湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ フルーツ金時(かき氷)

2016年09月26日 23時36分27秒 | 昔々の思い出
大人になってからは、
かき氷を店で注文することは
めったにありませんでした。
まだ子供が小さい頃に
付き合って食べることがあったくらいです。

そんな私ですが、
今でも頭の中に味が残っている
かき氷があります。

半世紀近く昔のことになりますが、
炎天下で汗をかいた
高校の部活の帰りに
時々立ち寄った店で
食べていたかき氷です。

その店は熊本中央郵便局近くの
路地裏にありました。
通学路から外れていますが、
その店の知り初めの経緯は
憶えていません。

古い木造家屋の一部を
改造したような店でした。
店は姉弟と思しき
20代の若者が切り盛りしていました。

店の名も憶えていません。

忘れられないのは
「フルーツ金時」の味です。
かき氷の中では
その店で一番高いメニューでした。
120円(税なし)くらいだったはずです。
乏しい小遣いを
その「フルーツ金時」に替えても、
惜しくはありませんでした。

   ※一番高いかき氷を頼んでいた私は
     良い所の坊ちゃんに
     見られていたかもしれません。

 ・氷は今時のフワフワ軟弱なものでなく、
   粗いカンナで削ったような
   シャリシャリしたものでした。
 ・ガラス皿に盛られた氷は
   ダイヤモンドのように
   キラキラとして透明で、
   その中に小豆(?)あんと
   フルーツ(パインとミカンとバナナ)
   が埋まっているのが見えました。
 ・そして上から練乳がかけられていました。

半ばあたりまで食べ進む頃には、
皿の下の方には、小豆あんとシロップと
練乳が混じりあった氷水がたまり、
恍惚の味になりました。
  といって
  過ぎた甘さではありませんでした。
  最後に残った一滴は
  皿から口に垂らしていました。
  
   ※この格好を見た人は
    "坊ちゃん" に思えなかったはずです。

夏の間に何度も通いましたが、
あの働き者の姉弟(?)とは
注文時と会計時以外に話をしたという
記憶がありません。

先日、その店があった道を通りました。
古い建物外観は昔の面影を残していましたが、
暖簾は下がっておらず
人が住んでいる気配もしませんでした。


あのときの「フルーツ金時」を
真似るつもりで
市販の「フルーツ缶詰」と「金時(かき氷)」を
混ぜ合わせてみました。



 あの「フルーツ金時」とは
 似ても似つかないもので、
 これはこれで美味しかったのですが、
 頭の中に残っているあの味には
 遠く及びませんでした。


あの店で食べていた「フルーツ金時」以上に
美味しいかき氷に出あったことがありません。
TV番組で "絶品" と称される、
高価なかき氷が紹介されることがありますが、
  私の場合は、
  その白っぽい氷を見た時点で
  食指が引っ込んでしまいます。

  ※汗だくの部活練習の後の、
    水分と糖分に飢えていた私の口が、
    あの「フルーツ金時」を
    実際以上の美味しいものに
    幻惑させていたのかもしれませんし、
    昔を懐かしむ "思い出補正" が
    加味されているのかもしれません。

◇ YAMAHA_XS750_Special

2016年06月27日 12時28分39秒 | 昔々の思い出
 私の車の運転操作は至って穏やかなものです。
 警察のお世話になるような事故を一度も起こしていませんし、
 30年以上も赤切符の違反で検挙されていません。

   ※2013年でみれば、運転免許保有者数約8160万人で
     赤切符検挙件数が約36万件という割合ですから、
     30年以上も赤切符無しといっても、
     そう胸を張れることでもありません。
    

そんな私ですが
若い頃には赤切符(免許停止)となる違反が2度ありました。

どちらも20代独身のときの速度超過違反です。

1件は別府に住んでいた頃のものです。
 九州横断道路(国道500号線)と国道10号線が交わる
 T字路交差点の赤信号で停まっていました。
 青信号になったのでスロットルを開き
 九州横断道路から右折して国道10号線に乗り
 ちょっと吹かしたら、
 道路脇から旗が出てきて捕捉されました。
 片側3車線の直線道路区間です。
 40キロ制限の区間でしたが、
 70キロ近く出ていたかもしれません。
  「25キロ以上超過(*)」ということで
  1ヵ月間の免許停止の処分を受けました。

