米国で奴隷制度が禁じられたのは1865年だ。ま、その後も完璧には無くなってはおらず、きっと1960年代の公民権運動までは引きずっていただろう。そんな昔ではない。こんな野蛮なことは決して米国だけではない。だが、何が野蛮であるかを正確に計る物差しはあるのだろうか。私達の行いは、ほとんど全て、他者を支配し自分の都合の良いように操ろうと余念が無い。外見や言動で如何に取り繕うとしていても結局は自分本位なのだ。私だって今、夕食を作る手間が面倒臭くて仕方がないではないか。実は作りたくはない。だが、正直にそう言ってしまうと、妻に悪い。嫌われる。優しさのない男だと感じられてしまう。いつだって感情の赴くまま正直に自分を表現することは出来ない。
よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。

「あ、豆腐は冷蔵庫の。まだ痛んでないね」
「何?冷や奴なの」
「う、まぁ、鰺を塩焼きにしてさ、ジャガイモの煮っ転がしと菠薐草のお浸しって、どうよ」
「シンプルねぇ。豆腐は高いの買わなくても良いの」
良介は、中途半端に高級食品が好みである。種類も、呼び方もあまり知らない。キャビアやトリュフぐらいが知っている高級食材名なのだが、好き嫌いなく何でも食べた。
「辛子はあったかな」
「肉まんについていたのが三つあるけど、、、」
と薄ら笑いを浮かべて様子を窺い、
「こればっかりは本物から作れないでしょう」と。
「あなたは、調味料、醤油、ソースとかちょっと値段の張るのが好きだわよね。なんで?」

赤ちゃんは万能感を十分に味わう必要があるらしい。これが、大人になるに従って抑制が効いていく事になるわけだが、そうは簡単にはいかない。反抗期もそのためにあるのだろう。自分の子どもの名付けは何となく大事だとは思っている。自分の良介という名前の由来を父や母に尋ねたことは、、、うん、父が
「三つぐらい候補を斉藤のおじさんが出してくれてな、これを選らんだんや。お前の生まれた年には阪神タイガースは優勝したし、お前は運のいいやつやで」と褒めることが良い子育てに通じるとしっかり思っている父親の言動を思い出して、自分も似た所があるのに面映ゆい感じがしているのだった。
: 人物設定が、、、。ま、何とか作ってゆきます。
