8月の終わりに、4日間、会社を休みにしてもらった。
お盆に休めなかったこと、夏の暑さで疲れていたこと、
そして、和歌山に帰りたかったから。
去年の秋11月に、父が脳梗塞で倒れた。
運びこまれた病院が、リハビリ厳しかったこともあり、今はさほど麻痺も残らず、生活している。
あの時は、1週間病室に泊まり込んだ。
父との生活は18年間だけで、大学入学と同時に、大阪での生活だった。
だから、子供からみた父というイメージしかなく、病魔にあえぐよわよわしい父をみるのは、はじめてだった。
それと同時に、人の話を聞かず自論をおしつけるがごとくしゃべる父は、うっとうしくも感じた。
「ぜったい一緒に生活無理やな」と思った。
しかし、父はこの病気をきっかけに一人住まいを続けることに不安を感じ、大阪にすむ私のところに行きたいと言い出したのだ。
そんないろいろな事を、今までお世話になってきた親戚、近隣の方々に報告もできずにいたので、
他界した母の実家に、先日出向いた。
2歳か3歳の頃、母がこぐ自転車後部の荷台に座り、ながめていた景色がそこにあった。
オレンジと紅色がまじったような甲羅、沢がに達が、岩と石の隙間に身を隠す。
磯の香と、草の香がいりまじった空気。
つくつくぼうしとひぐらしの声が、夏休みという大切な時間を思いださせてくれる。
祖父母が住んでいたその家は、リビングとキッチンを改装し、今時の快適な住空間と変貌している。
母の弟夫婦が、たまに孫の世話をしながら、のんびり過ごす家。
だされた冷たい麦茶も、すわり心地よい座布団も、ほんとに昔のままだった。
「ほんで、義兄貴は元気にしやるんかい?」と叔父。
ここ半年の状況報告のような、そんな話を1時間ほどして、郵便物やプロパンガスなど
残している父の家(実家)をどうするのかなどなど。業務連絡だけでも山ほどあった。
それだけ、わたしは、疎遠だったのだ。
叔父夫婦も、老人夫婦となり、限られた年金での生活の様子など、おもしろおかしく語ってくれた。
半分、わたしは父の悪口をおしゃべりしていたような気がする(笑)
「1時の特急で、大阪もどるわ」玄関の戸を開けた時も、ひぐらしの声がきこえた。
田舎で生活したいとは思わないけれど、過ごした幼少期を思いだすことができるこのひと時が
とても貴重な時間だと感じた。
けっして今が充実していて楽しい日々とは言えないけれど、こうして「大人」と呼ばれる時まで
生きてこれている。幼少期、大切に大切に育ててくれたんだなと思うと、
心にじぃ~んとくるものがあった。
古座川にかかる吊橋の上に寝転んで、満点の星空をながめていたあの頃に。
感謝の気持ちでいっぱいです。
お盆に休めなかったこと、夏の暑さで疲れていたこと、
そして、和歌山に帰りたかったから。
去年の秋11月に、父が脳梗塞で倒れた。
運びこまれた病院が、リハビリ厳しかったこともあり、今はさほど麻痺も残らず、生活している。
あの時は、1週間病室に泊まり込んだ。
父との生活は18年間だけで、大学入学と同時に、大阪での生活だった。
だから、子供からみた父というイメージしかなく、病魔にあえぐよわよわしい父をみるのは、はじめてだった。
それと同時に、人の話を聞かず自論をおしつけるがごとくしゃべる父は、うっとうしくも感じた。
「ぜったい一緒に生活無理やな」と思った。
しかし、父はこの病気をきっかけに一人住まいを続けることに不安を感じ、大阪にすむ私のところに行きたいと言い出したのだ。
そんないろいろな事を、今までお世話になってきた親戚、近隣の方々に報告もできずにいたので、
他界した母の実家に、先日出向いた。
2歳か3歳の頃、母がこぐ自転車後部の荷台に座り、ながめていた景色がそこにあった。
オレンジと紅色がまじったような甲羅、沢がに達が、岩と石の隙間に身を隠す。
磯の香と、草の香がいりまじった空気。
つくつくぼうしとひぐらしの声が、夏休みという大切な時間を思いださせてくれる。
祖父母が住んでいたその家は、リビングとキッチンを改装し、今時の快適な住空間と変貌している。
母の弟夫婦が、たまに孫の世話をしながら、のんびり過ごす家。
だされた冷たい麦茶も、すわり心地よい座布団も、ほんとに昔のままだった。
「ほんで、義兄貴は元気にしやるんかい?」と叔父。
ここ半年の状況報告のような、そんな話を1時間ほどして、郵便物やプロパンガスなど
残している父の家(実家)をどうするのかなどなど。業務連絡だけでも山ほどあった。
それだけ、わたしは、疎遠だったのだ。
叔父夫婦も、老人夫婦となり、限られた年金での生活の様子など、おもしろおかしく語ってくれた。
半分、わたしは父の悪口をおしゃべりしていたような気がする(笑)
「1時の特急で、大阪もどるわ」玄関の戸を開けた時も、ひぐらしの声がきこえた。
田舎で生活したいとは思わないけれど、過ごした幼少期を思いだすことができるこのひと時が
とても貴重な時間だと感じた。
けっして今が充実していて楽しい日々とは言えないけれど、こうして「大人」と呼ばれる時まで
生きてこれている。幼少期、大切に大切に育ててくれたんだなと思うと、
心にじぃ~んとくるものがあった。
古座川にかかる吊橋の上に寝転んで、満点の星空をながめていたあの頃に。
感謝の気持ちでいっぱいです。
こうして たまのお話をするようになってから
gooホーム時代を入れると10年を越えました。
あの当時の皆さんとともに 私も一緒に年を取り、
ずいぶんと落ち着いた気持ちを込めて
こうしてお話をすることも出来るようになりました。
お父様のこと、高齢になると
本当に心配なことも多くなりますね。
大阪でゆう☆さんと一緒に暮らしたいと思うのは
やはり 実の娘さんだからこそで、
昔から「息子より娘」と言いますものね。
歳を重ねるとともに
身内のいろんなことが持ち上がることも多くなり、
我が家も 義母が上野でいまだに一人暮らしを
していますが、すぐそばに娘(義妹)夫婦がいます。
義母は上野で生まれ上野へ嫁ぎ
外へ出たことがないので、
知り合いが一人もいない千葉の我が家への
同居は嫌がりますが、
息子夫婦より 娘夫婦のほうが暮らしやすいと
思っているのかもしれません。
コロナ渦の大阪です。千葉方面は、大阪よりもっと
たいへんなのでは?と思います。
コメント、本当にありがとうございます。
そうですね。息子より娘の世話になりたいと思うのが
ふつうかもしれません。
介護の仕事についてはや10年です。
現場でも、そんなケースが多くみられます
下の世話となると、嫁より娘ですもんね(笑)
そこまでなる前に、この世とおさらばしたいみたい
ですけどね(笑)