朝早めに起床。出勤する父と母と一緒に家を出る。前橋駅から高崎駅に出て、湘南新宿ラインで新宿まで。車中で前々回の講義関連の問題集を解く。今日は法規の講義。得意かもこれ。前回受け取らなかった残りの教科の教材をどっさりもらい夜に帰宅。しばらくして奥さんも帰宅し一緒に夕食。
昼過ぎ起床。引き続き法令集にアンダーラインを引く作業。
夕方、前橋のアーツ前橋へ。前橋で生活し制作している白川昌生さんの『タダ・ダダ・ダ』展を開催中。ヨーロッパ留学中の制作ノートから、『駅家の木馬』を含む最近の作品までを網羅した充実の展示内容。おそらく白川さん自身が書いたのであろう壮絶かつユーモラスな略歴は、これまでに過ごした場所とそこで出会った人を詳細に記録したもの(図録には載ってないので会場でしか見れない!)。
アーツ前橋は去年の秋に旧西武百貨店walk館跡を改修してオープンしたきれいな美術館。それまでも弁天通りなどアーケード街周辺では多くのアート的活動が空きスペースの利用を模索してきたと思うが(空き店舗を使いながら教室を埋め込んでアーケード街を生涯学習のための大学施設にコンバージョンするという僕の卒業設計もそれに類するものであった)、アーツ前橋の開館を契機に、さらなる注目を集めているようだ。夜まで前橋で過ごす。











帰宅後は明日の法規の講義の予習。避難、耐震改修、建築士法。法令集の関連箇所にアンダーラインを引きながら3時過ぎまで。
「東京ではない場所」で、大型ロックフェスを企画運営する二人の対談記事が上毛新聞に掲載されていた(埼玉でフェスを企画する神奈川人と、地元でフェスを企画する群馬人である)。アメリカで4年を過ごしたバンドマン茂木洋晃さんが地元に帰り旗を揚げた大型地方フェス、GRF(グンマロックフェスティバル)。東京で夢を漁るよりも群馬で現実を選んだ茂木さんの、ここで絶対にやってやろうという意地。「地元」という本当に逃げ場のないところ、さらけ出せる場面が少ない「地方」で旗を上げたかったのだと言う。失敗や問題を起こせば根深く残る地元ならではの難しさと、色んな人の力を借りて基礎事実と足跡を積み上げるしかないという覚悟。バンドには終わりがあるし自分は死ぬ。でも音楽は死なないし街も死なない。そこに暮らす人が誇らしげに思ってくれるものをつくることが成功だと一心に思い活動している、と。対談は、コラボレーションしながら互いのフェスを盛り上げていくことで意気投合して終わっていた。
夕方、前橋のアーツ前橋へ。前橋で生活し制作している白川昌生さんの『タダ・ダダ・ダ』展を開催中。ヨーロッパ留学中の制作ノートから、『駅家の木馬』を含む最近の作品までを網羅した充実の展示内容。おそらく白川さん自身が書いたのであろう壮絶かつユーモラスな略歴は、これまでに過ごした場所とそこで出会った人を詳細に記録したもの(図録には載ってないので会場でしか見れない!)。
アーツ前橋は去年の秋に旧西武百貨店walk館跡を改修してオープンしたきれいな美術館。それまでも弁天通りなどアーケード街周辺では多くのアート的活動が空きスペースの利用を模索してきたと思うが(空き店舗を使いながら教室を埋め込んでアーケード街を生涯学習のための大学施設にコンバージョンするという僕の卒業設計もそれに類するものであった)、アーツ前橋の開館を契機に、さらなる注目を集めているようだ。夜まで前橋で過ごす。











帰宅後は明日の法規の講義の予習。避難、耐震改修、建築士法。法令集の関連箇所にアンダーラインを引きながら3時過ぎまで。
「東京ではない場所」で、大型ロックフェスを企画運営する二人の対談記事が上毛新聞に掲載されていた(埼玉でフェスを企画する神奈川人と、地元でフェスを企画する群馬人である)。アメリカで4年を過ごしたバンドマン茂木洋晃さんが地元に帰り旗を揚げた大型地方フェス、GRF(グンマロックフェスティバル)。東京で夢を漁るよりも群馬で現実を選んだ茂木さんの、ここで絶対にやってやろうという意地。「地元」という本当に逃げ場のないところ、さらけ出せる場面が少ない「地方」で旗を上げたかったのだと言う。失敗や問題を起こせば根深く残る地元ならではの難しさと、色んな人の力を借りて基礎事実と足跡を積み上げるしかないという覚悟。バンドには終わりがあるし自分は死ぬ。でも音楽は死なないし街も死なない。そこに暮らす人が誇らしげに思ってくれるものをつくることが成功だと一心に思い活動している、と。対談は、コラボレーションしながら互いのフェスを盛り上げていくことで意気投合して終わっていた。