  * : 今と違って昔は細分化されておらず
     「25キロ以上」で1区分だったはずです。

 マイクロバスの中に連れ込まれた私は
 一緒に乗り込んだ警官よりも先に口を開きました。

 文言は憶えていませんが次のような内容だったはずです。

 『あなた方は、事故が起きそうにないこのような場所で
  取締りなどせず、街中の30キロ制限の狭い道を飛ばす
  危険な車を捉まえたらどうですか』
 『そもそも、無信号の交差点がなく中央分離帯もある
  片側3車線直線道路で40キロ制限というのは不合理でしょう。
  円滑な車の流れに配慮したら速度超過するのがあたりまえで、
  そういう道路で速度違反取締りをするのは意地悪でしょう』
 『捕まった人は、警察に反感は持っても反省することなどないので、
  事故抑止効果はないと思います。
  あなた方の目的は金儲けではないですか』
 『パトカーでさえこの区間では普通に60キロ以上で走っていますよ』
                             ,etc.

 自分の違反は棚に上げて、
 言いたいことを一方的に吐き出しました。

 相手の警官は我慢して(?)私の話を聞いてくれていました。
 酌量の余地がないことは私も解っていましたので、
 言いたいことを言い終わり一息ついたあと、
 警官に促されるまま素直に5個の指紋を押しました。


  そのとき乗っていたバイクが
  YAMAHA_XS750_Specialです。
  (1980年にマイナーチェンジされたばかりのもの)

  そのバイクは別府にいたとき買ったものでした。

  ある日「別大国道」(**)を車で走っていたら、
  ハンドサインを出して颯爽と私を追い越し、
  キャブトンマフラーの排気音を残して走り去った
  KAWASAKI_W1がいました。
  それを見て無性にまた乗りたくなったのです。

  1枚のリーフレットに載った
  小さい写真1枚を見ただけで車種を決め、
  貯金をはたいて買いました。

   長距離ツーリング向きのアメリカンスタイルと
   3気筒DOHCエンジンにシャフトドライブ(***)、
   そしてキックスターター付というメカニズムが
   アウトサイダーを気取りたかった当時の私に
   気に入られたのです。

  高校生のとき小型バイクに乗っていましたが、
  卒業してからはバイクに乗る機会はありませんでしたので、
  届けられたバイクに跨ったときは、
  200kgを超す重量に少し戸惑いました。
  
  バイクを買わせる気にさせたKAWASAKI_W1を真似て、
  週末になるとよく、別大国道を大分市まで往復しました。
   繁華街にあるガラス張りのスタイリッシュな某喫茶店で
   モーニングサービスを食べて帰る、
   それだけのことでした。
   免許停止となった速度違反は
   その喫茶店へ行くときに起きたことです。


   ** : 大分市と別府市を結ぶ
      別府湾を眺めながらのシーサイドライン。
      途中に水族館と高崎山(日本猿で有名)があります。
      この道がコースとなる「別府大分毎日マラソン」が
      毎年2月に開催されます。      

  *** : チェーンの代わりに
      軸(シャフト)と歯車などで構成された
      駆動伝達方式。
      日本車はチェーンが主流ですが
      BMWのバイクのほとんどはコレです。



そのYAMAHA_XS750_Specialは
転勤で別府を離れてからは熊本の実家が保管場所になり、
滅多に乗らなくなりました。

休みで熊本に帰省したある日のこと
バイクの姿が消えていました。
お袋に尋ねると、
郵便配達の若者にタダであげたとのことでした。

  私が顔も知らないその若者は
  ウチに配達に来るたびに
  XS750_Specialをじっと見ていたそうです。
  お袋とその青年との間にどのような会話が
  交わされたのか知りませんが、
  XS750_Specialは
  バイク好きのその青年に引き取られていったわけです。

持ち主の私に何の断りもなく、
しかも無償で処分したお袋のことを
初めの頃は恨めしく思っていました。
けれども後になってからは、
埃を被って屋根の下に放置されたままでいるよりは、
大切にしてくれる人を乗せて走り回れるほうが
XS750_Specialにとっては幸せなことだったろうと
考えるようになりました。


 販売終了から30年以上も過ぎた今では、
 Webサイトの中古車情報を見ても
 YAMAHA_XS750_Specialの出物は極めて少ないようです。

   郵便配達の青年に貰われていったあのバイクも
   今はもう存在していないことでしょう。

◇ 鶴屋饅頭

2016年06月02日 22時07分45秒 | 昔々の思い出
熊本唯一の百貨店である「鶴屋百貨店」さんが昨日(6月1日)、
全フロアでの営業を再開されました。

 明日が父の月命日なので、
 オフクロに菓子と花を頼まれました。
 「香梅」さんが休み(*)なので
 久しぶりに鶴屋百貨店へ菓子を買いに行きました。

  * : 地場最大手(?)の菓子司である「香梅」さんは
     震度7(激震)を記録した西原村に工場があります。
     その工場が震災を受けたため菓子が作れず、
     現在もほとんどの店舗が休店中です。
     有名な「陣太鼓」も食べることができません。

