クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

交通事故で脊髄損傷で四肢麻痺になるとは・・01

2012-08-29 10:14:41 | 脊髄損傷
交通事故は2006年7月7日に通勤途中でした
脊椎損傷C3・C4損傷という場合はほぼ病院につく前に息をひきとっている場合が多いと
担当の医者がある程度元気になったわたしに不審そうな顔して仰っていました

運がよかったのは事故直後近くに医者がいたということと
救急車が近くにいて適切な処置をされたかららしい
ただし事故後しばらくは私が痛がらないようにか
薬漬けにされ親族の面会時間以外は眠らされていました

そんなときには自分が四肢麻痺でこれから大変だということに
全く気がついていないようでした
心のなかでは
今は動けないようだが
私は必ずよくなる

そんな意味不明な根拠の無い自信があったのを覚えていますし
今現在でも完治して地中海沿岸ツーリングをするのが目標です

■わたしが交通事故で脊椎損傷になったころ

全く動かないからだ
ハローベストをつけるときは麻酔が切れ始めた頃でしょうか
頭皮や頭蓋骨にハローベストを固定するネジがキリキリと刺さっていました

そのご?
呼吸が弱かったのか
喉に穴を開けられて人工呼吸器が装着されました
その後呼吸器のポンプの音が部屋にこだます日々が続きました
そんなとき
一ヶ月程度で20キロほど痩せたでしょうか
一般病棟に移る頃はボロ雑巾のようにやつれたわたしが存在していました

■移動はベッドに乗ったまま天井を見つめつつ

看護士たちはものすごい早さでベッドを移動していたのを覚えています
そんな頃の私はどうにか生きているだけの状態だったようです
そんな私を励ましてくれたのがnekoさんです

【病院時代の弱気な私】

四肢麻痺とはどういうことなのか
わたしは完治できるのか
完治するためにはどうすれば良いのか

そんな情報は四肢麻痺の私には情報収集方法もなく
ひどい痰と闘い
呼吸もできず
自分の身体はコンクリートに漬け込まれたように熱いのか重いのか
そんなこともわからない不思議な自分の体調に悩まされ続けていたし
生きていること自体苦痛に思えるほど体調は悪いというべきだったでしょう

能登病院の看護士には膀胱瀘を盛んに勧められたりしたのは
私以外は私が回復するわけがないと思って接しているのがよくわかり
かなり悔しい思いをしていたのは覚えています

担当の先生は
「99%一生寝たきりでしょう、よくなっても寝ながらパソコンが打てるくらいには・・」
そんな話を1つ上の兄が私に宣告してきたのも
かなりイラッときたのを覚えています

【弱気の脊椎損傷で四肢麻痺】

そんな人でなくとも
四肢麻痺になれば死を選択するのはそれほど間違えでもないでしょうし
事故で四肢麻痺になった人が死にたいと発言しても
批判する気は毛頭ございません

私の場合
交通事故の後片付けをしている間に生きる目標ができ
四肢麻痺なりに体力もついてきたりし
四肢麻痺なりに生活能力があることに気がついたので

日々の体調は決して楽ではありませんが
生きる目標がしっかりあるので
日々の細かいことには負けていられないという具あいで生きているというのが
本音だとおもいます

yozame
コメント (13)
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