威風堂々

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転向ということ

2017年03月29日 | 「今、ここで」


私は本当に疑問です。
それは、塚本幼稚園のことです。それはあの小学校のことでもあります。
まず、幼児教育において、教育勅語を諳誦させる教育が素晴らしいと思っている人が総理大臣だという事実に私は驚きを禁じ得ない。

立命館設立に関わったかの西園寺公望公は教育勅語に対して、「文明の進歩に少なからず障害を与える。古く偏った考えを打破し、世界の文明に合わせた教育を、、、」(1895年東京師範学校訓示)とはっきり言っているようだ。でも、勅語は出たし、それと、天皇皇后のご真影と共に学校に飾られたわけだ。原武史先生は「今の憲法にはっきりと規定されている国民主権、基本的人権の尊重とは正反対」と。しかし、私も職場で40代の者が「親孝行しろとかいいことも書いてある」と言っていたのでびっくりしたわけです。

君が代解釈と同じ(君が代:天皇の世の中という意味)で、勅語というのは「天皇の臣民」達に向かって天皇が語っているわけだ。だから勅語なのだが、これすら分からない人が多いので、そりゃ『立憲君主主義』という概念や『基本的人権はいらない』と平気で云う人達が票を獲得するはずだと納得した。

教育勅語を教えるということは、対中国、対米英戦争で負けた戦前の教育に戻るしか脳がない教育を行うということであります。でもそんな学校建設には、には役人の忖度が働いてしまうのでしょうか???情けない。首相を侮辱したから急に「証人喚問」にしてまぁ、いつもの自民と維新のあのものの言い様ですからね。だから、今の自民と維新はあの教育方針はOKなんですよね。びっくりです。

安保法制も憲法違反じゃない、という学者も小数いるわけで、また、教育勅語を教える学校があってもよいと考える人も小数いるわけだ。だが、安保法制は「政治」だが、教育勅語とかになると日本の国体、日本という国の形、日本人の哲学に関することなので、真善美、正邪、世界と日本の在り方、きちんと襟を正さないといけない問題なのです。あの安保法制の時には僕は控えていましたが、もうダメです。僕は、天皇に人権を与えない日本人を酷い奴らだと思う人間です。ましてや天皇のための日本だなんて思いません。天皇を含む税金を払ってテイル日本に定住してる皆のための国家だと思っています。憲法上天皇は国の象徴ですから、残念ながら人権も無いのかも知れませんが、それだってへんてこりんです。そこへ「朕思ふに、、、」なんてナンセンスです。こういうことをなぜ、公然と言えなくなってしまったのか。私は共産主義者ではありませんが、塚本幼稚園を素晴らしい教育方針だと言えるようなセンスも持ち合わせてはいない。ヘイトだし、人権問題として「朕思ふ、、、」ってものを持ってくるのはヘンでしょう。


森友事件の本質はこういったことにあるのです。


支持率が下がらない現実が私には分かりません。『沈黙』のロドリゴ神父ではないが、私も「転ぶ」べきなのだろうか???転ぶことで精神の安定を図ることはあって良いのかも知れない。





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