ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

初めに大林ありき。そして、大林は神であったのか?

2006-09-27 | Weblog
今日の記事は本当の記事じゃないかな? 思い付きを書き留めるだけ、ね。

「イルマーレ」、「ターン」。そかし、その初めには、「ある日どこかで」があったのか。それとも小説「たんぽぽ娘」があったのか。

そうだな。「たんぽぽ娘」はあったかも知れない。しかし、「たんぽぽ娘」の前には、そうだな、「ジェニーの肖像」があったのかも知れない。そして映画「ジェニーの肖像」があって、石ノ森マンガ「ジュン」があって、「時をかける少女」がある。

「時をかける少女」は大林宣彦を通して、日本の、いやアジアのスタンダードになったのかもしれない。そしてそのスタンダードは、あるいは「スキップ」「ターン」「リセット」という北村薫の三部作を生んだのかもしれない。

「ターン」が韓国で「イルマーレ」として結実し、ハリウッドでキアヌとサンドラが演じた……。

あるいは。

「異人たちとの夏」(この年になって、風間杜夫の気分が一層わかるようになった)である。死んで、会えないから切なく、懐かしい人々との再会。このテーマは「黄泉がえり」となり、その変奏曲として「いま、会いにゆきます」を生むことになる。

大林がオリジナルと、言い切れないかもしれないが、大林がかつて用いたモチーフが、いま、再作品化されている……というのは、言い過ぎなんだよな~。

*「黄泉がえり」。これが成り立つには、あるいは小松左京の「ご先祖様万歳」が必要だったんじゃないか、とか、昔から無責任な感想は得意なんだ!*

*画像は「ラーゼフォン」。なぜか? 訊くなよ~。野暮だな。*

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