私が住んでいる熊本市西区島崎地区に隣接して横手というところあります。
同じ小学校区になります。
故人(昔の)になりますが、その横手地区出身の怪物二人をご紹介します。
(ご存知の方も多いかもしれませんが)
■横手五郎(ヨコテ ゴロウ) ・・・ 怪力男
天正13年(1585年)に勇将木山弾正(キヤマ ダンジョウ)の遺子として生まれ、
今の熊本市西区横手で育ったので、その名がついたと云われています。
父の木山弾正は、天正17年(1589年)の天草一揆のとき加藤清正に一騎打ちをいどんだが、
加藤清正の詐術(*)により得意の弓でなく太刀で戦うことになり、姑息な清正に槍で殺されたと云われる。
* : 清正は弾正が弓の名手と知っていたので、「正々堂々と太刀で戦おう」と言って弓を捨てさせ、
自分は一旦捨てた得意の槍を拾い上げて戦った。(ズルイ)
五郎は75人力といわれる怪力無双の巨漢で、5歳の頃に米俵を担ぎ、九州一の筑後の力自慢を
投げ飛ばしたと云われています。
成人してからは清正を父の仇と狙い、素性を隠して熊本城築城の工事人夫として潜入します。
石運び人夫として怪力自慢の働きをし清正からも重宝されますが、素性が見破られ、
城の井戸掘りをしているとき生埋め(**)にされたと云われています。
** : 井戸の中にいるときに上から石を投げ込んで殺そうとしましたが、
底にいた五郎は落ちてくる石を両手で受け止めては外へ投げ返すので限がなく、
そのうちに、片手で受け止めては左足の下にしき、
片手で受け止めては右足の下にしきして、五郎はだんだん上の方へ上がっていきました。
上にいる者は気が気でないから、またどんどん石を投げ入れます。
五郎は、みんなが自分を殺すために石を落としていることにやっと気がき、
覚悟を決めて『わしを殺すなら石ではだめだ、砂(砂利という話もあり)を入れろ』と
大声で叫んだ。
石の代わりに砂が入れられ、五郎の体はみるみる土砂の下に沈んでいったと云われています。
一説には、城の人柱にされたのではないかとも伝えられています。
人夫をしていたときに首にかけて運んだと言い伝えられる1800㎏の石が
熊本城内に鎮座しています。
横手五郎は、今、横手五郎像の形となり熊本市花岡山の社に「横手の五郎大明神」として祀られています。
以上は誇張して脚色されたと思われる逸話です。
横手生まれではあるが弾生の子ではなかった、という説もあります。
■牛島辰熊(ウシジマ タツクマ) ・・・ 柔道家
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」といわれ
史上最高の柔道家との評価がある「木村政彦」さん(この方も熊本市出身)の師匠にあたる方です。
牛島辰熊さんも「鬼の牛島」と恐れられ、日本一にもなったことがあります。
辰熊さんについてはWikipediaに写真入りで書かれていますので、
詳しくはそちらをご覧ください。
”体は名を表す”(命名が先なので”名は体を表す”はおかしいのでは?)の方です。
”牛”と”辰”と”熊”が入っている名前からして文字どおり人間離れしています。
Wikipediaにある日本人離れした精悍で厳つい面構え、薬でもやってイッチャッテルような目つき ・・・
写真だから見つめることができますが、
こんな人と街中で目があったら竦んで漏らしてしまいそうです。
この凄みに比べれば、
井上康生さん、山下泰裕さん(熊本県出身)、鈴木桂治さんなどが腕白小僧に見えてきます。
なお、辰熊さんは先の大戦中に東○英○首相を暗殺しようとして失敗し捕まった前科者でもあります。
人の為なればと、正しいと信じることを自らの身は顧みず直情をもって一途に遣る ・・・
GHQに平伏した講道館柔道とは離れて、自分の生き方を貫いた牛島辰熊さんと木村政彦さん ・・・
名より実をとって妻を労わった政彦さん、可愛い奥様がいた辰熊さん、惚れ惚れするような硬骨漢です。
草食系や絶食系男子が多くなってきたと言われている現在にあっては、
不器用であるが野獣のように逞しく、優しい心も隠れている、
そんな男に憧れる女性が多く出てきてほしいものと思います。
次の人物紹介のときには、
東○英○さんに抗った「石原莞爾」さんや「松前重義」(熊本県出身)さんのことを
