のんびり散歩

ぶら~りと歩きながら、家々のガーデニングを楽しみです。

お盆が過ぎて

2014-08-16 20:24:01 | 日記

 皆さんは「お盆」をどのように過ごされましたか? 

私は、迎え盆の13日から 送り盆の16日までは家にいて

のんびりのような、でも、忙しく動いていますね。 台所で

毎年 お盆の15日はお寺の「施餓鬼」に参ります。

そして、今日の「送り盆」は午後から雨が降り

がゴロゴロで、お墓に行ったのは夕方でした。

ご先祖様を無事にお送りする事が出来 ほっとしました。

 

 

 兄弟から (とうもろこし)がどっさり届きました。

 

 取りたてを宅急便で我が家へ。

 早速、茹でてパクリ・・・・・・甘くて美味しい

 

近所の方に食べて貰っても、まだまだいっぱい有るので 

冷凍保存をします。茹でて、一粒一粒 実をほぐす作業が

面倒ですが、ホール状にすると色々の料理に使えて便利です。

冷蔵庫の冷凍室が満タンになりました。

コーンが堂々と陣取っています。

 

兄弟の心遣いに(ありがとう)の思いで 頂きま~す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


野菜が→

2014-08-12 10:09:39 | 日記

 兄夫婦から手作りの野菜が届きました

 

 いんげんー 量が多い。知人にお裾分けしました。

 きゅうりー 太目なのに 種が小さくて柔らかい。

 

 高原キャベツ - 生食が一番美味しい

 炒めて旨し、煮ても超美味です。

 

  ご馳走様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

       

 

 

 

       

 

 

 


姉の今は?

2014-08-06 10:42:41 | 日記

  亡きの四十九日法要の事が 

姪夫婦の作成した往復はがきで届いた。

差出人名は、である。

 

 の様子が知りたくて、電話をしたら 

 「大人しくなり、多動は治まり一般病棟にいる」と言い

 「週末に面会に行くだけで、面倒をみてやれない

 「病状の改善は感じられず、逢っても空しくなるだけ

 「入院が長引くと、認知症にならないかと心配」…」

 「病院に入院していれば、私の家族は普通の生活が

  出来ているから、{今のままで良いか}と思ってしまう」

 「いつの日か、家に戻り一人で暮らせるようになるのだろうか

 母の変貌ぶりが理解できず、受け入れられない]

 「父の亡き後の手続きで役所に行かなければならないが、

  実家の事なので 分からなくて困る」・・・・・等々

 

これからの、先行きの見えない不安で「心が折れそうな心情」を

痛いほどに感じた姪との電話でした。

遠隔地に住んでいる為に、

「すぐに駆けつけて、何かを手伝う事もままならず」 です。

 

 姪に、(そんなに頑張らなくて 良いよ

貴女が参ったら大変だから、旦那さんと子供達と分担して

出来る事だけをやってね。)と励ましました。

 

 

かぼちゃ、ミョウガ、なす、きゅうり、モロヘイヤ

畑直送の産物です。

モロヘイヤは 粗くたたいた長芋と合わせて

味ぽん食べました。簡単だけど美味しい一品です。

 

 

 

 

 

 

 

 


兄を看病した姉に、災いが…

2014-08-02 12:19:41 | 日記

が治療を拒否した為に、「退院命令」が

言い渡された頃に、の様子に異変がでました。

 「以下は、…{の長女}…から聞いた話です」

 

5月9日にの気持ちを先生から聞き、強いショックを

受けたのでしょう

その場で、泣きながら先生に掴み掛らんばかりに

取り乱したが鬼の形相で暴言を吐いたと・・・・・。

なだめる看護師には、声を荒げて不満を言い

突き飛ばしそうな暴力行為に、は叫びながら

を押さえつけたそうです。

発狂してしまいました。

頭がおかしくなったのです。

 

を自宅に帰すことは到底無理です。

の家で預かることになったものの大変な事態に…。

奇声をあげて騒ぎ立てる奇行が 夜中も昼間も続き

対処出来ずに考えあぐね、精神病院に入院する事に

なりました。

最初は、「開放病棟の大部屋」に入ったのですが

大きい声で喋り続ける姉に同室の方の苦情が

凄まじくて病室を変わったのは、入院3日目でした。

 

変更の病室は、「閉鎖病棟の個室」です。

鉄格子のある「隔離室」でした。

その時の病名は (多弁症) と告げられました。

とりあえず、「母の面倒を診て貰えてよかった」と

ほっとしたと話していました。

 

早く の転院する病院を探さなければと焦っていました。

の希望する転院先は、自宅に近い病院です。

そこの病院は受け入れの拒否は無かったけれど、

苦渋の決断だったと思います。

頭を下げて「宜しく お願いします」と頼んだそうです。

がんの終末期で治療をしない患者)を

心を尽くして診て下さいました。

が残りの日々を安らかに送れた事を

有り難く感謝しています。

 

 現在のは、喋り続ける行為は治まり 

顔の表情は優しくなってきました。

の告別式は「外泊許可」で参列し

その後は病院に戻り療養しています。