鶴屋の地階には熊本県外の菓子類も色々と置いてあります。
仏壇に供える菓子(滋賀の「冨来郁」さんの)を買ったあと、
「鶴屋饅頭」(**)を探しました。

  ** : 先日のOさんとの月例飲み会のとき
      何かの話しの中で聞いていました。
      あの昔懐かしい
      「鶴屋饅頭」(昔は「千両饅頭」といっていた(?))が
      今でも地階で売ってあることを。

ありました。
半世紀以上の昔、
やっとガラスの仕切り越し覗けるほどの背丈だったあの頃
飽きずに見ていたあの製造機械が・・・

  ※中央の円盤部分は緑矢印方向にユックリ回っています。
  ※赤色矢印は鶴屋マークの焼き印です。
  ※『写真を撮らせてください』とお願いしたら、
   折詰めされていた女性がカメラ視界から隠れました。

ステンレス部分がピカピカきれいです。
おぼろな記憶では、
昔は使い込まれたこげ茶色っぽい部分があったと思います。
  半世紀以上の間に機械が入れ替わったのでしょう。

  半世紀前の熊本市内には三つの百貨店があり、
  それぞれのブランドの饅頭がありました。

   「大洋饅頭」、「銀丁饅頭」、「鶴屋饅頭」

銀丁デパートがなくなり、大洋デパートが燃え、
今買えるのはこれだけになりました。


10個入り(税込432円)を買いました。
(バラ売りはしていないのかも)


一個40円、
そして一口でも食べられそうな小さい饅頭ですが、
この饅頭の食べ方には "厳然たる作法" があります。

せっかくですから、
その作法を伝授いたします。


先ず、感謝の気持ちをこめた眼差しで饅頭を見つめます。
  物欲しそうな目つきをしてはイケマセン。
  ヨダレを垂らしてはイケマセン。


円柱の側面部分の皮を指で丁寧に剥がしていきます。
  下品に見られるので口を使ってはイケマセン。
  中の白餡が崩れないように気をつけます。



剥がした側面の皮を食べます。
  剥がすときにこぼれてしまった餡は
  このとき一緒に食べても構いません。

次に、焼き印(鶴屋マーク)が押してある上側の皮を
剥がして食べます。
同じように、下側の皮を剥がして食べます。

  ※上の画像では側面の皮や上下の皮が写っていますが、
    実際にはこの時点で中の白餡だけが残っています。

最後に、
残った白餡を丸めて、それをかじります。
舌の上でホロホロと餡を崩しながら味わいます。
  清潔であれば、手のひらを使って丸めても構いません。
  あまりにチビチビかじると貧相に見られるのでイケマセン。

以上です。
この作法を覚えるのは簡単だと思います。
半世紀を過ぎた今も私は忘れていませんでした。
今日も作法どおりに食べました。

なお、この作法は私がまだ寝小便小僧だった4~6歳頃に、
私が制定したものです。

ですから
他の方がこの作法に従わなければならない謂れはありません。
でも、もし「鶴屋饅頭」を食べる機会がありましたら
一度試してみて下さい。
ただし、周りの人から笑われても私のせいにはしないでください。

◇ 50年近く前に女性に編んでもらったセーター

2016年03月26日 22時23分42秒 | 昔々の思い出
昨日の拙ブログ記事で
50年近く前に私が作った花器のことを書いていましたが、
今日は50年近く前に編んでもらったセーターについてです。



   このセーターは私が中学生か高校生のとき、
   ある女性が手編みで作ってくれたものです。

   残念ながら、その女性とは私の姉のことです。
   純毛なので着心地は良いのですが、
   太陽の下で見ると結構明るい色になり、
   紺の無地などが好みだった昭和顔の私は
   着ることがほとんどなかったものです。


図書館へ本を返しにいこうと思い、
外に着ていくものを選ぼうとしていたとき目につきました。

このセーターのことは存在すらも忘れていました。

このセーターを最後に着たのは
カヅちゃんと結婚する前の独身時代ですから、
もう30年以上も昔のことになります。
処分した憶えはなかったので
タンスの奥か衣装ケースの底にでも収納されていたはずです。
このセーターがなぜ椅子の上に出ていたのかわかりません。
おそらく、カヅちゃんが探し物をしたときに引っ張り出して、
そのままにしたものと思われます。

