NHKの「あさイチ」で、自殺の特集をしていました。紹介された最初の1例を見て、非常に苦しく感じました。20代後半の女性が、離婚後に鬱となり、自殺をされたのです。可哀想にと思いました。最大の暴力、「殺意」を自分に向けるぐらいなら、(母)親に助けてと言って欲しかった。悪態をついて欲しかった。何故愛してくれないんだと、殴り掛かって欲しかった。でも実は、その女性は17歳の時に、自殺未遂をしています。その時に彼女は、はっきりと母親に声を上げているのです。助けてと。愛して欲しい。抱きしめて欲しいと。
その時母親は、「そっとしておいた方が良いと」判断されたそうです。私が子供なら、無視され見捨てられたと感じたでしょう。自殺未遂を起こしても、まだ分かってもらえないんだと、絶望的な思いに落ち込んだと思います。これだけSOSを出しても、受け取ってはもらえないんだと。(子どもを愛せない、可愛いと思えない親は沢山おられますので、その方たちは別にして)何故、抱きしめてあげなかったんでしょうか?何故、思い悩み、苦しんでいたんだねと声を掛けてあげなかったんでしょうか?いえ、言葉も要らないのです。そばにいて、寄り添ってさえいれば、子どもはその親の愛を感じるのです。そうできていれば、彼女が自殺することはなかったと思うのです。
別れた女性の夫は、ギャンブル・アディクトで借金を重ね、DVもしていました。離婚し、鬱病を発症し、いつ自殺してもおかしくない情況です。頻繁に子どもをつれて実家に帰っていたそうですが、女性は成人し、結婚もしているりっぱな大人とは言え、母親にとっては子どもです。(私はこの母親を責めるつもりで書いてはいません)その母親が、「そういうことになるとは思わなかった」という言葉を発しました。とてもショックでした。怒りすら感じました。私なら、(娘が)いつ自殺するかと心配で、生きた心地がしない情況です。この母親もまた、子どもを愛せない親だったのかもしれません。この母親もまた、その親から愛されたと感じることなく育ってきたのかもしれません。
その母親が最後に、「どうしようもなかった」を何度も繰り返し、自分に言い聞かせるようにコメントをしている様子を見て、彼女もまた、自殺こそしなかったけれど、病んでいたんだと感じました。彼女のパートナーである夫、自殺した女性の父親のことが一切出てこなかったことも、非常に気に掛かりました。彼女もやはり、愛情に欠ける情況の中にいたのかもしれません。私には、この母親と自殺した女性の対峙した姿が目に浮かんできます。愛したい、愛されたい、そんな思いの「ナイフ」を突き付けあっている姿です。親として精一杯やっているのに何故分かってくれないのか、親が子どもである私を何故愛してくれないのか、そんなお互いの愛憎という名の、愛し・愛されたいという思いの裏返しの「殺意」の遣り取りです。本当は愛し・愛されたいけれど、それが上手く出来ないのです。(私も含め)そんな親子関係は少なくないと思います。いじめや、体罰、DVも、このような関係の中に生まれてくるものだと思います。学校でも、職場でも、どこにでも蔓延している関係です。愛したいのに、愛されたいのに殺し合う、矛盾に満ちているようですが、私にはそう思えて仕方がないのです・・・
P.S. (男性も高いと思いますが)日本人女性の自殺は世界で3位だそうです。それだけ、(自分をも殺そうとする)「殺意」が満ちているということになります。日本の自殺者は、3万人を切ったとはいえ、依然世界有数の自殺大国です。未遂者はその10倍と言われていますから、30万人です。少なくとも、(愛憎の)ナイフを突き付けあっている親子が、今現実に30万人はいるということです。未遂こそしないけれども、そういう関係性に中にいる親子は、その10倍、いえ100倍はいるでしょう。3,000万人の親子が、やはりナイフを突き付けあっているのです。哀しい現実です。悲しい国です。マザーテレサは、この国を見て、「愛に飢餓している」国だと言われました。その通りだと思うのです・・・
P.S.2 読者の方々の中にも、鬱だったり、自殺企図があったり、或いは様々な(ご自身が振るったり、振るわれたり)DVに悩まれている方もおられるかもしれません。お辛いと思います。私には何もできませんが、その苦しさの一端は、同じ経験をし、同じ境遇にあるということで、理解が出来ます。どうすれば良いのか、という答えはありませんが、生きていて下さいとお願いするしかありません。貴方が読者でいてくれているお陰で、私が救われているからです。怒りや愚痴を聞いてくださっているお陰で、私が楽になっているからです。感謝の一言です。貴方は黙って、私の話を聞いて下さっているのです。まさに、私に「寄り添って」くれているのです。ありがとうございます。
P.S.3 布施に「無財の7施」というのがあるそうです。自分の席や順番を譲る布施(「しょう座施」)、困っている人を助ける布施(「身施」)、いつも笑顔を絶やさない布施(「和願施」)、温かい言葉を掛ける布施(「語施」)、優しいまなざしを向ける布施(「眼施」)、思いやりのこころをもつ布施(「心施」)などです。こうして、煩悩の元である「身、口、意」からも、良いものを生み出せるのだと思うと、自分自身を肯定的に感じることが出来ます。私も、今日から、一つでも実行してみたいと思います・・・