昼前起床。都内の受付会場にて資格試験の受験申し込み。この夏に受験する試験のうちの一つ。願書には特に問題なくすぐに終了。資格学校に授業料振込のあと、群馬へ帰省。車内では法規の講義の予習をすすめつつ、新宿駅から湘南新宿ラインで高崎駅を経由して渋川へ。夕食後は父としばらく話す。その後明け方まで法令集にアンダーラインを引く作業。まだまだ先長い。
昼前起床。今日の受講講座、構造の予習をしてから資格学校へ。
開始1時間前に着いたので小さな問題集を解いて過ごす。午後3時から授業。僕が受けそびれた模擬試験の成績についての連絡などが教務からあったあと構造の講義第四回。今日は構造設計の基礎について。前回までは構造計算の基礎理論的なことを学び、今日からは具体的な建築的場面にそれを適用していくらしい。条件に応じた構造計算の決まりごとや手法の選び方など。初回としては入りやすい内容。夜の9時まで1時間に10分ごとの休憩しかないので、講義ノートの見直しやトイレに行ける程度。軽食を持参すべきであった。お腹が空く。予習を万全にしてあったので講義は低速に感じた。次回以降もそう思えるようにしたい。士気を高める役割の教務の方と、知識を効率よく記憶に定着させる講師の方が、交互に教室にやってくる。聞き手が理解できる言葉を見つける勘とボキャブラリーの豊富さが、人にものを教えるには大事だなあと思いながら聞く。最後に本日分の出題範囲から確認のための小テスト。未履修範囲からの出題もあり15問中2問間違えた。答合わせ中にすぐに教務の方が答案を集計し、全問正解者の人数と、教室内及び全国での平均点を教えてくれた。
帰宅後、奥さんが新メニューに挑戦中の和食の夕食。僕は法令集にインデックスをつけアンダーラインを引く作業をもくもくと進める。何はともあれこの作業は一刻も早く終わらせないと法規の講義がもったいないことになる。夜半すぎまで。
開始1時間前に着いたので小さな問題集を解いて過ごす。午後3時から授業。僕が受けそびれた模擬試験の成績についての連絡などが教務からあったあと構造の講義第四回。今日は構造設計の基礎について。前回までは構造計算の基礎理論的なことを学び、今日からは具体的な建築的場面にそれを適用していくらしい。条件に応じた構造計算の決まりごとや手法の選び方など。初回としては入りやすい内容。夜の9時まで1時間に10分ごとの休憩しかないので、講義ノートの見直しやトイレに行ける程度。軽食を持参すべきであった。お腹が空く。予習を万全にしてあったので講義は低速に感じた。次回以降もそう思えるようにしたい。士気を高める役割の教務の方と、知識を効率よく記憶に定着させる講師の方が、交互に教室にやってくる。聞き手が理解できる言葉を見つける勘とボキャブラリーの豊富さが、人にものを教えるには大事だなあと思いながら聞く。最後に本日分の出題範囲から確認のための小テスト。未履修範囲からの出題もあり15問中2問間違えた。答合わせ中にすぐに教務の方が答案を集計し、全問正解者の人数と、教室内及び全国での平均点を教えてくれた。
帰宅後、奥さんが新メニューに挑戦中の和食の夕食。僕は法令集にインデックスをつけアンダーラインを引く作業をもくもくと進める。何はともあれこの作業は一刻も早く終わらせないと法規の講義がもったいないことになる。夜半すぎまで。
時差ボケで眠れず。翌朝まで起きておくかと覚悟を決めたところで記憶が止まっているので明け方寝てしまったらしい。目覚ましで起きて十時に資格学校へ。受講の手続を済ませ、教材一式を受け取る。一度には持ち帰れない量なので直近の講座のものだけ予習用に持ち帰る。さっそくDVDブースを借りて明日の講義を予習視聴。構造設計の基礎。ひととおりの知識を身に着けたいモチベーションは高いので、興味を持って受けられた。所属するコースでは人より三ヶ月遅れてのスタートなので、まずは今後の授業ペースに遅れないことを最優先に、5月半ばの模試を照準に合わせて未修分の講義をDVDで補講をしていくことにした。
