「人はパンのみにて生きるにあらず」
を肯定する私だが、生物学的には栄養補給が尽きると生命体は維持できないのも事実。
和同開珎以来、貨幣経済は存在したと思われるが、古代日本において、どれほど貨幣経済が実態を反映したのだろうか。
江戸時代になっても「石高」「米相場」といって、主力穀物が実体経済の媒体になっていたのである。これは、日本に限られたわけではなく、麦・玉蜀黍・豆は今でも立派な、かつ重要な投機商品市場を形成している。勿論、銀や金とどれぐらいで交換ができるか、という価値基準だったわけだが、、、。
米は精米しなければ長く保存が利いたので重宝したようである。つまり、1番「信用」がおける富の象徴であることが、日本では可能だったのだ。
金本位制度から管理通貨システムへと移行した現代ではあるが、つまり実態のある「物」から形のない”信用”重視へと変わろうとしてきた現代社会ではあるが、石油・宝石といった実物価値市場は存在しつつ、一方で、ネット情報化社会経済となり、「仮想」と「寡占」は留まるところを知らない。
若者に対して言えることは、
数学的センスを養って頂きたい、ということ。
相場というか、博打というか、誤解されると困りますが、こういうものは、データをたくさん集めて、指数を割り出し、的確に予想する。確率・統計だけではなく、微分積分、数列等、仮説を立てて実際にどう動くか体験し、公理を探り出していくという作業は面白いはず。人によって、面倒くさいと感じる人、夢中になれる人。様々でしょうが、
人が幸せになるために!努力してみる価値はあると思うのですが。
参考文献:
『生き甲斐の心理学』 植村高雄 著
『人の身体は神の神殿』植村高雄 著
『物理学と神』 集英社新書
『次世代インターネットの経済学』 岩波新書
『人間復興の経済』 佑学社
よろしくお願いします