映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

スペイン史の一こま「トロヴァトーレ」

2007-09-06 17:45:36 | 舞台はスペイン・ポルトガル
ヴェルディのオペラ「トロヴァトーレ」のテーマは復讐。身勝手な領主のもとで虐げられたジプシー女の思わぬ復讐・・・それはわが子(?)を火刑に処すこと。
このオペラは火に関する歌や科白が多く、舞台も火の赤が目立つ。さすがキリスト教の異端尋問で「火あぶりの刑」を多用したスペインのものらしい。

火には何か人間を興奮させるものがあるのだろう。ルキノ・ヴィスコンティ監督の歴史三部作の一つ、有名な「夏の嵐」(1954年)の冒頭シーンは、1866年ヴェネツィアのフェニーチェ劇場。まさにこのオペラの「見よ、恐ろしい炎を」が演じられているが・・・これがオーストリア(ハプスブルグ)からヴェネツィアを取り返そうとするイタリア人の独立、闘争心に火をつける。

1、このオペラのタイトル

このオペラのタイトルと中身の話はちょっと合わないような感じがするが、何故だろうか。トロヴァトーレは日本語では通常「吟遊詩人」と訳されるから、優雅、高尚なイメージの騎士や詩人が登場するのかと思ってしまうのだが・・・主役の一人マンリーコは吟遊詩人などというより、下級貴族出の傭兵隊長のような武人だ。

しかしこのオペラの原作本は「イル・トロヴァートーレ」というぐらいだから、やはりマンリーコはトロヴァトーレに違いないのだが、この言葉の内容は時代によってあるいは国によって大分違うのではなかろうか。

トロヴァトーレは発生史的には日本の琵琶法師のごとく歴史英雄伝を(フランスでは「ローランの歌」ドイツでは「ニーベルンゲンの歌」などを)、調子をつけて解説して巡った下級貴族や傭兵たち。そこへキリスト教の伝道師的役割が加わり、タンホイザーのごとく、騎士の道徳や愛の姿を自作自演しながら各地の宮廷や領主をめぐり歩く。これを日本語では「吟遊詩人」と訳したのだが、あまり良い訳ではない。
スペインでは英雄詩といえば「エル・シド」。カスティーリアの下級貴族であるが当時の王アルフォンソ6世とそりが合わず、追放された後は各地で武勇をかわれ、レコンキスタにも奮闘する、バレンシアの領主にもなる。これがスペイン一の英雄詩になるのだが、スペインのトロヴァトーレの主要出し物はエル・シドであったであろう。しかしエル・シドは有体に言えば傭兵隊長、イスラム側にも理解があったとされ、キリスト教の雰囲気は後からレッテルを貼ったような感じがする。要は弱きを助け強気を挫く、日本的にいえば渡世人、股旅、義賊義人といった言葉の方がぴったりする。おそらくこれに相当するスペイン語、ヨーロッパ語でいいものがないのであろう。トロヴァトーレという言葉で一括されるしかないのであろう。

こんな詮索はどうでもいいことなのか、オペラの解説本では「15世紀初めスペインに吟遊詩人は存在しない」と解説したものすらある。



2、このオペラの歴史背景

スペインの歴史はイベリア半島からイスラム勢力を追出すいわゆる「レコンキスタ」と国家統一が同時並行的に進んでいく。国内的には先ず「カスティーリア」と「アラゴン」の二大勢力に集約されていくが、このオペラは15世紀初、アラゴンの後継者争いとそれに絡む貴族の戦いを背景にしている。

イベリア半島の北東部アラゴン連合王国は14世紀初から急速に領土を膨張させるが、15世紀初に王位継承者が絶え後継を巡って、隣国のカスティーリアが介入してくる。
アラゴン固執派はアラゴンの英雄ペドロ王の孫でウルヘル伯を担ぐが、
カスティーリアは、同国王エンリケ3世の弟フェルナンドをアラゴンの王位につけようとする。(フェルナンドの母がアラゴンの先王マルティン1世の弟だったことを利用、尚この先王のお后はオペラに出てくるルーナ伯爵家の出身という)
両派の争いは一時内乱の様相も見せるが、結局1412年の「カスペ会議」でカスティーリア側が勝ち、スペインの「トラスタマラ家」はカスティーリアとアラゴン双方を支配下におく。これがもう少し後の1469年、カスティーリアのイサベルとアラゴンのフェルナンド2世との結婚そして両王国の併合へと結びついてゆく。

このオペラはこの政治争乱中、アラゴンのルーナ伯爵家はカスティリア側につき、マンリーコはウルゲル伯の傭兵として活躍しているという設定で組みあがっている。スペインやイタリアの人はそのあたりの背景が暗黙の内に理解できるのだろうが、我々がそれを読み取るのは殆んど不可能だ。

このオペラを巡ってはもう一つ、「ジプシー」という存在を勉強する必要がありそうだ。また別の機会に。



  

 
 

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