威風堂々

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米から考える

2011年12月31日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味

「人はパンのみにて生きるにあらず」

を肯定する私だが、生物学的には栄養補給が尽きると生命体は維持できないのも事実。

 和同開珎以来、貨幣経済は存在したと思われるが、古代日本において、どれほど貨幣経済が実態を反映したのだろうか。

 江戸時代になっても「石高」「米相場」といって、主力穀物が実体経済の媒体になっていたのである。これは、日本に限られたわけではなく、麦・玉蜀黍・豆は今でも立派な、かつ重要な投機商品市場を形成している。勿論、銀や金とどれぐらいで交換ができるか、という価値基準だったわけだが、、、。

 米は精米しなければ長く保存が利いたので重宝したようである。つまり、1番「信用」がおける富の象徴であることが、日本では可能だったのだ。

 金本位制度から管理通貨システムへと移行した現代ではあるが、つまり実態のある「物」から形のない”信用”重視へと変わろうとしてきた現代社会ではあるが、石油・宝石といった実物価値市場は存在しつつ、一方で、ネット情報化社会経済となり、「仮想」と「寡占」は留まるところを知らない。


 若者に対して言えることは、   

 数学的センスを養って頂きたい、ということ。

 相場というか、博打というか、誤解されると困りますが、こういうものは、データをたくさん集めて、指数を割り出し、的確に予想する。確率・統計だけではなく、微分積分、数列等、仮説を立てて実際にどう動くか体験し、公理を探り出していくという作業は面白いはず。人によって、面倒くさいと感じる人、夢中になれる人。様々でしょうが、

 人が幸せになるために!努力してみる価値はあると思うのですが。



参考文献:

『生き甲斐の心理学』 植村高雄 著
『人の身体は神の神殿』植村高雄 著
『物理学と神』 集英社新書
『次世代インターネットの経済学』 岩波新書
『人間復興の経済』 佑学社



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出挙

2011年12月30日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味


 「出挙」とは、春先に種籾を国家が貸し出し、収穫時に高い利率で回収していた税システムのことを言います。

 国家が、稲の管理をしていたことで成り立つ制度です。

 代表的な税に

 「租」 口分田にかかる3%~5%の税。古代でどれほど通貨が信用されていたのか分かりませんが、これも、米によって納められていたのがほとんどだったと私は思います。

 「調」 地方の特産品を京に送る。官人貴族たちの「禄」としてあてられたようです。

 「庸」 年10日間の労働義務(地方官庁の命令で土木作業や警護の任、運脚等)の代わりに相当量の布や米を納める。京に送られて、労働の対価として使われたらしい。

 というものがありました。

 「私出挙」というのも存在したようで、地方官が私的に種籾を貸し付けて、田地を担保にしたりして貸し付けていたようです。この辺に、私企業的なものやブローカー、「マフィア」的商い集団が発生していてもおかしくないと推測します。


 さて、この時代の日本国国家財政は「人々が稲を毎年借り受ける」前提で成り立っていたということに注目です。米と日本人に関してはまたどこかで述べたいと思いますが、出挙によって得られる「稲」が諸国の財源となるわけです。「出挙」の利息の額内に毎年の支出を抑えておけば、国家財政は破綻しない。

 出挙は、8世紀初頭、50%の利率だったらしい。


 凶作の年もあるので、庶民は大変だった、と大概の歴史書は書いています。対抗手段は「逃亡」「浮浪」で、戸籍管理から外れることでした。

 賄賂もあったでしょうし、一握りの支配者層は、一度ついた身分からは転落しないように懸命だったと想像できます。しかし、土木事業(淀川に橋を架けては流されを繰り返していた)等の社会資本整備、軍事防衛にと「税」は使われていたのも事実だと思われます。


 それでは、なぜ、貨幣より「米」なのか。その辺の所も現代を考えるには実に興味深い所です。




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古代日本の税

2011年12月29日 | 第六章 螺旋状に上昇する意味

 日本の古代。私の独断がまじった推論ですが、、、。

 壬申の内乱が天武帝勝利に終わって、律令国家が形作られていきます。東北・九州と支配地域が広がり、朝鮮半島・中国との外交、安全保障上の危機感等、現代に至るまで非常に日本人の生き抜くヒントが「古代」社会には隠されている気が致します。

 さて、本日は「税」。

 国家の形が整ってくると、財政健全化と安定を図りたいと為政者側は思います。一方様々行政サービスも求められる。まずは「社会資本」の整備です。道路を作る。治水灌漑、等今でも共通する部分です。特に成長期の国家には必要なことです。

