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NPO法人GRAの活動や考えを伝えます

「 対等な支援 」と NPO・GRA

2022-03-15 21:42:24 | コラム・社会

■ 「してあげる」の言葉

教育系TV番組を観ていた時、「してあげる」という言葉への違和感を改めて強く感じさせられたのです。それは、参加している高校生達に対して、「白杖(はくじょう)を持った視覚障害の人が、横断歩道で立ち止まっていたらどうしますか?」と質問した後、答えた高校生と司会者の双方が「してあげる」の言葉を当たり前の様に使っていたからです。

人は誰でも、出来る事と出来ない事があり、一人だけでは出来ない事も多くあるのが当たり前です。だから、他の人が出来ない事があったり困っている事があれば、それを支援するのが当然の事で、全員が平等で対等であるからこそ社会が成り立っているのです。
だから、他の人を支援する場合は、支援を「する」や「しない」、「できない」の言葉はあっても、対等な人間関係を壊す力のある「してあげる」の言葉は使うべきではないのです。

 

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■  “対等” が社会の基本

仮に、支援を行なった時に「してあげた」という言葉を、例え口に出さなかったとしても、頭の中で使ってしまうと、相手に対して優越的な立場に立った意識と行動に繋がります。そして、行なった支援を常に良い行動として肯定してしまう事にも繋がります。
本来、支援の評価は支援を行なう側が行なうものではありませんし、自己満足の為でも道徳的教えの実践の場に留まっていても良くありません。支援に対する評価は、支援を受けた人が評価すべきものです。その評価を確認する事もなく、ただ「してあげた」という意識に留まれば、相手側の人は迷惑であったり、優越的意識に対して劣位的意識を持たされる危険性があるのです。
人は全て対等ですから、自身の意識だけを先行させてはいけないのです。
    
ただ、大変に残念な事ですが、“対等” な意識の欠如は社会に浸透していて、それが様々な場面で “優位的対応” と “劣位的従属” を生み出し、個人の人格や尊厳、生命を脅かしているのです。その一例が、正式判決前の容疑者への対応であったり、生活保護申請の窓口での対応、それに信号機の無い横断歩道などで、個人の権利を守っている法律が無視されている事などです。
   
一方、時には支援を受ける側にも問題がある場合があります。それは、支援を受けるのは当然の権利だと誤解してしまう事です。行政や一定の収益が得られる団体が行なう支援であれば、支援を受ける権利を主張したとしても大きな問題にはなりません。しかし、収益を目的としない個人や団体が行なう支援に対しでも、支援を受けるのは当然の権利と考えるのは完全に誤りですが、そういう意識を持つ人は決して少なくないのも現実です。これも、人はお互いに対等だという理解が欠けているのが原因です。
   
そんな対等意識が欠如した場面は社会の中で多くあります。一例を挙げれば、生活に困窮した人に対して支援を行なう仕事をしている役所があります。生活保護の申請窓口では、役所側の担当者は「してあげる」的な意識で対応を行ない、支援を受ける側は「してもらう」的な意識で申請を行なう為、対等な位置関係は崩れ、公務員は本来の責任を忘れた対応や態度に陥り易いのです。例え、どんな人であっても対等であるという意識が共有すれば、この社会はもっと良くなるでしょう。




■  NPO法人と GRA

ここで、僕が主宰する NPO法人GRAも、そんな社会の悪癖の影響に直面してきた事を紹介します。 GRAは、オートバイに乗るライダーを対象に、長年の活動で蓄積した知識や楽しさを広く社会へ伝える活動を、30年以上前から行なっています。そして、現在は、社会的な貢献活動が認められて NPO法人として認定され、収益を目的としない活動であるだけでなく、運営を担っている全員が無報酬で活動をしています。
ただし、オートバイを所有している人が対象ですから、当然、生活が困窮している人を対象にした活動ではありませんが、オートバイを操作する技術を高める事だけでなく、オートバイやライダーを取り巻く社会環境を良くする事を最終的な目標にしていて、ライダーと社会への「支援」を行なっている組織です。 
   
