1、ソ連の存続期間は74年
現在のロシアの前にあったあの大国の正式国名は「ロシア・ソヴィエト社会主義共和国連邦」。これを通常「ソ連」といい続けてきたが、改めて考えると「ソ連」という国名は何かおかしい。
なぜなら「ソヴィエト」はもともとは会議の意味であるが、ロシア革命時に「労働者兵士の協議会」を呼ぶ言葉となり、共産主義的意味が付け加えられる・・・日本流に言えば左翼用語。
「ソ連=労兵協議会連邦」では固有の民族や国家の名前が現れない。民族の歴史や伝統を一切打破し、ネイションステイツではなく、共産主義インターナショナルを目指すのだといわれれば、それぞまさしく国際共産主義の真骨頂ということで・・・頭で理解するしかない。
それにしてもこの「国家」は1917年から1991年までの74年の歴史で終わった。人類の自然な営みをベースとする普通の国と言うより、マルクス・レーニンの思考で出来上がった国であるが、ともかく一時アメリカに対峙する大国として一世を風靡した。従って歴史教科書でもロシア革命は丁寧に説明する。しかし「ソ連」のことは今後の歴史にどれだけ残っていくのであろうか。
2、ロシア革命を見る映画
ロシア革命映画と言えばまず、セルゲイ・エンゼルシュテイン監督のソ連政府監督下のプロパガンダ映画。有名な戦艦ポチョムキンは映画史を変えたと言われる斬新な映像でいっぱい。同監督の主な作品は以下の通り。
第一次革命10周年の1925年映画「戦艦ポチョムキン」「ストライキ」
11月革命10周年の1928年には「10月」
同20周年1938年「アレキサンドル・ネフスキー」その後「イワン雷帝」「メキシコ万歳」
しかしドラマとして鑑賞に堪えるのはやはりアメリカ映画。アカデミー賞の脚本、撮影、作曲賞などをとった「ドクトル・ジパゴ」、美術、衣装賞をとった「ニコライとアレクサンドラ」など。エンゼルシュテインが強烈過ぎるので、叙情的過ぎるように見えるが・・映画産業としては女性客の涙を絞る必要もあるわけで・・・落ち着いて広い寒いロシアの革命を振り返ろう。
尚、「ドクトルジパゴ」の原作者パステルナークは1958年、この小説でノーベル文学賞受賞が決定する。しかしソ連国内ではこの小説は反共産主義的として出版されず、ノーベル賞の受賞にも圧力がかかり、結局パステルナークは受賞しなかった。映画のロケは主にフィンランドで行われたという。
3、ロシア革命小史
ロシア革命は「共産主義革命」と言われる分その思想性を理解せねばならず、やや難しく思えるが、少し長い眼でみて、4段階あるいは5段階ぐらいに分けて整理すれば分かり易い。ここでは時系列的にキーワードだけ羅列する。
① 1905年、第一次革命
1月、日露戦争不利な進展中、「血の日曜日事件」勃発、ソヴィエト発生
6月、戦艦ポチョムキンの反乱、10月、ゼネスト、国家機能マヒ
10月、勅令で立憲政体、国会開設の約束、首相ストルイピン
② 1917年 三月革命
3月8日、ペトログラードで大規模ストライキ、各地にソヴィエト成立
3月15日、国会がニコライ皇帝を退位させ臨時政府発足、戦争継続
帝政崩壊、ソヴィエトと国会臨時委員会の間で「二重権力」
③ 1917年 十一月革命
4月、レーニン帰国、「戦争の即時停止」と「すべての権力をソヴィエトへ」
7月、武装蜂起失敗、レーニンフィンランドへ亡命、ケレンスキー内閣
9月、コルニコフの反乱、ボリシェヴィキの協力により鎮圧
11月7日、レーニン再帰国し武装蜂起、ケレンスキー臨時政府を打倒
●全ロシア・ソヴィエト大会で新政府樹立(「人民委員会議長レーニン」外務 委員会トロッキー、民族委員会スターリン)
●「土地に関する布告」「平和に関する布告」(無併合、無賠償の和平提案)
●翌年3月、ブレスト・リトフスク条約でドイツと単独講和
④ プロレタリア独裁の確立
1918年1月、ウイルソン大統領の「14か条、対独講和条件」
1918年1月、ソ連憲法制定議会の普通選挙・・・ボリシェヴィキ勝利できず
レーニン武力行使、「プロレタリア独裁」ボリシェヴィキ以外の政党禁止
1919年3月、コミンテルン結成
反革命勢力との内戦(共産党の赤軍、帝政ロシア軍の白軍)
外債支払い停止に怒った外国との対ソ干渉戦争、戦時共産主義政策
⑤ ソヴィエト連邦の成立
1921年 クロンシュタットの水兵の反乱、新経済政策(ネップ)
ロシアのほかに白ロシア、ウクライナ、カフカスにもソヴィエト共和国
1922年12月「ソヴィエト社会主義共和国連邦」成立
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