昼過ぎに一度荷物を置きに家に帰ってから、奥さんとスパイラルへ。みどりさんと待ちあわせて昼食をともにする。 ロンドンでは日常だった友達の顔を久しぶりに東京で見てうれしいような照れくさいような。東京で予定されているいろいろな展示会の情報を教えてもらう。近況報告や日英のSHARIメンバーの話なども。そのまま三人で山陽堂書店へ。案内を頂いていた大垣さんの絵本原画展と個展を観る。小学生の大垣さんが描かれたマリンジャンボの原画やそれにまつわる作文から始まり、現在にいたるまでのデザイン活動が最新作の絵本まで、ボリュームたっぷりな展示。子供ながらに夢中になったマリンジャンボの原画を大人になった今マジマジと見て、大きなクジラの脇には、ひとりひとり物語を持った脇役の魚たちまで人間臭くしっかりと描かれていたことを知る。その後の作品の世界観にもつながっているような気がした。
奥さんの生活圏をしばらく歩いて調理道具と食材を購入してから帰宅。僕が帰国したことを契機に、週末は家で料理をしてくれるらしい。資格試験においては何年も前に取得済みの頼れる先達であり、その上こんなサポートまでされたら、これ以上の環境をいかに得られようか。法令集の引き方を覚えたり、明日の講義の予習をしながら夜半すぎまでもくもくと勉強。
昼過ぎに一度荷物を置きに家に帰ってから、奥さんとスパイラルへ。みどりさんと待ちあわせて昼食をともにする。 ロンドンでは日常だった友達の顔を久しぶりに東京で見てうれしいような照れくさいような。東京で予定されているいろいろな展示会の情報を教えてもらう。近況報告や日英のSHARIメンバーの話なども。そのまま三人で山陽堂書店へ。案内を頂いていた大垣さんの絵本原画展と個展を観る。小学生の大垣さんが描かれたマリンジャンボの原画やそれにまつわる作文から始まり、現在にいたるまでのデザイン活動が最新作の絵本まで、ボリュームたっぷりな展示。子供ながらに夢中になったマリンジャンボの原画を大人になった今マジマジと見て、大きなクジラの脇には、ひとりひとり物語を持った脇役の魚たちまで人間臭くしっかりと描かれていたことを知る。その後の作品の世界観にもつながっているような気がした。
奥さんの生活圏をしばらく歩いて調理道具と食材を購入してから帰宅。僕が帰国したことを契機に、週末は家で料理をしてくれるらしい。資格試験においては何年も前に取得済みの頼れる先達であり、その上こんなサポートまでされたら、これ以上の環境をいかに得られようか。法令集の引き方を覚えたり、明日の講義の予習をしながら夜半すぎまでもくもくと勉強。
昼過ぎに起床。相変わらず遅く起きてしまうのは生活がずれているからではなく睡眠時間が12時間以上だから。疲れが取れるまでは仕方ない。Hくんから東京での活動場所探しについて連絡。秋までは資格試験の準備を最優先で考えるつもりであるし、東京で自分が何をできるのかまだよくわからないので、即断ができない。何かが始まりそうな気もするし、状況は変わりそうなのだが、じっくり考えたいと伝える。商店街を歩いて閉店間際のラーメン屋で遅い昼飯を食べてからまた商店街を歩く。明るい太陽の下、チリ一つない歩道の上を、老若男女問わず多くの人が、比較的ゆっくり歩いている、というロンドンには無い風景にもここ数日で一気に慣れたというか、ホッと安心するようにさえなった。溜まっているブログを一気に処理しようと近くのチェーン店カフェに入る。これからの生活をまたゼロからスタートできるように、穴もあるが直近一ヶ月分の書きためていたメモをアップすることに。2月28日以降のブログ記事を一度にアップしたが、あくまで自分用備忘録。奥さんの同僚でもあるTUM留学の同期と夜電話で少し話す。帰国の報告と相談事など。会社の花見を終えて帰宅した奥さんを迎えて週末の予定など立ててのんびり。