載せられればと思います。
同じ小学校区になります。
故人(昔の)になりますが、その横手地区出身の怪物二人をご紹介します。
(ご存知の方も多いかもしれませんが)
■横手五郎(ヨコテ ゴロウ) ・・・ 怪力男
天正13年(1585年)に勇将木山弾正(キヤマ ダンジョウ)の遺子として生まれ、
今の熊本市西区横手で育ったので、その名がついたと云われています。
父の木山弾正は、天正17年(1589年)の天草一揆のとき加藤清正に一騎打ちをいどんだが、
加藤清正の詐術(*)により得意の弓でなく太刀で戦うことになり、姑息な清正に槍で殺されたと云われる。
* : 清正は弾正が弓の名手と知っていたので、「正々堂々と太刀で戦おう」と言って弓を捨てさせ、
自分は一旦捨てた得意の槍を拾い上げて戦った。(ズルイ)
五郎は75人力といわれる怪力無双の巨漢で、5歳の頃に米俵を担ぎ、九州一の筑後の力自慢を
投げ飛ばしたと云われています。
成人してからは清正を父の仇と狙い、素性を隠して熊本城築城の工事人夫として潜入します。
石運び人夫として怪力自慢の働きをし清正からも重宝されますが、素性が見破られ、
城の井戸掘りをしているとき生埋め(**)にされたと云われています。
** : 井戸の中にいるときに上から石を投げ込んで殺そうとしましたが、
底にいた五郎は落ちてくる石を両手で受け止めては外へ投げ返すので限がなく、
そのうちに、片手で受け止めては左足の下にしき、
片手で受け止めては右足の下にしきして、五郎はだんだん上の方へ上がっていきました。
上にいる者は気が気でないから、またどんどん石を投げ入れます。
五郎は、みんなが自分を殺すために石を落としていることにやっと気がき、
覚悟を決めて『わしを殺すなら石ではだめだ、砂(砂利という話もあり)を入れろ』と
大声で叫んだ。
石の代わりに砂が入れられ、五郎の体はみるみる土砂の下に沈んでいったと云われています。
一説には、城の人柱にされたのではないかとも伝えられています。
人夫をしていたときに首にかけて運んだと言い伝えられる1800㎏の石が
熊本城内に鎮座しています。
横手五郎は、今、横手五郎像の形となり熊本市花岡山の社に「横手の五郎大明神」として祀られています。
以上は誇張して脚色されたと思われる逸話です。
横手生まれではあるが弾生の子ではなかった、という説もあります。
■牛島辰熊(ウシジマ タツクマ) ・・・ 柔道家
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」といわれ
史上最高の柔道家との評価がある「木村政彦」さん(この方も熊本市出身)の師匠にあたる方です。
牛島辰熊さんも「鬼の牛島」と恐れられ、日本一にもなったことがあります。
辰熊さんについてはWikipediaに写真入りで書かれていますので、
詳しくはそちらをご覧ください。
”体は名を表す”(命名が先なので”名は体を表す”はおかしいのでは?)の方です。
”牛”と”辰”と”熊”が入っている名前からして文字どおり人間離れしています。
Wikipediaにある日本人離れした精悍で厳つい面構え、薬でもやってイッチャッテルような目つき ・・・
写真だから見つめることができますが、
こんな人と街中で目があったら竦んで漏らしてしまいそうです。
この凄みに比べれば、
井上康生さん、山下泰裕さん(熊本県出身)、鈴木桂治さんなどが腕白小僧に見えてきます。
なお、辰熊さんは先の大戦中に東○英○首相を暗殺しようとして失敗し捕まった前科者でもあります。
人の為なればと、正しいと信じることを自らの身は顧みず直情をもって一途に遣る ・・・
GHQに平伏した講道館柔道とは離れて、自分の生き方を貫いた牛島辰熊さんと木村政彦さん ・・・
名より実をとって妻を労わった政彦さん、可愛い奥様がいた辰熊さん、惚れ惚れするような硬骨漢です。
草食系や絶食系男子が多くなってきたと言われている現在にあっては、
不器用であるが野獣のように逞しく、優しい心も隠れている、
そんな男に憧れる女性が多く出てきてほしいものと思います。
次の人物紹介のときには、
東○英○さんに抗った「石原莞爾」さんや「松前重義」(熊本県出身)さんのことを
載せられればと思います。