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威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

紫式部

2024年02月28日 | 文学(古典)

 私はNHKの大河ドラマはよく見る方です。高校生も一つのお勉強と思ってみると、歴史、古典の勉強にはなるでしょう。しかし、オジさんが視聴ターゲットのようで、戦国時代の天下取りのお話しが多いですし、視聴率も高いと聞きます。

 今年は「平安時代」、紫式部が主人公。

 さて、視聴率はさておき、内容は非常に濃いと思います。「夫を支えるしおらしい、でも粘り強い嫁」像が大河ドラマの女性イメージになってきました。この時代にいつまでも昭和の専業主婦に合わせた女性の立ち位置がこのドラマでは好まれていたのでしょう。私はもう見ていて「こそばゆい」 やら気恥ずかしいやら、いい加減にしろとよく思っておりました。今回は漸く、女性が男性と対等に恋をして、そして、自分の力で「自己実現」してゆく初めてのケースになる気がしています。

 これは、画期的なことだと思いますがいかがでしょうか。

道徳教育よりも漢文を

2019年09月23日 | 文学(古典)

前不見古人
後不見来者
念天地之悠悠
独愴然而涕下


これは、初唐の詩人 陳子昂 の 「登幽州台歌」という作品である。


私はこの詩が好きだ。定型の詩形にはなっていないが、実に『孤高』という事実とそのことの立派さがものすごくストレートに伝わってくる詩である。

天地は悠々。ただ、一人で涙が流れてくる。実際私も近くの小高い丘の上から遠くを眺めてわき上がる感情に、ただただ感動していた瞬間があるので、この気持ちに共感出来る。

常々、漢文、漢詩をこそ、日本の教育の場にもっと復活させることは、今の保守反動派勢力にとって絶対いいと思うのだが、そうはならないようだ。多分、古来日本で重視されて、現代中国では捨てられた、漢文・漢詩は人間としての絶対真理を述懐している作品だけが残っているので、現代日本の政治中枢も現代中国の政治中枢も困る物なのだと思う。結局現在の統治機構の都合のよい『道徳教育』がなされていくようである。残念でならない。


人生感意気
功名誰復論

である。   (人生は、何かしようと積極的に感ずるもの。誰が、功名など論じようか。)








2015年大晦日

2015年12月31日 | 文学(古典)

かげろふの あるかなきかにほのめきて あるはあるとも 思はざらなむ

『宇津保物語』に出てくる 短歌である。

自分の存在が 「はかない」ものであると云うことを言っている。

蜻蛉、陽炎、蜉蝣 と様々に漢字も意味もあるのだが、『蜻蛉日記』の場合、「陽炎」のニュアンスの方が正しいとされているようだ。いずれにせよ存在が「はかない」わけだ。

兼家という、風貌はどうかは知らないが、政治家として、男として後に、道隆、道長、詮子といった藤原一門の栄華の礎を固めてゆく御仁の妻となった、嬉しさと悲哀が込められた日記である。兼家のことが大好きで愛していたということがうかがい知れる。夫を思う悩みから、唐崎でのお祓い、初瀬詣で、石山詣でと信心に彼女の心は向かうわけだ。

「思へば、かうながらへ、今日になりけるもあさましう、御魂など見るにも、例の尽きせぬことにおぼれてぞはてにける。」
(思えば、こうやって生きながらえて、京になってしまったのも、意外なことで驚きで、御霊祭りなどを見るにつけても、いつものように付き無い物思いにふけっているうちに、今年も終わってしまった)   小学館「日本の古典」を参考に、

我が家も、家内と娘が料理をし、息子と私が洗濯、掃除で大晦日を迎えている。別に逆でも良いのだが、家内はどちらも上手く完璧。僕は料理をしようとしないからなぁ、、、。

皆様。よいお年を。



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鴨長明

2015年04月26日 | 文学(古典)


 鴨長明と方丈記


 方丈とは、ま、長さの単位であるらしい。9平方メートルというから四畳半ぐらいだろうか。私は高校生で初めて出会った。


高校生が『方丈記』を読む意味

 鴨長明は自分を取り巻いている社会に対して革命的傾向を示さない。社会から孤立する道を選んで、都から離れてひっそりと隠れ住んで、自分の思想や感情を表現する(和歌・琵琶・思想書など)道を選んだ。
もともと、賀茂神社の神職の道を希望していたが上手く行かず、夢破れた様である。かれの人生は青春期までは順風満帆だった。神職の家の次男として生まれていたし、和歌の才能にも恵まれていたし、7歳で五位まで爵位は上がっていた。ところが20歳直前に父親が死に、親族会議で遺産が沢山は貰えなかった様だ。『方丈記』はそんな彼の体験もある中で、藤原摂関家の世から平清盛の世の中へ、また、源頼朝の世の中へと激しく移り変わる日本の中世社会に影響されている。
・汚れと禊ぎ ・恥の文化 ・もののあはれ ・詫び寂び ・幽玄美 ・甘えの構造 という日本民族の特徴が表されている。「世の人と栖」「人間の生と死」「政治の世界」諸々の 「無常観」を書いていると言われる。高校生が日本民族の特徴を知る上で、この「方丈記」の一部でも読む意義はあると思う。

 と息巻いたところで、、、ではあるが。

岩波の全集を読んでいると、蝉丸師の

「世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋も果てしなければ」という和歌に出くわした。彼は盲目で琵琶の名手だったといわれているが、宮殿に住む人も藁屋に住む人も欲望は限りない、という真髄をついた和歌である。自戒としたい。

格物致知

2015年03月05日 | 文学(古典)


中国の防衛費は10兆円を突破しているそうである。


ホッブスとカント

「リヴァイアサン」と「永遠平和のために」

鳩派と鷹派

ではないが、、、。

根本は同じであろう。私は、「致知」という雑誌が好きである。

陽明学というおうか、「安岡正篤」氏といおうか、忠臣蔵といおうか、好きである。人によっては「保守系」と見なされる事もあろうが、それは「世界」という雑誌が「左翼系」と見なされるのと同じかなぁ、、、。

私は吉田松陰先生も好きである。

世に道徳教育がよく言われているが、漢文を学習すれば十分であろうというのが、私の見解である(あまり、というか全く受け入れられないが)

忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず。

を吟味すれば、日本社会の道徳教育は十分だとというのが僕の持論である。勿論、科学的に吟味する必要があるのですよ。(元々、朱子学や陽明学は科学的である)土居建男氏「甘えの構造」、渡部昇一氏との共著「いじめの構造」(こちらは未読だが)等、東アジア地域に生きる我々の倫理観、また、深層心理を見極める上で非常に役に立つと思っている。

文物、現象には、二面性、陰陽、等真逆の見方があるとされる一方で、絶対善、唯一真があるとされる。要は物事の本質を究めることが大切だと私は思っている。

ますます、思索を深めたいものである。




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