朝まで眠れず、24時間空いている近くの牛丼チェーン店で早朝に朝飯を食べたあと、ゆっくり風呂にはいる。先日来の筋肉痛は少し収まった気がする。奥さんが起きるのを待って一緒に支度をして、僕は東大へ。工学部の学務課に行って学部と大学院の卒業証明書と成績証明書を取得。近くの携帯ショップに行ってプリペイド携帯の再アクティベーション。一時帰国の際に断続的に使っていたもの。前回の帰国から一年以内だったので失効していなかった。いずれは正式にどこかの携帯会社にMNPして契約しなければならないが、まずは番号が確保できてよかった。歴史研博士課程の後輩Tくんと工学部1号館で待ち合わせ。初対面であったが学年は一つ下だったらしく、興味も似ていていろいろ話せた。大学の近くの定食屋で昼飯を食べたあと、構造・構法系の入居する工学部10号館の下のスタバでゆっくり話す。大学と実務をクロスオーバーするようなグループ活動の可能性とか、建築を取り巻くいろいろな関係者たちが協力してよい建築をつくっていくための共通言語は何か、とか。自分がSHARISHARISHARIで考えていたことにとても近いことを彼は歴史研究のサブテーマとしてやっている。技術と技術史そのものではなく、それらがなぜそのように伝播し受容されたのかをみるメタな視点が彼の研究対象だが、自分の卒業論文と修士論文とも共通しているところがあるので見てもらう。建築と社会との結びつきをテクノロジーや建築の物性の視点から見ようと思ったこと、鉄は19世紀において建築をめぐる人びとをつなぎ越境させる共有メディアであったこと、が僕の修士論文であった。今の時代の「鉄」を探していること、自分が異能の人たちと一緒に仕事をするための「共通言語」を探すことが目的であること、ローカルに仕事をする上でもそれは共通していることを説明する。歴史へのテクノロジカルなアプローチは、対象はゴシックではあるが新任の加藤先生の研究テーマでもあるそうだ。最後にそもそも僕が彼を知り彼が僕を知るきっかけだったコンラッド・ワックスマンKonrad Wachsmannの著書『The Turning Point of Building, Structure and Design』(1961年の英訳版原書)を二人で眺める。アメリカの何処かの大学図書館の収蔵書流れ品を僕がAmazonのマーケットプレイスで購入したもので、TくんがOPACで検索したところでは日本国内には数冊しか所蔵がないようだ。RIBAに収蔵されていたものはボロボロでページも外れかけていたので、それよりも状態のよいモノを僕は手に入れたことになる。Tくんによるとこの英訳版が出たのと同じ年、アントニン・レーモンドのリーダーズダイジェスト東京支社の構造設計にあたったエンジニアであるパウル・ワイドリンガーが著したアルミニウムに関する本を、原広司と内田祥哉が翻訳しているのだという(『アルミニウム建築』1961)。ワックスマンの本書も日本では東大の池部研究室内田研究室が翻訳作業をしていた形跡があるとのこと。こうした技術書は、当時のエンジニアやアーキテクトたちからは原書で読まれていたらしく、日本語で翻訳されなかったからといって情報として日本に伝わっていなかったわけではないらしい。こうしたことは聞き取り調査によってその時代の人間から聞かないかぎりわからないのであるが、Tくんが行ったそうした聞き取り調査のアーカイブ(日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ)を通じて僕は彼を知り、SHARISHARISHARIのメンバーに紹介され僕のブログ記事を読んで彼は僕を知ったのであった。そのまま彼に紹介されて工学部1号館も見て回る。大学院時代に入り浸った意匠系歴史系環境系の3院生室や学部生の課題のエスキスが行われている製図室を訪ねて何も変わってないなと思ったり、廊下ではお世話になった歴史系の先生にばったり会って声をかけてもらえたり、OBが母校を訪ねた的なベタな楽しみも。何も変わっていないように見えるのに、時間だけは10年近く経っている。張り出された開講通知の講義内容を見てワクワクしつつ、ここは自分がいていい場所ではないんだという気持ちも持った。昔を懐かしむOBとして来ていいような場所ではない。前に進まなくては。
3時ころTくんと別れて資格学校へ。僕が先日説明を受けた短期コースは経験者(前年までの受験者)向けのアウトプット中心のコースなので、初勉強初受験の僕はレギュラーコースを受けてインプットをひととおり終わらせたほうがいいのではないかとのアドバイスを受ける。僕のようなタイミングで僕のような意志を持って入ってくる生徒はレアケースとのことで、必要とされる勉強量をいかに短期間でカバーするかの提案を受ける。すでに去年から始まっているコースに入ることになるが、追い付くための方法をいろいろガイダンスしてくれたので自分としては納得できた。働きながら資格を取ろうとしている人たちに比べれば自分は時間があるので、追いつくのは無理ではないだろう。しばらくは試験に集中して万全を尽くしたい。