ところが、そんな収益を目的としない NPO活動であるにも関わらず、開催したイベントに参加する人の中には、GRAの目標や活動内容の案内は読まず、“お客様” 意識を持ったまま参加する人が少なくないのです。 更に、活動の主旨や目的を重ねて説明しても、自身の楽しみの追及だけに興味を持ち、企画運営側の意図を見て見ないふりをする人も少なくないのです。
  
収益目的で活動を行なっている団体やイベントであれば、参加者が “お客様” 意識に陥ってしまっても当然かも知れません。 しかし、社会には収益目的では運営されていない団体が数多くあるのが常識です。お金を払って参加すれば客様であり、講習を受ける場合であれば、教えてもらうのが当然の権利だという意識は常に正しいとは限りません。 人が “対等” に支え合うのが社会の原則を理解するならば、参加費というお金が介在しただけで、一方的に相手の考えを無視して優位的に振る舞う事は完全に誤りだと言えます。 
    
この様に、参加した人に「人は対等」という意識が欠けたままでは、「支援」活動を壊す原因に繋がるだけでなく、講習・支援の成果で仮にオートバイの運転が上達したとしても、社会の中で誇れるライダーとは言えず、ライダーを含めた社会環境を良くする人にはならないと私達は信じているので、長年に亘り試行錯誤を繰り返して、現在の様に『心』『技』『体』『バイク』の4つの要素全てをバランス良く整える大切さを強くアピールする活動をしています。
   
そして、GRAやNPO法人に限らず、人は誰もが対等に社会を「支援」する役割を担っている事を自覚し、一人ひとりが自ら NPO的活動を行なえば、社会は更に良くなると信じています。 


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ライダー へ 届けます

2019-04-16 14:10:09 | コラム・社会
既に、様々なメディアで報道され、ご存知の方も多いと思いますが、昨日(4/15)夜、パトカーに追跡されていた 少年の運転するオートバイと、交差点を右折してきた 別の少年が運転するオートバイとが衝突事故を起こしました。

この事故によって、追跡を受けていたオートバイ後席に乗っていた少女(18歳/大学生)が残念な事に死亡致しました。


この様な事故が発生する度、警察の取り締まり方法に対して批難する声が大きく挙がります。特に、死亡した少女が大学生だったという事もあって、「女子大学生」と記してセンセーショナルな話題にもなっています。

が、私達ライダーが注意すべきは、そういう声は 決して 全ライダーの権利を擁護するものではないという事です。
それどころか、ルールやマナー、モラルを守り、オートバイをいつまでも楽しもうと努力を続けている多くのライダーの権利を傷つけ、その存在を吹き飛ばしかねない圧力になるものです。


だから、警察に追跡されても逃げないように。
警察行政には、これまで以上に 毅然とした 公務執行を望みます。


******


最後になりますが、亡くなられた女性のご冥福をお祈りします。 また、怪我をした 二人の男性の一日も早い回復を祈ります。





モラル・コラム用草稿文 ・ 『 デートドライブ 黒尾峠 』 (後編)

2019-01-18 23:52:53 | コラム・社会
先日依頼をしました、新コラム『 マナーより、ルールより、モラルを 』(仮称)用の文章・「 デートドライブ、黒尾峠での出来事」の 「前編」に対してご意見や指摘を下さった方々へ、この場を借りてお礼の気持ちを伝えます。

ありがとうございました。
どうぞ、今後共によろしくお願いします。

今回は、「 後編 」の草稿文章を公開しますので、改めて誤字や脱字、校正などの指摘をお願いします。


* * * 以下、「 後編 」 * * *


『 心なき者 』

誰でも好奇心はある。
特に、非日常的な出来事に対しては異常な程に興味が湧くものだ。
ただ、非日常的な場面に面した時にこそ“人間性”が見えてくる。

野次馬達は遠巻きに眺め、パトカーが到着しても解決が進まない様子を見て、苛立ちまぎれに思っていた事を口に出したのだろう。
少なくとも10分以上見物していて、困っている様子を確認していたのなら、僕の代わりに怪我して意識の無い人を運んでよい筈だった。
でも、当時の僕は若く、そんな事を考える余裕は一切無かった。

