峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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私たちの失敗

2016年05月31日 | 民生児童委員

町内会のお一人暮らしの方を中心に時々、ご高齢者のお宅を訪問させていただく。
昨日、あるお一人暮らしの方を訪ねたところ、このところ体調が思わしくなくてと気弱になっておられた。

ご高齢者の方の多くは、自宅に1人でいる時、倒れたらどうしようという心配をしておられる。携帯電話器は常に身近な場所に置くとか、固定電話器はなるべく低い位置に置くなどのことは当然心がけておられる。だが、意識を無くした場合のことが気がかりでいらっしゃる。

こちら側もそれを最も恐れる。ただし、だからといってお一人暮らしのお宅を毎日訪問するというのもお互いはばかられる。それぞれの方の状況に応じて包括支援センターと連携をとりながら臨機応変に訪ねさせていただくことになる。

訪問の意義は体調の面のみならず、精神的ケアの側面もある。
数日前お訪ねしたご高齢者のお宅では、タクシーを利用した際、待っていた時間が長いとタクシー料金の他に4千円も請求されたことについてのお話をひとくさり伺った。金額云々ではない。高齢者に対する思いやりに欠ける態度に立腹しておられるのだ。
お話を伺うことでその怒りは次第に収まることになる。

わずかな年金で爪に火を点すような生活をしておられるご高齢者がいらっしゃる。社交的でないご高齢者は、公的な福祉サービスも受けることなく孤立化しがちだ。たとえそうでないご高齢者にしても、先のことを考えると決して安穏としてはいられない。
年金制度はいつまで持つのか。介護保険制度も改正の度に使えないものになってしまっている。

何かと苦労を重ね、人はやがて皆老いる。幸福な晩年を希求するのは人として当然の権利ではないか。何の心配もなくのんびりと老後を過ごすことのできる社会でなければならないはずだ。私たちは、何を、どう間違えているのだろう。

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