ま、いっか♪

~年子育児ヨレヨレ奮闘記~

家族。

2006年12月21日 19時35分10秒 | 日々
夕べから母が泊まりがけで我が家の家事を手伝いに来てくれました。
暖めれば済むようにおかずを作ってくれたり、朝も早くから家中の掃除やカーテンを
洗濯してくれたりで大変助かりました。
特に今日は娘達の昼寝や授乳のタイミングがずれて私の疲れが溜まっていたので、
午前中に次女を見ててもらって、長女と3時間もノンストップで思い切り寝られたのも
精神的にも肉体的にもとても有り難いと思いました。

うちの夫は大学の頃父を亡くし、2年前に母を亡くしており、一人っ子なので
交流のある親類は沢山いれども子供の立場としての『家族』としては天涯孤独で、
それが故に私の両親を本当の両親と思っているふしがあるらしく。
昨日の朝も「今日はお母さんが泊まりに来て色々手伝ってくれるって」と言ったら
「嬉しいなぁ、”大人3人”の暮らしって2年ぶりだ~」と呟くので黙っていると、
「お父さんも来てくれるともっと嬉しいし懐かしいよ」としみじみ言うのです。

数年前、ちょっとした気持ちの行き違いで「私の一族とは縁を切る」とまで言って
激しく拒否していたことがあった夫がそんなことを言うのはちょっと意外で、且つ
もう心を開いて私の両親を受け入れてくれているんだなぁ、親が他界するというのは
夫にとって本当に寂しい事だったんだなぁと思うと、思わず洗い物の手が止まって
涙がこみ上げてきてしまいました。

クルクルと働き回る母にコーヒーを入れようと立ち上がったのに「私が入れる」と
洗濯物の手を止めて台所に急ぐ母の背中を見て、「私はなんて幸せなんだろう」と
心から思いました。

いつまでも一緒に生きていたいね。。
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偶然とは言え。

2006年12月20日 22時09分28秒 | 次女
次女、退院時には乳児性黄疸が強めでどうなることかと思いましたが、
日に日に黄色みも減り、健康的な肌色になってきました。
この所やっと普通の新生児並の大きさになって来て、抱いていると
しっかりとした重みが増してきました。よかったよかった。

ところで、義母は胆管ガンという病気が致命傷になり、最後は黄疸が酷く
色白が自慢だった彼女の顔色は可哀想に真黄色になって逝ってしまったのですが、
実は次女は鼻から口元にかけて義母に本当によく似ているのです。
黄疸症状といい、思わず生まれ変わりなのではと思ってしまいました。

それにしても長女は義父似、次女は義母似で、私に似ているのは二人とも目だけ。
うーむ、私のDNA負けまくり?(笑)。
まぁ、私も笑っちゃう程私の父親に似ているので、きっとそういうものなんでしょう。

未知との遭遇。
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出産祝い。

2006年12月19日 23時14分19秒 | 次女
次女が産まれてMちゃんとNちゃんにもお祝いの品を頂きました。
Mちゃんからはボーネルンドのピコピコ鳴る玩具とお菓子、Nちゃんからは
予てからフリマで探しまくっていたバギーボード。
どちらも長女も喜ぶもので、有り難く嬉しく頂戴しました。

今晩は次女に授乳してから二階で長女を寝かしつけていたら、夫が抱いていた次女が
階下で「飲み足りない!」と怒り、長女がやっと寝て夫から次女を受け取り再び授乳、
すると何かの拍子に長女が「ママがいない!」と怒り出し、夜の夜中にてんやわんや。
でも、幸い私が入院中に長女は夫とでも寝付くようになっており、何とか無事に
寝かしつけてくれたようです。・・・夫も寝かしつけられてたけど(笑)。
そして現在、まだ「飲み足りない!!」と怒る次女を左胸にぶら下げながら
これを書いている次第です(笑)。

何だかバタバタで疲れるけど、必要とされてるという満ち足りた想いも同時にあり、
今が娘達とのハネムーンなのかな、としみじみ思ったりしました。
   
長女がぶんどっちゃった玩具  ちゃんと乗れるかな?
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ちかれた~。

