ユーモア小説
英国文学のジャンルにありますが、漱石先生は『我が輩は猫である』というユーモア小説の金字塔を打ち立てています。もともとあった諧謔趣味に起因はしていると思いますが、俳諧というか俳句というか、本来の諧謔的趣味の俳諧が好きであったような気がします。それは、友人正岡子規との出会いは大きかったと思います。私は、漱石が東京外大だったか、師範学校だったかの教職の職を擲って松山中学に入ったというのは、正岡子規の影響だったと思っています。多分肺病を患っていた正岡子規、その友人と語り合う機会を持ちたかったのではないかと思っています。(勝手な独断ですが)
「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」これは正岡子規の辞世ですが、死に及んでも、この句が生み出せる子規の感性。受け取り方は人様々ですが、これは漱石の気持ちをつかんだことだと思います。子規と軍人との結びつきを小説にしてベストセラーになったりしていますが、果たして子規が日清戦争で従軍記者をして得たこととはどんなことだったのでしょう。おっと、脱線、、、。私は松山まで行った漱石はいろんな意味で東京から親友のいる松山へと勤め先を変えたと思っています。まだ、30歳前ですからね。
と、「ホトトギス」に我が輩は猫であるを掲載して、好評を得てゆくわけですが、彼のユーモアセンスは、正岡子規の楽天的かつ地方的感覚から大きな影響を受けていると思われます。
よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。