろな事を、今までお世話になってきた親戚、近隣の方々に報告もできずにいたので、

他界した母の実家に、先日出向いた。

2歳か3歳の頃、母がこぐ自転車後部の荷台に座り、ながめていた景色がそこにあった。

オレンジと紅色がまじったような甲羅、沢がに達が、岩と石の隙間に身を隠す。

磯の香と、草の香がいりまじった空気。

つくつくぼうしとひぐらしの声が、夏休みという大切な時間を思いださせてくれる。



祖父母が住んでいたその家は、リビングとキッチンを改装し、今時の快適な住空間と変貌している。

母の弟夫婦が、たまに孫の世話をしながら、のんびり過ごす家。

だされた冷たい麦茶も、すわり心地よい座布団も、ほんとに昔のままだった。

「ほんで、義兄貴は元気にしやるんかい?」と叔父。

ここ半年の状況報告のような、そんな話を1時間ほどして、郵便物やプロパンガスなど

残している父の家(実家)をどうするのかなどなど。業務連絡だけでも山ほどあった。

それだけ、わたしは、疎遠だったのだ。

叔父夫婦も、老人夫婦となり、限られた年金での生活の様子など、おもしろおかしく語ってくれた。

半分、わたしは父の悪口をおしゃべりしていたような気がする(笑)

「1時の特急で、大阪もどるわ」玄関の戸を開けた時も、ひぐらしの声がきこえた。

田舎で生活したいとは思わないけれど、過ごした幼少期を思いだすことができるこのひと時が

とても貴重な時間だと感じた。

けっして今が充実していて楽しい日々とは言えないけれど、こうして「大人」と呼ばれる時まで

生きてこれている。幼少期、大切に大切に育ててくれたんだなと思うと、

心にじぃ~んとくるものがあった。

古座川にかかる吊橋の上に寝転んで、満点の星空をながめていたあの頃に。


感謝の気持ちでいっぱいです。

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2 コメント

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お元気ですか? (紫の上)
2020-03-14 18:59:22
ご無沙汰していますがお元気ですか?
こうして たまのお話をするようになってから
gooホーム時代を入れると10年を越えました。
あの当時の皆さんとともに 私も一緒に年を取り、
ずいぶんと落ち着いた気持ちを込めて
こうしてお話をすることも出来るようになりました。

お父様のこと、高齢になると
本当に心配なことも多くなりますね。
大阪でゆう☆さんと一緒に暮らしたいと思うのは
やはり 実の娘さんだからこそで、
昔から「息子より娘」と言いますものね。

歳を重ねるとともに
身内のいろんなことが持ち上がることも多くなり、
我が家も 義母が上野でいまだに一人暮らしを
していますが、すぐそばに娘(義妹)夫婦がいます。
義母は上野で生まれ上野へ嫁ぎ 
外へ出たことがないので、
知り合いが一人もいない千葉の我が家への
同居は嫌がりますが、
息子夫婦より 娘夫婦のほうが暮らしやすいと
思っているのかもしれません。

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紫の上さんへ (ゆう☆)
2020-07-18 11:13:55
本当にごぶさたしています。

コロナ渦の大阪です。千葉方面は、大阪よりもっと
たいへんなのでは?と思います。
コメント、本当にありがとうございます。

そうですね。息子より娘の世話になりたいと思うのが
ふつうかもしれません。
介護の仕事についてはや10年です。
現場でも、そんなケースが多くみられます
下の世話となると、嫁より娘ですもんね(笑)
そこまでなる前に、この世とおさらばしたいみたい
ですけどね(笑)
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