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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

高校生ならわかってほしい 7 大鏡を読もう

2024年02月13日 | 第八章 魂と聖霊
平安時代
皆さんは、物の怪とか魂とかいった類いのものに興味はお有りですか

今、NHKドラマで『光る君へ』という作品が放送されていますが、実に面白いです。
平安時代に日本を統治した藤原氏。父兼家が如何にして関白となり権力者の頂点に立ったか。その子、長男道隆、次男道兼、三男道長、長女詮子達のそれぞれの努力が結果として一門の繁栄に繋がり、日本国の発展に繋がったという顛末。今から1000年前の日本の原型です。

桓武天皇もそうでしたが、道長も権力者になってからは、非常な「不安感」に囚われます。

特に「源氏物語」には、人間の喜怒哀楽・不安感や達成感など、「気持ち」がよく描かれています。これから、こういう点について述べていきたいと思います。

山本淳子氏『源氏物語の時代』は必須の読書本です。



修二会

2023年05月14日 | 第八章 魂と聖霊

修二会

旧暦2月に修する 修二会
劇場にて、東大寺の修二会法要公演を約4時間にわたって見る機会に恵まれました。
700年代~現代まで続いて休みなく続く国家安寧、日本に住む人々の安寧を観音様に祈り続ける法要です。
チベット仏教の祈に似て、能や歌舞伎、日本舞踊はここが原点であると感じさせる所作。感動と言うより、感銘を受けました。

日本人はたまにはこういうものを観劇しておくべきだなぁと感じた1日でした。



母の死

2021年06月12日 | 第八章 魂と聖霊
母親の死

 父が亡くなって間もなくして母が入所している特養から連絡があった。母がものを食べなくなったというのだ。認知症がひどくてこの母親との付き合いの中で私はうつ病も経験したし、苦しい時代を過ごしてきた。その母が自ら食べ物を口に入れなくなったという。色んな縁があるなぁと思ったし、父の死に際して「魂」の存在を感じたこともあったので、今回の母の行動は、魂レベルの動きであると直感した。
 父親が呼んだわけだ。いや、母からもう父の魂の元へ行こうとしたのかも知れない。コロナ感染予防で、父母はお互い同士も我々とも面会が適っていなかった。死に際して久しぶりに私も父母と対面したのだ。
 母の今際の際にはぎりぎりで間にあった。死は悲しい。我々が到着する直前には、父の名前、私と家内の名前を言っていたというのだ。ものすごいではないか。要介護5の認知症であるにもかかわらず、死の直前に名前を言うとは。

私には「魂」の存在を感じずにはいられない。

偉大なる神よ。我々はいつかは死にます。しかし、魂は永遠に不滅ですよね。






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コロナからの復活

2021年05月01日 | 第八章 魂と聖霊

引き続き父親の死を考えてみたい。
コロナで会いに行けない期間が長かった。老人保健施設にいたときもほとんど会っていない。
面会は平日のみだったし、家内が洗濯物を持って行くときも施設の人が応対であった。なので、父がコロナになったとき、別の専門病院へ移ったときはなんとも悲しい思いをしたものだ。
アビガンを使うことに署名をして、延命処置をしないことに署名をして、目の前に映し出される父の肺の画像を見せられて、「あー、もう会えずに骨壺との対面か」と思うと涙があふれてきたのを思い出す。父が可哀想だったのだ。だが、その後彼は回復した。リモートでも対面を果たし、実家近くの病院へ転院した。このときの付き添いも家内にお願いしたわけだが、よくよく考えてみると僕には家内なしでは父親の面倒など見てやれないという弱みというかふがいないというか、精神的に弱いところがあるのだ。
3月22日だたろうか、病院の医師からは固形物が摂取できなくなっているのでそろそろ寿命が、、、と言われた。結果4月16日が命日だから彼の生命力は旺盛だったといえるだろう。
コロナから復活したのは聖霊の導きか。そうでなければ私は父の顔を見ることはなかったし、触れなかった。足や手をさすることさえもできなかったのである。転院先の病院も何回も面会をさせてくれて大変よい待遇をしてもらえたと感じている。これも皆父がそのように導いたのである。

大往生であった。



父の死

2021年04月29日 | 第八章 魂と聖霊
このたび初めて肉親というものの死に向き合った。
96歳だった父親が死んだ。コロナに年末に罹り、それを乗り越えての最期であった。死期を早めたのには違いがないが、よくぞコロナを乗り越えたものである。
父親には運はあったのかもしれない。生前、年金のことや一軒家が持てなかったことなど後悔することは多くあったようで、60歳の頃はノイローゼにもなっていたが、70代以降は豊かな人生だったと思う。
今回最期の場面に立ち会うことはできなかったが、心肺停止の2時間前と2時間後に会えた。人は死ぬと冷たくなるということを実感した。死の直前、懸命に息をしていた姿は記憶に焼き付いている。神秘さを感じた。私は娘の出産に立ち会っているのだが、そのときに感じた荘厳さと神秘さと同じであった。