長い間 陽の目を見なかったセーターを不憫に思い、
これを着ていくことにしました。
頭からかぶりました。
若い頃はもう少しユッタリした着心地だった気がしますが、
丁度ピッタリになっていました。
若い頃よりも少し太ったからか、はたまた毛糸が縮んだのか ・・・

自転車に乗りながら思いました。
もっと愛用してあげていればよかったと ・・・


  二日続けて、すっかり忘れていた昔の物が出てきました。
  不思議です。


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録画していた「エンド・オブ・ザ・ワールド」を観ました。
前にも一度、放送中のものを観たことがあります。
タイトルから想像するようなスペクタクルCG映像の場面はありません。

  人類が近い将来に滅亡するとなったとき、人は何をしようとするのか?
    映画の中では暴徒が暴れまわる場面も出てきますが、
    世界の終りが近づいたとき、それがわかったとき、
    お調子者や悪事を働いていた人も、
    意外と冷静で敬虔な人に変わっていったりするのではないでしょうか?

 原題は「Seeking a Friend for the End of the World」です。

    一緒にその時を迎えるために寄り添える人を捜す
      ということでしょうか?


  人類が近い将来に滅亡するとなったとき、人は何をしようとするのか?
   ≒ 自分が近い将来死ぬとわかったとき、人は何をしたいと思うのか?

◇ 我が家にあった有形文化財級(?)の花器

2016年03月25日 23時19分54秒 | 昔々の思い出
居間にある電話台(としては使っていない)の上に
花を生けた小さい花瓶がありました。
見覚えがある焼き物ですが、
花器として使われているのを見るのは数十年ぶりです。


カーネーションとガーベラと野菊、
冬が終わったことを感じさせる色合いの花が挿してありました。

  ※明るいところに移して撮ったものです。
  ※花瓶の内側にビニールの袋が入れてあります。
    釉薬のノリが悪かったからか、
    水が漏れるようになっているとのことです。


"有形文化財級" というのは、もちろん冗談ですが、
私にとっては珍重品であることに変わりありません

この花瓶は今から約50年前、
私が中学3年生のときに
学校の授業(美術(?))で作ったものです。
轆轤(ロクロ)などありませんでしたから、
教材用の粘土を、手捻りで形づくったものです。

花瓶の底に彫ってある文字から、
"中学3年" のときのものであることが判ります。

    
"3524 ユハラ" とありますが、
"3524" が、
「3年5組 出席番号24」であることを表しています。

 ※自分の出席番号24の他にもう一つ、
   この歳になっても忘れていない出席番号があります。
   36番です。
   "24" と "36" の公約数が6個もあるという、
   ただそれだけのことでも、当時は嬉しかったものです。
    36番が誰であったかを憶えているのは私だけでしょう。
    何故36番を憶えているのか ・・・
    それは、10代の頃によくある「まだあげ初めし前髪の ・・・ 」
    のせいであったことは言わずもがなです。
     残念ながら、私の場合は
     詩の第3連にある
     「たのしき恋の盃を君が情に酌みしかな ・・・」
          という風にはなってくれませんでしたが ・・・


この花瓶は、どこに保管してあったのでしょうか。
半世紀近い年月の間、割れもせず、捨てられもせず、
よく残っていたものです。

中学を卒業した後、
この花瓶に気を留めたということはありません。
ずっと実家にあったはずです。
90歳のお袋のほうに、
何か思い入れでもあったのでしょうか。

  親バカの目で見たとしても
   この花器を「傑作」と見誤ることは無かったはずですが。


--- 家庭菜園にて(22日に撮ったもの) ---


辛夷(コブシ)


 若い頃は
  一輪でも絢爛にみえる「ハクモクレン」が好きでしたが、
 熟年になってからは
  軽やかに楽しそうに咲く「コブシ」のほうが好きになりました。


   ※コブシは花弁が6枚で完全に開き、
     ハクモクレンは9枚で半開きに咲きます。

蕗の薹(フキノトウ)

  ※薹がたってしまって、正に花が開こうとするところ。

白花の椿ですが、品種は不明です。


ガーデンレタス(という名で種を売ってあったもの)

  ※せっかく茂ってくれていますが、
    ほとんど収穫していません。
    明日天気が良かったら、採りに行くつもりです。