3時ころTくんと別れて資格学校へ。僕が先日説明を受けた短期コースは経験者(前年までの受験者)向けのアウトプット中心のコースなので、初勉強初受験の僕はレギュラーコースを受けてインプットをひととおり終わらせたほうがいいのではないかとのアドバイスを受ける。僕のようなタイミングで僕のような意志を持って入ってくる生徒はレアケースとのことで、必要とされる勉強量をいかに短期間でカバーするかの提案を受ける。すでに去年から始まっているコースに入ることになるが、追い付くための方法をいろいろガイダンスしてくれたので自分としては納得できた。働きながら資格を取ろうとしている人たちに比べれば自分は時間があるので、追いつくのは無理ではないだろう。しばらくは試験に集中して万全を尽くしたい。
朝、息苦しくうなされて起きると、ちょうど奥さんが支度して出かけるところで心配される。帰国前の一ヶ月間に、ドイツとイギリスを二往復したり、ギリシャとイギリスを往復したり、帰国便の遅延でドバイで乗り換えられず一泊することになったり、いろいろなタイムゾーンを行ったり来たりしていたせいか、重度の時差ボケ。体がどのタイムゾーンに適応すればいいのか混乱し、生活時間がずれているというより、とにかく一日中眠く、全身が筋肉痛。そのまま二度寝して昼過ぎまで。新宿の資格学校に電話して受講相談のアポを取り、近くの定食屋で昼飯を食べてから夕方出かける。自分が下調べして取ろうと思っていた短期コースについて説明を受け、契約書を持ち帰る。新宿で衣類や4月始まりの手帳などを購入してから帰宅後すぐに倒れこみ寝オチ。夜九時過ぎに目が覚めて実家に帰国の報告や資格学校のことなど報告。晩飯を買いに外に出て帰宅したところで奥さんも帰宅し、一緒に晩飯を食べる。夜半すぎに布団に入るも、昼間寝過ぎたせいで目が冴えて眠れない。特に何をやるでもなく、結局朝まで眠れなかった。
昼過ぎに目が覚める。衣類など買おうと思い近くの商店街を歩く。古くからあるという老舗の定食屋に入って遅い昼飯。唐揚げ定食を頼んだらおもむろに冷凍庫から業務用唐揚げの大袋を取り出されてがっかりする。近くのスーパーで買物をしたあと、帰宅。夜までスーツケースの荷解きなどをして過ごす。帰宅した奥さんから近くでご飯の食べれるところを聞いて、夜半過ぎ就寝。イギリスを去ったことも日本に帰ってきたことも誰にも報告していないし、書類上の手続きもいろいろあって日本での存在もあいまいなので、自分がどこにいるのかフワフワとした気分である。
4時半に起床し、5時半のシャトルバスでホテルから空港へ。乗り遅れないように早め早めに行動しながら搭乗口へ。思いのほか搭乗客は多い。ゲートから航空機までのバスがだいぶ長い時間かけて走ったので不安になったが、定刻を少し遅れて出発。今日これくらい遅れても許されるなら昨日も乗れたんじゃないかなあと思いつつ。ロンドン-ドバイ間のエアバス機にはあった機内WiFiがドバイ-東京間のボーイング機にはなかったので、ブログのまとめ更新は諦めて日本語音声がある映画を三本ほど観る。途中乱気流に入り、機内がだいぶ揺れた。シートベルトの着用を促すアナウンスがあったほかは特に変わったことはなく、肘置きを上げて四列シートに横になって寝ている乗客はそのままだったし、ちょうど飲み物をサーブ中だった機内サービスも続行。あまりに揺れるので僕は死も覚悟したが、「心配しなくてもいいですよ」みたいなアナウンスやCAの素振りがあったら、やはり異常事態なのかとかえって心配になっていたかもしれない。これくらいいつもどおりですよという雰囲気だったので安心できた。寝ている奥さんが目が覚めたら怖がるのではないか、そのまま寝ていて欲しいと祈っていたが、すやすや寝たまま乱気流は通り過ぎ、起きた奥さんはケロッとしていた。ふと気が付くと日本までの飛行時間が2時間強。そこからはあっという間ですぐに羽田空港に着いた。夜11時過ぎに到着し、別送便の入管など諸々の手続きを終えると終電の時間は過ぎてしまい、都内の奥さんの部屋までタクシーで帰宅。奥さんが用意してくれていたお泊りセットで寝床を確保して、就寝。