by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成25年2月27日)
その時母親は、「そっとしておいた方が良いと」判断されたそうです。私が子供なら、無視され見捨てられたと感じたでしょう。自殺未遂を起こしても、まだ分かってもらえないんだと、絶望的な思いに落ち込んだと思います。これだけSOSを出しても、受け取ってはもらえないんだと。(子どもを愛せない、可愛いと思えない親は沢山おられますので、その方たちは別にして)何故、抱きしめてあげなかったんでしょうか?何故、思い悩み、苦しんでいたんだねと声を掛けてあげなかったんでしょうか?いえ、言葉も要らないのです。そばにいて、寄り添ってさえいれば、子どもはその親の愛を感じるのです。そうできていれば、彼女が自殺することはなかったと思うのです。
別れた女性の夫は、ギャンブル・アディクトで借金を重ね、DVもしていました。離婚し、鬱病を発症し、いつ自殺してもおかしくない情況です。頻繁に子どもをつれて実家に帰っていたそうですが、女性は成人し、結婚もしているりっぱな大人とは言え、母親にとっては子どもです。(私はこの母親を責めるつもりで書いてはいません)その母親が、「そういうことになるとは思わなかった」という言葉を発しました。とてもショックでした。怒りすら感じました。私なら、(娘が)いつ自殺するかと心配で、生きた心地がしない情況です。この母親もまた、子どもを愛せない親だったのかもしれません。この母親もまた、その親から愛されたと感じることなく育ってきたのかもしれません。
その母親が最後に、「どうしようもなかった」を何度も繰り返し、自分に言い聞かせるようにコメントをしている様子を見て、彼女もまた、自殺こそしなかったけれど、病んでいたんだと感じました。彼女のパートナーである夫、自殺した女性の父親のことが一切出てこなかったことも、非常に気に掛かりました。彼女もやはり、愛情に欠ける情況の中にいたのかもしれません。私には、この母親と自殺した女性の対峙した姿が目に浮かんできます。愛したい、愛されたい、そんな思いの「ナイフ」を突き付けあっている姿です。親として精一杯やっているのに何故分かってくれないのか、親が子どもである私を何故愛してくれないのか、そんなお互いの愛憎という名の、愛し・愛されたいという思いの裏返しの「殺意」の遣り取りです。本当は愛し・愛されたいけれど、それが上手く出来ないのです。(私も含め)そんな親子関係は少なくないと思います。いじめや、体罰、DVも、このような関係の中に生まれてくるものだと思います。学校でも、職場でも、どこにでも蔓延している関係です。愛したいのに、愛されたいのに殺し合う、矛盾に満ちているようですが、私にはそう思えて仕方がないのです・・・
P.S. (男性も高いと思いますが)日本人女性の自殺は世界で3位だそうです。それだけ、(自分をも殺そうとする)「殺意」が満ちているということになります。日本の自殺者は、3万人を切ったとはいえ、依然世界有数の自殺大国です。未遂者はその10倍と言われていますから、30万人です。少なくとも、(愛憎の)ナイフを突き付けあっている親子が、今現実に30万人はいるということです。未遂こそしないけれども、そういう関係性に中にいる親子は、その10倍、いえ100倍はいるでしょう。3,000万人の親子が、やはりナイフを突き付けあっているのです。哀しい現実です。悲しい国です。マザーテレサは、この国を見て、「愛に飢餓している」国だと言われました。その通りだと思うのです・・・
P.S.2 読者の方々の中にも、鬱だったり、自殺企図があったり、或いは様々な(ご自身が振るったり、振るわれたり)DVに悩まれている方もおられるかもしれません。お辛いと思います。私には何もできませんが、その苦しさの一端は、同じ経験をし、同じ境遇にあるということで、理解が出来ます。どうすれば良いのか、という答えはありませんが、生きていて下さいとお願いするしかありません。貴方が読者でいてくれているお陰で、私が救われているからです。怒りや愚痴を聞いてくださっているお陰で、私が楽になっているからです。感謝の一言です。貴方は黙って、私の話を聞いて下さっているのです。まさに、私に「寄り添って」くれているのです。ありがとうございます。
P.S.3 布施に「無財の7施」というのがあるそうです。自分の席や順番を譲る布施(「しょう座施」)、困っている人を助ける布施(「身施」)、いつも笑顔を絶やさない布施(「和願施」)、温かい言葉を掛ける布施(「語施」)、優しいまなざしを向ける布施(「眼施」)、思いやりのこころをもつ布施(「心施」)などです。こうして、煩悩の元である「身、口、意」からも、良いものを生み出せるのだと思うと、自分自身を肯定的に感じることが出来ます。私も、今日から、一つでも実行してみたいと思います・・・
by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成25年2月27日)