トン、トン、トン……
と、ドアを叩く音がした。アリエナは返事をした。
「アリエナ、話があるんだ」と、ケントは疲れ切った顔をして中をうかがうと、ゆっくりと入ってきた。
「このままでは、わたし達は飢え死にしてしまうだろう」と、ケントはベッドに腰をかけると言った。「だから考えたんだ。ロンドンへ行こうって。まだお金なら、たくさんとはいかないが蓄えがある。それを使って、ロンドンの親戚を頼っていくつもりだ」
「いつ行くの――」と、アリエナは、うつろな目をして訊いた。
「すまないが」と、ケントは目を伏せて言った。「先方に、わたし達が事件に巻きこまれたと知られては、後々面倒なことになる。ここはひとまず、わたしとエレナが訪ねていこうと思う。アリエナは、その後からゆっくりと来ればいい。ちゃんと、それまで暮らしていけるだけの物は残しておく」
アリエナは黙っていた。きっと、わたしは置いて行かれるんだわ。という予感めいたものがあった。
「いいだろう、アリエナ。このままでは、みんな死んでしまうんだ――」と、ケントは、アリエナにわかってくれ、と頭を下げた。
アリエナは「いいわ」と、そうひと言だけつぶやいた。
ケントとエレナは、その夜、大きな荷物を手に出て行った。ケントは出がけに、「元気でいろよ」そう言って、アリエナの手に数枚の紙幣を握らせた。それは、ほんの気持ち程度の額だった。アリエナは、閉められたドアに向かって、紙くずを丸めるようにくしゃくしゃにすると、ぽんと壁にぶっつけた。
アリエナは、ひとりぼっちになった。
オモラは、ケント達がロンドンへ馬車を走らせた夜、一人カンテラを手に、森の奥へと分け入っていた。行き先は、オモラだけが知っている、まだ左腕があった頃の、楽しい思い出が残る場所だった。
やがて、太い針葉樹の下を抜け、下草をぱきぱきと踏みながら進むその先に、淡いカンテラの光で照らされた、丸太組の小屋が現れた。オモラは、額の汗を袖口で拭いながら、ゆっくりと荒い息を静めた。
「変わってないね――」と、オモラは言うと、カンテラを高く掲げ、小屋をはっきりと照らし出した。
「グレイ、おまえ、いるんだろう――出ておいで。オモラだよ、なにもしやしないよ」
しんと静まり返った小屋の扉が、ギィーという音を立て、内側から開き始めた。小屋の中は、いくらカンテラを向けても、うかがうことはできなかった。
オモラは小屋に近づくと、恐る恐る中に入っていった。
「グレイ――いるのかい、グレイ――」
オモラは、何度もグレイの名を呼びながら、小屋の中を奥へと入っていった。カンテラに照らされた中には、誰もいなかった。長年うち捨てられていたためか、床にも、備えつけのテーブルにも、その他の家具にも、薄らとほこりが積もっていた。
カンテラをテーブルの上に置き、オモラは持ってきた食事を、その横に次々と広げていった。