実家近くに帰るといつも思うことがある。
嘗て商店街が隆盛を極め、スーパーもそれと共存して、八百屋さんや靴屋さん、和菓子屋さんがあってレコード、本屋があって、そこでビートルズのLPを初めて買い、参考書もそこの本屋で買った。服も自転車も。ま、勿論都会に出てデパートにも行ったが。そんな商店街はガラリと雰囲気を変えている。これは単なる感傷的ノスタルジーじゃない。何かがおかしいと思うのだ。
僕が高校生の頃、日本の首相は中曽根氏。米国大統領はレーガン氏。中曽根氏は「日本は米国の不沈空母」として共産国家からの攻撃の防波堤になり、また米国資本主義の前線基地になる、という旨の発言を首脳会談でした。今も安倍首相は米国大統領に取り入ろうとして躍起になるわけだ。もう「押しつけ憲法」で十分ではないだろうか。自主憲法なんて妄想は捨てませんかね。無駄です。負けた日本の取るべき道が今のこの状況である。30年前から別に変わっていない。寧ろ中曽根氏の頃はまだ、国民には日本人の誇りが残っていて「日米運命共同体」とか言い出すと「ちょっと、待った!」って気概があったが、今は「一層の日米同盟の強化」と言われても何も感じない人がほとんどになってしまっている。
戦後の総決算は1980年代から始まったと思う。(昭和50年代から心の豊かさを求めだしたわけだが、するとやはり人々は保守的になる傾向がある。現状維持だ。あるいは、自分達という集団の結束を求め出す。)
三公社五現業が民営化の方向へ。
中曽根氏の時は国鉄の民営化、電信電話公社の民営化。株で儲けた人もいるが、果たして民営化以降そんなにサービスは向上したのだろうか?単なる労働組合つぶしだったと言われても仕方がないだろうし、でも、政治家達はこういった三公社五現業利権に群がっていたわけで(カネ)一定の民間企業化したことによって浄化されたという見方もある。しかしだ。
まちづくり3法ってありましたよ。賛成していたんではないですか??? おじさま達。
その後、森さん、小泉さんらは、大店法を廃止し、つまり「規制緩和」だ。聞こえはいいが、中小企業はつぶれるわけだ。米国を初めとする多国籍企業が日本で商売(面積が小さい、人口が少ないからさして儲からないと今は気づいたようだが)をしやすくし、資本も投機しやすくしていった。(郵政民営化→族議員がカネを自由に出来たという弊害も生まれていたが)一方で消費税や福祉関連の税や保険料について十分に富を分配したんだろうか?放置したまま赤字国債を増やし続けている。
平成の大合併
市区町村の合併だが、町名が無くなり、果たして便利になったのか?ま、便利になるから全て良いと思わされてしまったんではないのか??? どっかの都市では一旦住民投票で統廃合が否決されたのに、またぞろやろうとしているが、こういうのが私には理解不能。
結構、森内閣や小泉内閣時代の改革を検証してみると面白い。検証してみると「笑えない」ことも多いと思う。
田舎が廃れて、ふるさと納税や地方再生とかいっているが、過疎化を進めて寂れさせてしまった政策はなかったか? といえば過去のあの政策が、、、とかいうのは簡単に見つけられるが、なぜかそういうことを検証するべきマスコミはその役目を果たしていない。いつも、日本の報道の自由が世界的に見て低いとか、マスコミ側自身も騒いでいるが、実は自分達で過去のことを振り返って検証する番組なんか作っているところはもやは無いのではないだろうか?政治に圧されて仕方がなく報道の自由が無くなっているように一般に思われているが、実はマスコミが自分達でまともな検証番組を組んでいないところに自由度のなさが露呈していると思う。
そこに二度の震災だ。原子力発電も原子力爆弾とセット(ロケット事業がミサイル事業と結びつくように)だと漸く語り出せる雰囲気になってきたようで、、、。
自分が高校生の時の政治、経済、そして私の生き甲斐を検証していると、「今、ここで」自分が何をするべきかが見えてくる。もうまともに現役生活を送る年数も減ってきたので、「いいたいように言い、したいように生きる」のが賢明のようだ。
若い人たちには、賢明に自然科学、人文科学を学んで欲しい。そして社会科学。細かく言うと、歴史と生物学かなぁ。将来の自分の指針として絶対に役立つ気がしている。いかがであろうか。
よろしくお願いします。 お読み頂きましてありがとう存じます。