「 トランクを壊すより、もっと良い方法があるはず 」

考え抜いて、リアウィンドウの下、リアシートの後のリアシャルフボードを室内側から壊して、そこからトランクの中へ手を伸ばしてキーを取り戻した。

病院までの道をパトカー先導で走り抜き、負傷した人と同じ血液型だったので献血を申し出た彼女を自宅まで送り届け、僕も自宅に帰り、長い午後の一日は終わった。




『 忘れられない、母の一言 』

翌日、車の掃除をした。
多少の血は覚悟していたけど、リアシートのマット上には厚さ 2㎝ほどの血溜まりが固まり、外して水洗いしたリアシートからは、さほど汚れていないように見えたが、いくら洗っても血が流れ出てきた。出血量は 2L以上あったのだろう。

そして、そんな様子を傍で観ていた母に、昨日あった事を一つひとつ説明していた時、急に母が吐き捨てるように言った言葉が今でも忘れられない。

「 同県人だろ、だなんて ・・・!! 」

母は、戦時中は鳥取の日本赤十字病院に看護婦として勤務していて、鳥取大震災や空襲も経験したから、怪我人や血には動じないが、何もしようとせずに非難めいた事を言うだけの人には苦く悔しい想いを沢山してきたのだろう。

しかし、当時の僕にはなぜ母がそう言ったのか、正しく理解は出来なかった。
後日、警察から表彰とリアシェルフボードの弁済代わりに表彰金を受け、即日、母に報告した時にも、母からは褒め言葉は一切無かった。

よほど腹に据えかねる思いがあるのだろう。
決して無口ではないけど、何か大切な事を伝えたいという時になればなる程に、閉じ籠ったように口数が減ってしまう人だった。

遺伝子を引き継いだ僕は、その時の母の思いを長い間理解は出来なかった。
でも、人生での経験を重ねて、今ならその気持ちが良く分かる。



『 モラルとは育てるもの 』

“モラル”とは、“ 他の人に対して、精神的に、肉体的に、物質的に、そして金銭的に、損害リスクを与えない事 ”だ。

それは、画一的に教えられる道徳ではなく、宗教的な教義でもなく、一人ひとりが社会生活の中で考えて実践し、その中で育むべきもの。
そして同時に、大人であれば社会の“モラル”も育む責任を負っていると自覚すべきだ。

ただ、野次馬の様に、何もせず非難をするだけの人は、責任を果たそうとしている人の心を傷つけ挫く存在だし、生死にかかわる人が居ても、責任を負う事もしない無責任の人でしかない。
だから、そういうモラルに反する行為はしないように!と、自分自身の教訓にして生きていくのは決して悪くはない。
しかし、それだけでは足りない。

そもそも、「他の人の迷惑になる事はしない」のは当たり前の事。
しかし、そう思っていても常に出来るとは限らない事は誰もが自覚している事だ。思っていても出来ていない場合や、気付かず出来ていない場合には、周りの人が注意や指摘をしてサポートするのも当たり前の事だ。
まして、それが人の生死に関する事、“モラル”に反する事であれば、何らかの注意を促したり指摘をする事は、社会のモラルを育てる事に他ならないのだ。
他の人に注意を促さず、見て見ぬふりをするのであれば、それも“ モラル ”に反していると言える。

ただ、それは簡単に出来るものではない。
事故の現場で、他人の生死や損害を無視した“モラル”に反した言動を目にしたとしても、その時に注意を促すのは容易な事ではないからだ。
だから、小さな事から注意や指摘を始めて、他の人への伝え方を磨いてこそ、本当に大切な場面で、他の人の“モラル”を呼び起こせる能力が身につくものだ。

実は、そういう過程を通じていった時に、自分自身の中の“モラル”を育て上げていく事に繋がっている事も実感できるものだ。
40年遅れになったけど、あの時、今の僕なら、停車していた人、そしてパトカーで来た警官の人たちに、こう言っただろう。

