「グレイ、いるのはわかってるんだよ。出ておいで」
と、小さな風が吹きこんできた。カンテラの火が、じゅわっといって消えた。
オモラは暗闇の中、笑っていた。
「そんなに殺気だってるんじゃないよ、グレイ。おとなしくいうことを聞いて、さぁ、とにかく腹ごしらえをするんだ――」
言い終わらないうちから、オモラのそばでくちゃくちゃと、食べ物を口いっぱい頬ばる音が聞こえてきた。
「はっは、そんなに腹が減ってたのかい。かわいそうに、何日も山をさまよってりゃ、あたりまえだわね」
オモラの目が、次第に暗闇に慣れてきた。開け放たれた扉から伸びる星明かりが、テーブルの横でうずくまる、人の背中を浮かび上がらせた。
「グレイ、まさかあんたが、狼男だったなんて、信じられなかったよ」と、オモラは立ったまま、優しい眼差しで、獣のような人影に語りかけた。
「……いや、あたしは、あんたをはじめて町で見た時、もう知っていたのさ。狼男だってね」
びくん、と影の動きが止まった。
「だってね、グレイ、おまえの目は、あの人と同じ輝きをしていたんだよ。好きだったあの人とね――。
あたしがまだ、あんたぐらいの歳だったよ。大道芸人がやって来たんだ、町にね。祭りの日だったよ。きれいな、月が出ていた。
父は、やっぱりあたしと同じ、山で仕事をしていた。今住んでいる家のあったところに、大きなお屋敷があってね、たくさんの人が働いていたんだよ。
想像もできないだろうがね――」と、オモラは苦笑しながら、言葉を途切った。
「人を喜ばせることが大好きな父は、その時もみんなをあっと言わせてやろうと、町にやって来た大道芸人達を、屋敷に呼び集めたんだ。
それがね、すべての始まりだったのさ。
あたしは、一人の吟遊詩人と出会ったんだ。歳はあたしより、ずっと上に見えた。粗末な服を身につけていて、どこか汗臭くて、集まった人達は口をきこうともしなかったけど、その歌は聞いている人を夢うつつにさせるほど、きれいだった。
歌っているその人の目に、あたしは吸いこまれてしまいそうだった。まるで、深い深い湖のようだったよ。透きとおっていて、底の底までも見透せそうだった。
見せ物もすべて終わって、見物に集まった人達もみんなそれぞれに帰って行った。大道芸人達は、全員お屋敷に泊まったのさ。
あたしは、ベッドの中で、まだあの詩人の目が頭から離れなくて、眠れなかった。そして、こっそりと、眠っている詩人の所へ、気づかれないように行こうと思ったんだ。なぜか、もう一度あたしのために、歌ってくれるんじゃないか、そんな錯覚を覚えていたんだね」