「ラスト・ハーレム」
オスマントルコを扱った映画をいろいろ探すのだが、なかなか良いものがない。
やっとあった「ラスト・ハーレム」(1999年伊仏トルコ合作)・・・
男性顧客を呼び込もうと苦心したタイトルなのだろうが、あまり効果は無かったようだ。
内容もさることながら、画面が終始暗く、字幕が少なく筋書きも分かりにくい。
こういう映画はよほどその作品の背景となる歴史や文化に精通した人の監修を仰ぎ、
きっちりした解説・字幕を入れないと、殆ど時間つぶしのB級映画に終わってしまう。
ともあれ、ストーリーは・・・近代の歴史を学ぶと必ず出てくる「瀕死のトルコ」の時代、
第一次大戦でドイツに付きあわされて敗戦、内外で問題多発、まさに崩壊寸前のオスマントルコ。
イタリア生まれの少女「サフィエ」がスルタンのハーレムに売り飛ばされる。
美貌・勝気な彼女はライバルを蹴落として、スルタンの寵姫となって権力を握ろうとあの手この手。
ハーレムに仕える黒人奴隷で宦官のナディールは、彼女と組んで宮廷の権力を掌握しようと・・・。
しかし、アタチェルクが指導する「トルコ革命」はその最終局面に入り、
1922年11月スルタンメフメト6世は退位させられ、マルタ島へ亡命する・・・。
映画でこの辺の説明はないが・・・ハーレム解散、奴隷は失業ということでなんとなく分かる。
映画に出てくるこの時期のハーレムの様子、出来事は厳密にはフィクションだと思うが、
トルコ史上、このサフィエのような「女奴隷の宮廷入り」モデルはたくさんあるようだ。
一説ではそれを特定して、サフィエは16世紀中後半に実在したムラト3世の妃で、
メフメト3世の母となるヴェネツィア生まれの女性「サフィエ・スルタン」ではと言われている。
サーフィエ・スルタンは、1550年にヴェネツィア共和国の貴族バッフォ家の娘として生まれたが、
コルフ島の総督だった父に同行して、島に赴く途中、バルバリア海賊に襲われ、
イスタンブールに送られ、奴隷として・・・オスマン帝国のハレムに入れられた。
そこでサフィエはセリム2世の息子、ムラト皇子の寵姫となり、メフメト皇子を生んだ。
1574年に夫のムラト皇子が、ムラト3世として即位、権勢をふるい始める。
彼女は自分がヴェネツィア人であることを忘れず、ヴェネツィア大使と秘密裏に交渉を持っていた。
この彼女のスパイ行為により、ムラト3世や大宰相ソコルル・メフメト・パシャの外交・思惑は、
ヴェネツィア側に筒抜けで、
1571年のレパント海戦に伴う「ヴェネツィア・オスマン間の条約」は、
よりヴェネツィア側に有利に改定される事になったという。
1595年、ムラト3世の死去に伴いサーフィエの息子のメフメト皇子が、メフメト3世として即位。
サーフィエはついに母后となるが、即位した皇帝の兄弟達は全て抹殺するという「帝国の掟」により、
彼女が生んだ多くの子供たちも死刑に処せられたという。
ともあれ、「ラスト・ハーレム」あまり分かりずらくて、ついつい歴史を溯って調べる破目になってしまった。
オスマントルコを扱った映画をいろいろ探すのだが、なかなか良いものがない。
やっとあった「ラスト・ハーレム」(1999年伊仏トルコ合作)・・・
男性顧客を呼び込もうと苦心したタイトルなのだろうが、あまり効果は無かったようだ。
内容もさることながら、画面が終始暗く、字幕が少なく筋書きも分かりにくい。
こういう映画はよほどその作品の背景となる歴史や文化に精通した人の監修を仰ぎ、
きっちりした解説・字幕を入れないと、殆ど時間つぶしのB級映画に終わってしまう。
ともあれ、ストーリーは・・・近代の歴史を学ぶと必ず出てくる「瀕死のトルコ」の時代、
第一次大戦でドイツに付きあわされて敗戦、内外で問題多発、まさに崩壊寸前のオスマントルコ。
イタリア生まれの少女「サフィエ」がスルタンのハーレムに売り飛ばされる。
美貌・勝気な彼女はライバルを蹴落として、スルタンの寵姫となって権力を握ろうとあの手この手。
ハーレムに仕える黒人奴隷で宦官のナディールは、彼女と組んで宮廷の権力を掌握しようと・・・。
しかし、アタチェルクが指導する「トルコ革命」はその最終局面に入り、
1922年11月スルタンメフメト6世は退位させられ、マルタ島へ亡命する・・・。
映画でこの辺の説明はないが・・・ハーレム解散、奴隷は失業ということでなんとなく分かる。
映画に出てくるこの時期のハーレムの様子、出来事は厳密にはフィクションだと思うが、
トルコ史上、このサフィエのような「女奴隷の宮廷入り」モデルはたくさんあるようだ。
一説ではそれを特定して、サフィエは16世紀中後半に実在したムラト3世の妃で、
メフメト3世の母となるヴェネツィア生まれの女性「サフィエ・スルタン」ではと言われている。
サーフィエ・スルタンは、1550年にヴェネツィア共和国の貴族バッフォ家の娘として生まれたが、
コルフ島の総督だった父に同行して、島に赴く途中、バルバリア海賊に襲われ、
イスタンブールに送られ、奴隷として・・・オスマン帝国のハレムに入れられた。
そこでサフィエはセリム2世の息子、ムラト皇子の寵姫となり、メフメト皇子を生んだ。
1574年に夫のムラト皇子が、ムラト3世として即位、権勢をふるい始める。
彼女は自分がヴェネツィア人であることを忘れず、ヴェネツィア大使と秘密裏に交渉を持っていた。
この彼女のスパイ行為により、ムラト3世や大宰相ソコルル・メフメト・パシャの外交・思惑は、
ヴェネツィア側に筒抜けで、
1571年のレパント海戦に伴う「ヴェネツィア・オスマン間の条約」は、
よりヴェネツィア側に有利に改定される事になったという。
1595年、ムラト3世の死去に伴いサーフィエの息子のメフメト皇子が、メフメト3世として即位。
サーフィエはついに母后となるが、即位した皇帝の兄弟達は全て抹殺するという「帝国の掟」により、
彼女が生んだ多くの子供たちも死刑に処せられたという。
ともあれ、「ラスト・ハーレム」あまり分かりずらくて、ついつい歴史を溯って調べる破目になってしまった。
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