威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

カリタスカウンセリングの原理13

2010年08月30日 | 第四章 愛とゆるし
『生き甲斐の心理学』より

 54頁: 人が好きになれますか。

 熱意

 何のために 文化祭なんてあるのか。これはもう20年来考えさせられる行事です。学校教育は必ず、この国の将来を背負って立つ民を育成するためにあるのだと思っております。特に公教育は。

 祭ってありますよね。地域地域に。この運営もなかなか困難がつきまといますが、文化祭はこの祭の練習をしているようなものだと私は考えています。それと、民主主義のお勉強にはもってこい。

 個人として「嫌」なことでも、多数決で「決まった」ことには従う。(勿論、公序良俗にかなったことですよ)これ、基本的なルールです。困っている人を助ける。(相互扶助の精神)自由を得るためには果たすべき義務と責任がありますよね。

 しかし、もっと情動的には「熱意」楽しいことをしたいという熱意。ところが、「物作り」となると、ただ、楽しいでは上手く仕上がらない。

 今日も三人。でも、「楽しんでやってまーす」という声に、私は「期待」を持っています。

カリタスカウンセリングの原理12

2010年08月29日 | 第四章 愛とゆるし
『生き甲斐の心理学』より

 自己否定、他者否定からは何も生まれません。


 あー、寺山修司さんのこんな短歌が心に響きます。

「マッチ擦るつかのま海に霧深し 命捨つるほどの 祖国はありや」

 あとこんなのも、「便所より見える青空啄木忌」

リゾートホテルのガーデンプールで「寺山修司」を読んでるのって私ぐらいかなぁ。

俺って 変 ?

カリタスカウンセリングの原理11

2010年08月26日 | 第一章 意識と知覚
理解する努力は永遠の課題

『生き甲斐の心理学』53頁 理解力 感情の曼荼羅 より

 「人は神の神殿」といわれていて、人はみんな答えを自分の中に持っています。相手の心の中に潜む答えを捜して問題を解決していく。

 「傾聴」が大切です。湧いてくる自分の感情に耳を傾けて、その感情の持つ意味を探る。感情の世界は実に深く、面白いですが、私にとっては時に恐い時があります。

 世の中の争いごとにしてみても、理解力、傾聴、他者の感情、といったことに焦点を当ててじっくりと事象を見定めていくことが必要でしょう。それも、まずは自分が自分の感情をよく見つめて、自分の分析、自己実現の見通し、自分の生き甲斐を把握しておく必要があります。

 さて、私の「生き甲斐」。さて、なんだろうかなぁ。

カリタスカウンセリングの原理10

2010年08月19日 | 第一章 意識と知覚
 間

 大学生の時、落語を今はなくなった上野の「本牧亭」で口演したことがあります。定期的に「四谷倶楽部」で落語会もやっていました。落語には「間」が必要です。同じ話し方でも、間の取り方一つで、笑ってもらえたり、うけなかかったりします。名人芸は同じ噺をどんなCDで聴いても同じ「間」があります。
 太極拳も「間」を学ぶにはいいお手本。呼吸が間を作ります。
 人間関係も「間」が重要。生物学的にも、きっと人間同士が快適を感じるに必要な空間的、間、があるはずです。通勤ラッシュがストレスかかるのが分かります。

 職場復帰にも、十分な「間」が必要だったことは言うまでもありません。このタイミングを計る呼吸は、勉強やスポーツ、武道、何と言っても育ってきた生育史による経験知がものを言うと思います。親が、人間関係の取り方に、十分な「間」や緩急、人への共感といったものを身につけていると、自然と子どもに受け継がれる。そんな気がしております。

カリタスカウンセリングの原理9

2010年08月17日 | 第四章 愛とゆるし
受容性

 テキスト『生き甲斐の心理学』51頁から

 「愛し合う恋人はなぜか同化を求めます。しかし、それは不可能。美しい愛は、恋人の違いを尊重し、違いの理由をなぜかと問いながらも、互いの人間的な成熟を求め合うのが美しい愛の姿」

 休職から復帰する三ヶ月間、帰宅してはベッドに直行し、「ぐだぐだ、俺はやっぱりダメだー」と嘆き、悲観的な思考回路から抜け出せませんでした。しかし、誰かにこの気分を伝えないともっとダメになる。私は家内が帰宅すると枕元に呼び、このマイナス気分を訴え続けていました。家内は時間を区切ってじっと聞いてくれました。これが、「受容」だったんだと思います。果たして逆の立場で私はこれができただろうか。

 今もありますが、眠れない恐怖はとても嫌なものです。シスターから「神父さんのお話」のテープを頂いたこともあります。非常に素晴らしい神父様のお話。これを聞きながらだと不思議と眠れました。

 家内は、自分は自分のペースを守り、決して私が眠れないからといって一緒に傍らにいるわけではなく、自分はきっちり眠っています。大事ですね、これは。自分と他人は違う。しかし、信頼している限りは受容しあう関係。