ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

疲れたよ

2008年03月20日 07時51分31秒 | マイ・ブーム
朝の出掛けに本棚に目をやった。
連日、講習会だの、経営だの、金儲けの話ばっかりで
うんざりしていた。
違う種類の本を読みたいと思って探すと、洲之内徹の
「気まぐれ美術館」(新潮社刊)が目に入った。
この本は、ある時期に「芸術新潮」に掲載されたもの
を単行本化されたものである。
パラパラとめくる。文章の書き方に引き込まれて行く。
そして、この文章を書いている訳だけれど、書き方が
似てくるのは、私自身が人に影響されやすいタイプだ
からかも知れない。
最近、しゃかりきに仕事をしている私の生活に、ちょ
っとしたコーヒーブレークというところかも知れない。
(そうだろう、ゲンロクマメ達よ、笑)

自分の勝手気ままに画廊を経営していた洲之内徹だが
彼の生き方がうらやましく思えた。(そういう生活を
続けられなかった私としては・・・)
自分の親の死に目にも行かなかったような立場をとる
ことができるかどうかは別として、柔らかい文章とは
裏腹に厳しい美術に対する価値評価があるかな。
仙台市の県立美術館には、彼の目にかなったコレクシ
ョンが収蔵されている。(何ゆえに東京で画廊をして
いた人の作品群が仙台にあるかは知らない)
とっくに鬼籍に入ってしまった彼だけれど、自分の軸
というものが必ずあって、そういう内容で書かれてい
る前述の本だが、近代洋画について興味のある方は一
読の価値があると思う。もっとも、絵の話が中心なのだ
が、時々とんでもない方向に行くのはタイトルが示し
ているとおりだ。

思えば、芸術なんてものは経済と対極にあるものだ。
世の中の芸術品の価格が時に天文学的な数字で販売さ
れることがあるが、それは、芸術作品が生産コストと
かに無縁だからである。当たり前のことなんだけれど、
絵の具の量とか制作時間とかには関係ないからだ。
「絵の値段はどうやって決まるの」と聞かれたことが
あったけれど、そんなモノに基準などあるハズはない
のだ。特に産地(画家)から出てくる時に積み上げら
れる札束など、意味のありようがない。例えば、抽象
画の場合、キャンバスを切り裂いただけの絵?でも、
億単位の値がついたこともある。

お金と無縁の世界に身をおけたら何ほどいいものか。