「 この人は出血がひどく、一刻も早く病院へ搬送する必要があります 」
「 この人の命のため、あなた車で運んでもらえませんか 」




『 GRA発足の目的には 』

ジムカーナという競技が好きで、後悔から自らその競技を楽しむ場を作るため、GRAという団体を発足させましたが、発足させた意図の中に“参加者個人が果たすべき責任”を一緒に共有する事を浸透させる思いも含めていました。

当時、オートバイに乗る事は社会悪の一つである様に言われ、実際、新規会場を借り受けるべく交渉に赴いた際、「危ない」「騒音が大きい」の言葉が断りの常套句として返って来たものです。
オートバイは危険なモノ、オートバイはうるさいモノ、オートバイ乗りは危ない運転をする、等の認識が先行して、活動が単なる趣味や遊びではなく、社会的に価値がある事を訴えても、賛同してもらえないのです。

社会にそういう認識を与えてしまったのは、オートバイに乗るライダー自身の振る舞いが原因である事は多くのライダーは認識しているにも関わらず、自身が社会に迷惑を掛けない事だけに注意を払い、友人のライダーや他のライダーがモラルに反して、騒音をまき散らす改造や運転をしたり、無理なすり抜けや追い越しなど、他者にリスクを与える運転をしている場面に遭遇しても、一切、注意を促す行為をしてこなかった事も原因だと言えるからです。

GRAを発足させた理由は、自分自身がいつまでもオートバイを楽しみたいのなら、周囲の人の理解を深める努力を惜しまず、その環境を壊す行為があれば注意を促すのは当然の事と捉える考えや行動を拡げる事にもありました。

しかし、私自身、その狙いを適切な対民で伝える能力に欠けていた為、過去のGRAの活動では、他者の振る舞いに注意を払い、必要な時には適切な言葉で注意を促す人はさほど輩出できなかったと感じています。

だからこそ、その経験を積んだ今こそ、より多くの人・ライダーへ人としてのモラルを伝え、環境と人を育む活動に専心していきたいと考えています。


NPO法人GRA 代表理事 小林 裕之

訃報を届けます

2014-09-01 21:51:28 | コラム・社会
残念なお知らせをしなくてはなりません。

1995年頃より2002年にかけて、GRAのイベント活動に積極的に参加され、当日スタッフ職も熱心に取り組み、ライディングスキルが高く、何よりも交通安全意識の高い運転をされていた、今井 澄(きよし)君が、8月31日(日)午前、愛知県豊橋市内の交差点付近での事故により他界されました。
享年 51歳でした。

やりきれない事故内容だけに、彼の冥福を一層強く祈らざるを得ません。



【 葬儀等のお知らせ 】

■ 通夜 : 9月 2日(火) 19時より
■ 葬儀 : 9月 3日(水) 11時より
■ 会場 : イズモホール豊橋貴賓館 (愛知県豊橋市東新町115)
http://www.izumo-sosai.jp/east/hall/toyohashi.html



【 当事故に関する報道 】

◆ 日テレニュース Web版
http://www.news24.jp/nnn/news86220871.html




情報を求めます !!

2014-08-31 22:11:22 | コラム・社会
詳細な情報をご存知の方が居れば、是非ご連絡下さい。

本日、午前、愛知県豊橋市内の交差点付近にて、「 今井 澄 」さんがオートバイの事故によりお亡くなりになったニュースが飛び込んできました。

出展 : 日テレニュース Web版

同名、同年齢の方で、GRAのイベント活動に長年に亘り参加され、積極的にスタッフ職をこなして下さった方がいらっしゃいます。

ただ、最後にお会いしたのは 15年近く前の事で、現在の連絡先などを確認できていません。
GRAのイベント活動に参加経験のある方で、同氏をご存知の方は、是非! 同氏の連絡先などをご連絡願います。

事故の方が同氏ではない事を願っています。
なにしろ、今井君は 安全運転に真摯に向き合った考えをして、しかも相当の運転技量のある方です。
そんな方は、かならずオートバイや交通の神様に守られるべきだからです。