2006年12月18日 23時34分04秒 | 日々
次女の名前を入院中に決めなかったので、出生届を泥出するのが今日になって
しまいました。
出産後一週間で外出するのもどうかと思ったのですが、夫が行けないのなら仕方がない。
母に来て貰い子供を託し、久しぶりに鎌倉駅に行ってお役所・銀行回りと
買い物をしたら思いの外疲れてしまい、帰りのバスでバタンキューになって
しまいました。

やっぱり自分が思うより身体は疲れているようで、特に授乳の姿勢が悪いのか
右肩が懲りすぎて眼底から肩までズキズキと痛く、気分まで悪くなってしまって
久しぶりに湿布なんて貼ってみたら夜にはだいぶ良くなりました。

長女を17時頃、次女を19時半頃風呂に入れ、次女に授乳していたら長女が
急にヤキモチを妬き出し、おかしいなぁと思ったらどうやら超オネムな様子。
日頃は困ってしまうほど夜はなかなか寝付かないのに最近20時には寝てしまうのは
真夜中の次女の授乳の物音に敏感に反応して起きてしまっている所為かと思われ。
可哀想に、きっと私と同様寝不足なんでしょう。
明日はのんびり娘達と昼寝三昧しようかな。

ソウソウ、寝ルノガ一番☆
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命名。

2006年12月17日 22時00分18秒 | 次女
お七夜の本日、次女の名前が決まりました。
偶然にも私が前々から考えていた名前と夫が晩考えた名前の音が一緒で、
漢字は私も第二候補に挙げていたものと夫の提案したものとが同じだったので、
今日まで散々引っ張った挙げ句、話し合い5分で決定しました。

やはり名前が確定するとそれらしい顔つきに思えて来るのが不思議です。
一生背負っていく運命を決めてしまったというような、ある意味責任のようなものを
感じた日でした。

幸せを掴んで放さないでね
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ライクアローリングストーン。

2006年12月16日 14時26分33秒 | 長女
次女の陣痛が来た8日金曜早朝、実は私、大失敗をしているのです。

我が家の階段は2階には長女が自分で降りられないように柵を設けていたのですが
一階登り口には当時はまだ柵は取り付けていませんでした。
この日、二階への階段を上れるようになった長女が洗濯物を片づけに二階に上がった
私を追って二階へ上がり、それに気づいた私が「危ないよ。ママ、お仕事終わったから
ゆっくり下に降りようね」と声をかけ、長女・私の順番で階段を下りようとしたら
長女が足を滑らせて階段の上から3段目くらいから真っ逆さまに落ちてしまったのです。
階段を一人で登れるようになって、危ないから登り口用の階段用の柵をネット注文して
それが届く当日の朝8時頃の出来事でした。

当時は私は身重で素早く動けず、手を伸ばしたものの間に合うはずもなく、
階段を吃驚眼で一回転しつつ右の頬から大きな音を立てて落ちて行く長女を
どうすることもできずにただ名前を悲鳴混じりで呼び続けるしかありませんでした。

階段の一番下で止まった長女は幸いすぐに起きあがりワンワン泣き出したので
ひとまず安堵し、抱き上げて抱きしめ、流血していないかあちこち確認すると
どこからも出血はない様子。
暫く様子を見ていても吐く等の症状がなかったので、どうやら事なきを得たのでした。

不幸中の幸い今回は大事に至らなかったのですが、一つ間違えば大惨事。
右頬に今もまだ残っている青あざを見るたびにゾッとするのでした。
長女、ごめんね、怖かったでしょう?ママが悪かった。。

じーちゃんの帽子を奪ってご満悦長女。
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ほっと一息。

2006年12月15日 22時02分23秒 | 次女
次女が我が家にやってきての第一日目がやっと一息つきました。ふぃ~。

今朝は午前10時に病院に行き、まずは次女の黄疸の結果を聞きました。
看護師さんの開口一番、「数値、さがってましたよ、今日退院できます!」。
気づかぬうちにかなり緊張していたのか、その言葉を聞いた途端腰が砕け、
その場にしゃがみ込んでしまいました。そして目からは涙。

