goo blog サービス終了のお知らせ 

威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

持続可能な発展を考えよう

2012年12月31日 | 第五章 和解と平和
今年もお読み頂いた方々に対して感謝申し上げます。

今年も、

問題先送り
将来の事より、目先の生活
自分の事を最優先

ま、これは、私自身も。そして日本社会も?

ずっと、このくり返しを見せられ続けている人生のような気がします。

しかし、希望を持ってまた来年。

やはり、自己本位と他者本位を絶えず念頭に置き、自分の幸福と他者の幸福。700万年の人類の生き様と、これからの人類、いや、生命の事などに思いを馳せて、、、。


相変わらず、大袈裟、、、。が、

『持続可能な発展』という事を念頭に置いて、いろいろ考えていこうと思っています。

では、また来年もよろしくお願いいたします。


 人気ブログランキングへ
よろしくお願いします。
お読み頂きましてありがとう存じます。

あかちゃん

2012年12月26日 | 第四章 愛とゆるし

久しぶりに青洟をきれいに二筋たらした赤ちゃんを見た。

お母さんに抱っこされながら、ATMの列に並んでいた。僕はおどけた顔をするぐらいで、本当なら「可愛いですねぇ」と母子にしゃべりかけるんだろうが、まだできない。

若い頃は子どもと関わるのが苦手だったが、自分が父親になってからであろうか、素直に可愛いと思える様になってきた。


子どもは本当に私達達の希望です。

皆さんも希望を胸に前進しましょう。




 人気ブログランキングへ
よろしくお願いします。
お読み頂きましてありがとう存じます。




漱石先生 6

2012年12月23日 | 文学・評論(現代・近代)
アメリカの銃乱射

これは、大変深い問題だ。

・この世から武器がなくなるのが良い
・核兵器がなくなれば良い
・死刑制度はなくすべきである

一方で

・武器によってお互いが武装することで抑止力が働く
・みんなが核兵器を持つ事でお互いが抑止される
・死刑があるから犯罪は抑止される

さて、どうだろう。

「人類は決して進歩はしない。変化するだけである」

第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。
第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。
第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴ともなう責任を重んじなければならないという事。

これは、漱石の『私の個人主義』の一節であるが、いつも私はこれこそが、教育を受けたもの。ある程度の経済状態で生活をしているもの。マネジメントに携わるもの。が肝に銘じる必要がある名言だと思っている。

日本の選挙も、脱原発よりは経済対策が重視されたようだ。活断層の上の放射能と我々はどうつきあうのか。私も含めて、所詮70年程度の生涯で「未来を論議」することの無駄さ加減はご理解頂けよう。しかし、人類が進歩する気があるならば、「再生医療」よりも放射能をどうコントロールするかの方が、重大な命題であるはずだ。

あるドラマで、こんなシーンがあった。時の監視人という全ての時の流れを監視している何者かがいるのだが、

「私はいろんな世界で、いろんな未来をみてきた。君もいつか死ぬのだ」

と自分も傷つきながら呟く。

さて、皆さん。クリスマスです。救世主はどうやって誕生したのか。そして、その歩みはどうだったのか。そして、何を感じ、考え、どんな行動をとって最後には十字架に掛けられたのか。

クリスマスの意義をちょっと考えてみませんか?





 人気ブログランキングへ
よろしくお願いします。
お読み頂きましてありがとう存じます。

百人一首の西行さん

2012年12月16日 | 文学(古典)



「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる 我が涙かな」

ある学者先生に言わせると、この歌は『百人一首』の中では最も人気がないならしい。

嘆いている、やるせない心境を月のせいにしているわけだが、皆さんもそんな時がないだろうか。

私はよくやっている。

気分がふさぐのは、曇りのせいだ。

仕事に行きたくないのは、この寒さと雨のせいだ。

他人のせいにして、その場を乗り切るのも、実に大事なストレスマネジメントだと痛感している。

「投影」である。

で、和歌でも詠んで「知性化」「昇華」が出来るといいのだが、、、。

月を見ていると、「何か物思いを自分の心の中に」入れ込んでしまうという発想が東アジアにはあるらしい。



 人気ブログランキングへ
よろしくお願いします。
お読み頂きましてありがとう存じます。


西行桜

2012年12月15日 | 文学(古典)

私には、伝えられている 西行法師の事が大変よく心に響きます。

今年も、何回となく お能を楽しみましたが、印象深く残っているのが、『西行桜』です。

京都縦貫道が出来てしまいそうなのですが、西行庵があったという伝説の地。桜もありますよね。確か。近くには大原野神社(平安遷都時に藤原氏の氏寺:春日大社を移したもの)もあって、風情がある場所です。

洛西小塩山 花の寺 勝持寺。


さて、『西行桜』

花の時期に人が大勢やって来ます。西行は機嫌を悪くします。

「花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける」

桜をみようと群れつつ人がやって来る。(で、僕が邪魔される)そんなところだけが桜の罪ですよ。

群集心理といいますか、人は「同一化」をはかって誰かと一緒ならば、別の誰かの迷惑は顧みません。好き勝手な行動や勇ましい言動、少々派手でもスカッとさえすればよい。群集心理の中には危険が一杯です。古代ローマの昔から、いや恐らく人がアフリカを出発するときからこのテーマは普遍的なんでしょう。

くり返すんですが、、、。短いスカート長いスカート、トカネ、、、。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

人の事は言えませんが、、、。 

後半では、桜の精が出てきて、「桜はただそこに咲いているだけです。桜にはなんの罪もありませんよ」と西行に言うわけです。

人間はいろんな生育史を抱えて生きています。どんな倫理道徳で判定しても、その人が自分を正しいと感じていれば、その人は正しいので、、、。つまり、なぜ俺の邪魔をするんだ、あの桜の見物人どもは。で、桜の罪だよって結構持って回った理由付けのつもりでも桜はただそこに存在しているだけ。それは、周囲の解釈の問題だ。と桜の精に言われてしまうわけですよ。

どんな思想信条の違っている人間であっても、持っている「魂」は愛で、みんな平和に笑いあえるはずなのですがね。

人は変に「生き抜く知恵」を持ったつもりでいますから、「仮想敵」を作って「勝つ」事を生きる目的にしてしまう。ダーウィン進化論だけでは種は生き延びないらしいですよ。



 人気ブログランキングへ
よろしくお願いします。
お読み頂きましてありがとう存じます。