 そこで、国家は「税」をとる必要が出てくる。

 戸籍管理を徹底して、これは、キリストの誕生でも語られるし、税を徴収するわけです。何も日本に限った事ではない。聖書の中でもあまり「徴税人」は良い感じでは登場していない気がする。

 古代日本では、

・租庸調といったところが有名。それに「出挙」、雑徭、仕丁という税負担もあった。「出挙」については後日また記しますが、現代の「消費税」を考えるうえでも「古代日本の税制」について知っておくことは意義あることと感じています。


参考文献:
『日本の歴史』シリーズ 小学館・中央公論社



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「間」をとる

2011年12月21日 | 第三章 無意識の世界

 語りの文化は世界中、至る所に脈々と受け継がれている。

 この頃、立川談志師匠が亡くなった。ある時期『新・言葉の泉』なるラジオ番組が大変私は気に入っていて、よく聞いていた。

 シャレや言葉遊びというのは人として育っていくには大変重要な事のひとつである。どうせなら、悲劇より喜劇で言語は使われた方が良いと思っていて、『寄席』なんかは学生時代よく通った。

 新宿『末廣亭』 上野『鈴本演芸場』 『本牧亭』(ここは、本来講談の寄席であったが、私は1度ここの高座で落語を口演したことがある)とか、『浅草演芸場』とか。

 話芸というものの良さは、うーん、どう表現するのがよいか。よい所がありすぎて、、、。

 上方には寄席は既になく、そう、吉本という会社があるが、『寄席』の持つ独特の文化というか風情を容赦なく潰してしまった。『繁昌亭』という寄席はできたものの、、、。

 桂米朝師匠が戦後東京から戻ってこなかったら、上方落語は消滅していたに違いない。

 語りで人を笑わせるのはいろんな方法があって、人柄が出て面白いが『話芸』となると別である。笑うだけでは聴衆は満足しない。そこに『感動』がないと『芸』としては成り立たないのではなかろうか。

 マルクス兄弟、キートン、よりは チャップリンの作品が一般に受け入れられて、未来に残っていくのと同じで、笑うだけでは物足りないのだろう。

 私は今でも六代目三遊亭円生師匠のCDを聴いている。円生氏は円朝落語を、昭和時代に見事、円生落語として再生したし、実にどうもこの、落ち着いた味わいで、『風情』ある語り口で、いい日本語を残してくれている。静かでよい。

 「間」がよいのだ。名人といわれる人はみんな「間」の取り方が完璧である。

 カウンセリングの世界でも「間」というものは大切である。

 絶妙な「間」を習得していくには、兼ね備わった天性と、たゆまぬ訓練が必要になってくる。よく、「間」を考えずに物事を推し進めてしまう私は、「間抜け」といわれる???

 はーっ。「勉強し直してまいります」



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美しい日本語

2011年12月20日 | 第九章 愛
 日本語の美しさ

 話し言葉編

 正しくて、美しい日本語を喋る事を職業とするアナウンサーが話す日本語が最も美しいと私は感じます。しかし、テレビとラジオ、民放とNHKとで、違いがあると私は感じています。皆さんはいかがでしょうか?

 私は、NHKラジオで聞くアナウンサーの日本語が一番美しいと感じます。

 受験生の頃、深夜、家族が寝静まってからヘッドフォンでラジオを聴きながら受験勉強をしていたものです。O社の「ラジオ講座」なんてのも聴きましたねぇ。今だと、「衛星予備校」って感じでしょうか。でも、寮歌(若者には分からないかも、、、)なんか歌う先生もいたりして、情緒がありましたよね。

 いつの時代もそうなのかもわかりませんが、老人(と言うと失礼ですが)、70歳以上の方が喋る言葉は美しいし丁寧ですね。

 方言にしても確かだし、、、。

 言葉を「大切に扱う」という姿勢は、どう自分の人生を大切にしているのか、に通じるような気がします。

  そういう意味では、長生きした人が美しい言葉を喋り、若者はゾンザイな口をきく、という傾向があるのも納得はできます。

  美しい日本語を喋ろうと心掛けないと、どんどん聴くに堪えない言葉と化していきます。

  美しくしゃべるには「努力」が要ります。そう、「愛」に訓練が必要なように。


 日本語は美しい。誇りですから大事にしましょう。
 


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