その後、カンカンに張った母乳を次女に与える為にグジュグジュになりながらも
授乳室のドアを開けると、丁度まだ入院中の入院仲間達が授乳しており、
更にほっとしたのかまたまた涙。
みなさんホントいい方で、口々に「良かったね、良かったね!」と言ってくれました。
授乳室の外で待っている夫には「出られるって!!」と報告。

そしていつものように次女の体重を計ってから授乳し、授乳後に計ったら何と
100mlも飲んでいました。
それだけ母乳が出るのもスゴイけど、飲んじゃう次女もスゴイ(笑)。
授乳が終わり、速効父と母が待つ我が家に戻りました。

帰宅すると長女は丁度昼寝中で、帰ってすぐの反応は見られませんでしたが、
昼寝終了後対面させると次女も大人しく寝ていてウンともスンとも言わなかったので
長女も「・・・で?」って感じ(笑)。
そして次女が「ふに~」と呟くとやっと興味を示し、私が「ほら、妹だよ」と
指さすと、同じようにゴチョゴチョ言いながら指を差す長女。
うーむ、わかってんのかわかってないのかわからない(笑)。
モジョモジョしている次女を放置し(笑)、長女を散々構っていたせいか、
お腹が空いて泣き出した次女に授乳しても全く嫉妬のカケラも見せませんでした。
それどころか次女が寝ていたハイ&ローチェアーに登って大喜び☆
長女、えらい!・・・のか?(笑)

そして夕食の時間になり皆でご飯を食べていると、飲み足りなかったのか次女が
愚図り出しました。
兎に角長女のご飯と自分のご飯!と思って次女を放置していたら、長女が椅子から
ストンと降りて、次女の顔をのぞき込み、クルリと私を振り返って
「ねぇ、泣いてんだけどほっといていい訳?」という顔(笑)。
うーむ、何だか既に『お姉ちゃん』の兆し?

それでもやはり夜眠くなってきたら授乳中でも私に抱きつこうとする長女。
少し授乳を早めに切り上げ、20時には長女を寝かしつけ。
そして寝かしつけたら今度は次女のお風呂。
ビニール引き出しをベビーバス替わりにして風呂に入れ、服を脱がす時に取れた
へその緒跡を消毒し、再び授乳。本当に良く飲んでくれました。

それにしても年子二人の世話ってどんな生活が始まるのかとビビっていましたが、
良く考えてみたら乳児は寝る・飲むが仕事。
たいして手間がかかるわけでもなし、ちょっと拍子抜けしてしまいました。
もうちょっとしたら大変になるんでしょうな。

というわけで明日は母は自宅へ一旦戻り、来週明けから出勤の夫の替わりにまた
日曜夜から2~3日手伝ってくれることになりました。
全く母には世話になりっぱなし。
私の疲労からの八つ当たりにも文句言いながら付き合ってくれ、家中の掃除も
吃驚するほど済ませてくれていて、いくら感謝してもし足りない。
お母さん、本当にありがとう。。

姉妹、初接近。
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退院しました!

2006年12月15日 11時35分36秒 | Weblog
次女、無事退院しました!
今、一緒に家に向かってまーす♪
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やはり。

2006年12月14日 17時16分01秒 | Weblog
次女、黄疸の検査のボーダーラインに引っ掛かり、拉致られてしまいました。
明日の朝、もう一度採血をして異常なしなら退院、
もし異常が確定したら治療の為3日は入院していなければならないらしい。
私は勿論無罪放免なので予定通り退院し、次女の授乳の為に日に二度ほど病院に通うことになる。
もし重度の肝機能障害ならば退院後に病が発覚して何かあるよりも、
今の段階ですぐに治療出来るのだから幸運と受けとめるべきだが、
やはり心配なのには変わりはない。
どうか大したことありませんように。。
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最後な朝食。

2006年12月14日 08時16分24秒 | Weblog
卵焼き、いんげん、味噌汁、ご飯。
やっと味噌汁が飲めた!(笑
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